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コラム

BIMへのお引越し

2017.06.06

パラメトリック・ボイス               芝浦工業大学 志手一哉

例えば、郊外の団地にある賃貸マンションに住んでいるA氏がいたとしよう。築30年を超える
この団地の木々は緑豊かに育っている。毎朝さえずる小鳥の声や、秋の夜に響き渡るコオロギ
と鈴虫の合唱など、団地の緑地はちょっとした里山の雰囲気を感じさせる。15分も足を延ばせ
ば、古い民家や広がる田んぼ、道祖神、その先にある神社や寺院、「イナカ」と呼べる風景に
辿り着く。A氏は、ここに10年以上も住み続け、子どもたちを育ててきた。A氏は最近転勤と
なり、ドア・ツー・ドアで2時間かけて都心の職場に満員電車で通勤している。自己持ち家で
はないのだから職場の近くに引っ越せば良いと思うのだが、家族の生活の基盤がここにあるの
で簡単には引っ越せない。第一、古き良き「イナカ」を感じて暮らすことは心地よい。その代
償として1日の1/6の時間を立つこと以外に何もできない満員電車に費やすか、2倍の家賃を支
払って職場の近くに住み替えるか、A氏の心は揺れたまま、既に3年の月日が過ぎている。

この作り話をBIMに置き換えるとどうなるか。

A氏は中小規模の設計事務所に勤めている。30年ほど前に入社してきたベテランだ。スケッチ
や略図などをフリーハンドで描くことは学生時代から得意だった。少し時間をかければ、いく
つものアイデアを形にした小さな模型やパースなど、「センス」が問われるイメージを作るこ
とができる。この10年間は、2D-CADやDTPソフトを自在に使いこなし数多くの建物を手掛け
てきた。A氏の業界では最近BIMが話題になっていて、お客様からBIMとは何かと聞かれるこ
とが多くなった。元々CADに長けているのだからBIMにも手を伸ばせば良いと思うのだが、こ
れまで蓄積してきたCADデータの資産が充実しているので簡単には乗り換えられない。第一、
自慢のスケッチや模型も併用した「センス」でお客様がじっくりと理解していくのを見るのは
心地よい。その代償として計画案を理解してもらうまでの説明や資料作成に多くの時間を費や
すか、BIMへの投資をしてお客様の時間を大切にするか、A氏の心は揺れたまま、既に3年の月
日が過ぎている。

今回のコラムはやや短いが、あえて余韻を残してこの辺で筆を置いてみたい。

志手 一哉 氏

芝浦工業大学 建築学部  建築学科 教授