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コラム

2016年7月7日、ロボットが殺人に使われた日

2016.07.12

ArchiFuture's Eye                 日建設計 山梨知彦

2016年7月7日、平和利用のためにつくられたロボットが、犯罪者を裁判することなく殺
害をするために使われた。ICTやロボティックスの誕生以来、その歴史の中で最初の忌まわし
い事件が刻まれることになった。
 
■事件のアウトライン
7月5日、アメリカ、ルイジアナ州バトンリュージュで、露店でCDを売っていた黒人男性が、
白人警察官に射殺されるという事件が発生し、既存メディアを通じて事件は世界中へと広がっ
た。さらに6日には、セントポール郊外で、テールランプが壊れた車に乗っていた黒人男性が
警察官に銃撃され死亡。車に同乗していたガールフレンドが、その状況をFacebook Liveを使っ
て配信し、事件はICTメディアが先導する形で、猛スピードかつ銃撃された立場からの視点で、
世界中に広がった。
そして7月7日のダラスで、この一連の白人警察官の暴挙に対しての講義するデモの中、複数
の警察が狙撃される事件が発生した。この原稿を書いている時点で、解っていることは、5人
の警察官が射殺され、7人が負傷。1名の誤認逮捕があり、そして警察が遠隔捜査するロボッ
トが容疑者を殺害したことに留まる。
 
■事件が意味するもの
アメリカが抱える人種問題、銃社会問題、そしてICTにより広大なアメリカの片隅で発生した
事件が瞬く間に世界の注目を集めた事実など、この事件の意味するところを読み取る糸口は多
様である。しかしArchiFuture Webとしての注目点は、容疑者がロボットによる殺害されたと
いう事実が意味するところになろうか。
7月9日付けのThe Huffington Postによれば、元々は爆発物を安全かつ作業員が無被害で処
理することを目指してダラス警察に採用されたロボットが、今回は爆弾を装着され容疑者に向
けて遠隔操作され近づき、容疑者を爆殺させたというのだ。
一見、事件はロボットの活躍により、追加の被害者を出すことなく収まったように見えるが、
よく考えてみれば、様々な疑問が浮上してくる。
なぜいきなり爆殺してしまったのだろう? 犯罪者とはいえ、まずはロボットにより捉えるこ
とを試みるべきではなかったのか? 仮にロボットが容疑者を捉えることが出来る能力を持た
なかったのであれば、なぜロボットを使ったのだろうか? そもそも、生きている警官ではな
くロボットが直接容疑者と対峙する状況は、容疑者を爆殺するに値する正当防衛が成り立つの
だろうか? そして、ロボットを遠隔操作できるような絶対的優位な状況の中で、容疑者を取
り押さえることなく殺害をするという判断は、誰によって下されたのだろうか? 
 
容疑者といえども、平和利用のために装備されたロボットが、警察とはいえ一部の人間の独断
的判断により用途が歪められ、操作され、圧倒的で一方的な状況にもかかわらず、人命がロボッ
トにより奪われた事実を、我々は如何に受け止めるべきであるのか。
一連の事件を、メディアが断片的に伝える情報のみで、簡単に論じることは出来ない。しかし、
多くの報道がその背後に持っていると思われる、人種的偏見が警察官の過剰防衛が黒人の殺害
に結びついているとの見方が正しいとすれば、一連の事件は、殺害のための道具が銃からロボッ
トへとエスカレートすることで、ロボットが殺害のための道具となり果てた、忌まわしい歴史
の始まりと言わざるを得ない。

2016年7月7日、ついにロボットが殺人に使われた日を我々は経験した。かつてSF作家の
アシモフが小説「I, Robot」(1950年)の中で唱えたロボットの三原則「人間に対する無危害、
それを前提とした人間に対する服従、それらを前提とした自己防衛」を、真剣に考え、実行し
なければならない時代が来てしまった。かつ残された時間は少ない。ロボットとAIが融合を始
める前に、この三原則を遂行するための効果的手段を打ち出す必要がある。ロボットがつくら
れた目的を外れ、殺戮のためのマシンと化す恐れは、7月7日をもって、SFから現実のものと
なったわけであるから。

     ロボットのような外観をもつ、どことなくユーモラスな建物。しかしやがて、
     「ロボットのような」という言葉は、恐ろしい殺戮を連想させるものになるか
     もしれない。

     ロボットのような外観をもつ、どことなくユーモラスな建物。しかしやがて、
     「ロボットのような」という言葉は、恐ろしい殺戮を連想させるものになるか
     もしれない。