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コラム

3Dモデリング遊び

2017.05.11

ArchiFuture's Eye                慶應義塾大学 池田靖史

ふだん大学院生などを中心に一般社会に比べれば先端的な技術的内容などについて議論するこ
とが多いが、付属高校もある関係で、進路を検討中の高校生に広くこれからの時代のデザイン
全般に興味を持ってもらうための授業をする機会がときどきある。そんなときには空間的な知
覚と人工物と自然物による世界観が人間にとって根源的な関心であることを、将来を担う世代
に理解させたいと思ている。それがデザイン学と情報学、そして環境学を横断した「創造性」
という本質的な可能性だと考えているからだ。ただし、こんな難しい言い回しをしていると寝
られてしまう可能性が高いので、彼らに向けた伝達方法を工夫しなくてはならない。

いろいろ考えた末に辿り着いたのが、実際に自分たちで手を動かして体験した「遊び」から出
発して情報とデザインの持つ本質的な意味と楽しみを意識してみてもらうことだった。必要な
知識も理解すべき論理も詳しく説明すればきりがないが、「自分の目で見ながら手を動かして
立体物を扱う」ことが単に基礎的であるだけでなく最も本質的でもあるからだ。そして従来は
そのために必要不可欠だった「絵を描く」行為をあえてしないことが狙いである。事前に聞い
てみたところスマホを使っていない生徒は皆無だったので、無料アプリで三次元モデリングを
やらせられないかと思って探したところ、3D Creationistというまさしくぴったりなものが見
つかった。三次元モデリングを玩具のように体験して、その現代的可能性を体感するには必要
かつ十分、そしてとても強力なインターフェースを持っていて、同じソフトウェアはiOSと
Andoroidだけでなくブラウザでも動きフイルも共有できる。エストニアのグループが考案し
コペンハーゲンのクリエイティブビジネスカップで優勝しているらしい。
玩具のように「遊んでみる」ことは最も学習効果の高い習得方法だと思うし、スマホであれば
自分の時間に好きなだけできる。余談だが私の母親は、子供の頃に外で遊ぶより家でブロック
遊びに熱中していた私の事を心配していたそうだが、ずっと後になって、それで飯が食えたら
しいと納得してくれた。

というわけで授業は非常に簡単な三次元CGモデルの作成という楽しいCG図画工作の時間のよ
うな感じになっているのだが、その裏側にあるテーマは、私が大学で「情報技術とデザイン」
という名前の15回の講義シリーズで様々な角度から話しているデザイン行為における情報認
知論、情報コミュニケーション論などの内容と実は同じである。
高校生諸君にも楽しく遊んでもらったあとに、それをもう一度振り返って考えてみてもらうこ
とが大事なのだが、それは簡単に言えば、デザインいう作業の上で、頭で考える/目と手で考
える/情報技術で考える、という3つの融合が進行しているということだと教えている。そし
てその能力のトレーニングが、デザインに関連してこれからの社会を生きていく上で非常に大
きな意味を持つという思いを伝えている。つまり、現代的な手法を意識して三次元的な立体や
空間を認識し視覚化しコミュニケーションする能力こそが将来デザインで社会的な役割を果た
すために役立つことだと話している。

デザインにはこうした能力以外にも象徴作用や形式化作用のようにデザイン行為に関係する社
会的な問題の本質を見抜き、その解決になりうる「物語」を考案するという側面もあり、そち
らの方が、素材の加工手段や物性、空間の配列や構成、形態の構築方法や環境的性能などの技
術的側面よりも上位にあると思われがちである。しかし「物語」を現実的に「体験」可能なも
のに実体化する過程こそがデザインであって、その最も基本的な能力は形態や空間などの立体
的な構成力であり、想像と知覚が一体となった発想の展開力である。つまり人間が何かをデザ
インする能力には目の前のものを把握し理解する能力と、未だ存在しない何かについて考え、
それを実体化するためにコミュニケーションをとる能力の2つの側面が決定的であり、そこに
深く関与しているのが視覚と情報の関係である。人間が自分の存在する環境(あるいは世界)
を認識する方法は視覚だけではないが、情報量と処理速度の点で他の知覚を大きく凌駕してい
る生物であることから、実質的に自己の外側の環境を把握する媒体の主要な部分を視覚が占め
ている。だから視覚的な情報認知能力と人工的な立体構築能力は一体不可分なものと言っても
いいのだが、そのために避けられない問題が二次元と三次元の情報変換処理であるため、それ
は人間の精神的機能の拡張のような身体技法的な習練を必要としている。

すなわち視覚は網膜への投影画像である以上、実は二次元的な情報であって、ある時点の単純
な視覚情報からだけでは三次元的な状況を完全に把握することはできないために、よく知られ
ている両岸の視差だけでなく、他にも多くの無意識的推察過程を後天的に習得して、日常生活
でも三次元空間を理解し活動していることが認知論的に解明されている。さらにその能力拡張
の体系的な習得方法についての知恵が「絵を描く」技法として絵画の歴史に蓄えられてきたと
もいえる。なぜなら「絵」とは「見える」ものを「描く」ことで再現することであり、それは
身体と精神の構造上、宿命的な課題として、視覚と空間認知の関係を法則化することと一致し
ているからである。実際に絵画の技法は三次元的な認識の二次元的記録手法を「遠近法」の進
化として追求し、ルネッサンスの時代にブルネレスキらの手で透視図法が幾何学的に計算可能
なものとして確立できたことが、「図面」という情報媒体を出現させ、建築その他の人工物の
デザインと製作技術に画期的な進歩をもたらした。伝統的な建築教育でいうところの「図面を
描く」能力というのは本質的には二次元と三次元の自在な変換能力のことであって、この能力
の高さが他の人間にはできない様々な作業を可能にするからこそ、多くの時間をその技の鍛錬
に推奨していたが、さらに言えば幼少時から素早く細部を観察し記憶する訓練や手で筆記具を
操る訓練を十分積んで来たことを前提にしたものであった。つまり一流スポーツ選手の三回転
ジャンプのように長年にわたり暗黙知化された、「見る」ことと「描く」ことの一体化が、無
意識的な三次元発想能力の領域に高められることをよく「手で考える」と表現していたのであ
る。人間の頭の中だけで三次元的な立体構成を発想することには限界があるが、記録しながら
瞬時にフィードバックされて再解釈を可能にするメディアの存在は言語における文字と同じか
それ以上にその能力を飛躍的に増大させ、驚異的とも思える精度と複雑さで立体構想作業を可
能にし、さらにそれを複数の人間で共同作業するためのコミュニケーションメディアとなるか
らである。もっと深いことに、絵ないし図面には縮尺や省略方法などが変換規則として存在し、
概念的には実物と対応するように設定された「モデル」であって、もともと実物の代用として
操作をするためのある種の視覚化シミュレーションである。そしてその概念的なモデル化手法
がデザインという相対的で多目的な総合化の過程を支援してきた。結局BIMの三次元モデルも
その延長線上にあると考えられるのである。
 
さて、このような認識の上で、前述したように「絵を描く」ことなしに三次元の記録や伝達そ
して操作などができる媒体としてのコンピュテーショナルなモデリングは、二次元と三次元の
変換でも筆記具による「描く」行為を経由しない新しい感覚を産むだけでなく、電子メディア
に特有ないくつかの特性を持つ。そのことを簡単に実体験してもらいながら、生徒たちにデザ
イン行為と人間と社会の将来を考えさせたいと言うことが狙いだ。私たちにとって筆記具の習
得後に追加されたコンピュテーショナルな操作性を、ゲームコントローラーやスマホの画面操
作を通じて幼児から暗黙知化して来た世代が、3Dモデリング遊びを通じて、どのようなデザ
イン感性を発揮するのかに興味があるだけでなく、彼らにとって最も影響の大きい問題になる
のではないかと思うからだ。使用したアプリは、例えば作成中のモデルを複製して保存し転送
することで世界中と共有してフィードバックを獲得できたり、形態を作成する手順に一定の論
理的ルールを見いだすことで、高速にバリエーションを生成し当初の想定以上の展開を発見し
たりという、コンピュテーショナルなツールの新しい性質を持っているだけでなく、そのまま
三次元プリンターで出力できる。それはSNS的なコミュニケーションの「遊び」にも似ていて、
三次元モデルデータを誰でも誰とでもテキストデータと同じように交換したり、簡単に編集し
たりする時代はそれほど遠くない。高校生たちには私の興味を伝えるというより、まだまだこ
れから変化する情報化社会の中に楽しみを見いださせて勇気づけたいからだ。そういえば、私
が高校2年生のころ進路を決める面談で、私に建築学科進学を薦めてくれたのは、私が授業中
に遊びで描いていたイラスト風のペン画を知っていた美術の教師だった。

   ※上記の画像をクリックすると画像の出典元の3D Creationistへリンクします。

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