ニセ「住吉の長屋」が問うもの
2017.11.24
ArchiFuture's Eye 日建設計 山梨知彦
■ニセ「光の教会」
豊田さんが、安藤忠雄建築展「挑戦」に展示されている「光の教会」の1/1模型について、
「フェイクの価値」と題したコラムを書かれた。本物の建築を原寸かつ同一材料で作った模型
とも複製とも言えそうなニセ「光の教会」を取り上げ、建築におけるリアルとは何か、フェイ
クとは何かを論じた刺激的なコラムだ。
ニセ「光の教会」は、原寸とはいえ美術館に展示された模型である(模型の「建設」にあたっ
ては、美術館に対する増築申請を行ったそうであるから、建築基準法上は建築物にあたるそう
だが)。さらに、構造も若干違ったり、ガラスが入っていなかったりと、明らかにオリジナル
との相違がある。多くの安藤ファンが指摘しているように「まだまだニセモノ度が低い」とい
うところかもしれないが、それでもその存在は、僕らに本物とニセモノの意味を問いかけてくる。
■ニセ「住吉の長屋」
実は安藤さんのニセへの挑戦は、ニセ「光の教会」にとどまらない。今、大阪の安藤事務所の
近くで、初期の名作「住吉の長屋」のニセモノを、安藤さん自身が建設を進めている。
こちらの挑戦では、ニセモノ度はさらに高まり、本物との境界はますます怪しくなっている。
安藤展の数か月前、雑誌社の企画(安藤忠雄の軌跡 50の建築×50の証言)で安藤さんと対談
させていただいた時のことだ。対談の中で安藤さんは、ポロっと「今度の展覧会で、光の教会
の原寸のコンクリート模型を展示しようと思ったら、増築申請が必要になってしまい、今申請
しとるんや」と言われた。当然、対談をしていた僕も、それに付き合っていた雑誌社の方々も、
「えーっつ!」と驚きと安藤さんの粘り強さへの尊敬の念が入り混じったリアクションをした。
ところがしばらくすると安藤さんが、「事務所の近くに、住吉の長屋をつくろうと思っとるん
や」と言われ、今度はその場に居合わせた全員が驚きのあまり声も出せず、凍り付いた。
安藤さん自身が、自らの作品である「住吉の長屋」を、別の敷地に建てるなんて、そんなの有
りなのだろうか!
我に返って詳しくうかがってみると、こちらは原寸模型ではなく、実際の土地に実物の建築物
としてつくられるとのこと。そしてこちらでは、構造もガラスもそして用途もオリジナルと全
く同じに再現されるとのこと。もちろん設計者は同じ安藤さん。おそらく、敷地と、コンテク
ストと、建設日時以外は、物理的にはほとんど違いがない。こりゃ事件だ!
■「常識的な判断」が曲者
ここでは、本物とニセモノの境目は極めて近い。それでも「常識的な判断」に従えば、明確に
本物とニセモノは区別できる。誰が考えたって、住吉にある最初に建てられた作品が本物で、
安藤事務所の近くに建てられる新しい方がニセモノである。
しかしちょっと考えてみると、この本物とニセモノの判断は、実は大学などで学んできた建築
教育における「オリジナルは一つ」という常識に根差した判断なのかもしれない。
例えば、安藤さんの作品をリトグラフのような最初から複製が可能なものととらえれば、どち
らもが同じ作家による本物で、通し番号だけが異なるものとも考えられそうだ。事実、建築家
はモノを直接つくらないわけであるから、同じ設計図からつくられる限り、どちらも本物の
「住吉の長屋001」、「住吉の長屋002」…といえそうである。おかれる敷地の違いも、バー
ジョンの違いや、改訂版と考えれば、「住吉の長屋Ver.001」,「住吉の長屋Ver.002」…と解
釈してよさそうだ。確かに、通常の解釈であれば、「住吉の長屋」は、既存の木造長屋を切断
し挟み込まれた唯一無二の特種解とされるわけだが、こうして改めてみてみると、コルビュジェ
のレスプリ・ヌーヴォー館のように、集住の新しい提案の1ユニットを取り出し建設されたよ
うにも見えてくる。プレファブ住宅のように量産が前提であれば、建設時期の新旧により本物/
ニセモノの判断がなされることはない。安藤さんが最初に住吉の長屋を立てた時に、「住吉の
長屋は大阪の都市的コンテクストの中で繰り返し建て得る」と考えられていたかはうかがって
いないが、安藤さん本人がそう考えた瞬間に、住吉の長屋は、コピーされ、増殖していっても、
すべてが本物の住吉の長屋になりうる。
■「僕は本物のニセおでんくんだ!」
でも現状の、もう1つだけ住吉の長屋がつくられる状況が醸し出す不思議さは、上記のような
「すべてどれもが本物」という状態とも少し違っているように感じる。
本物に対して、よく似たもう一つはニセモノでありながら、本物との対峙から何やら特別な意
味合いを持ち始めているように思うのだ。大量生産によりすべてが本物になった状態でもなく、
大量コピーにより本物以外がすべてニセモノになった状態でもなく、世界に本物とニセモノが
ひとつづつしか存在しない特殊な状況こそが、ニセモノにニセモノとしてのアイデンティティ
を与えているのかもしれない。
リリー・フランキーの絵本、「おでんくん」には、主人公とよく似たニセキャラクタ「ニセお
でんくん」が登場する。自信のなさそうな主人公の「おでん君」に向かい、「僕は本物のニセ
おでんくんだ!」という名台詞をはき、おでんくんをアイデンティティクライシスに陥らせる
強力キャラだ。ニセ「住吉の長屋」が放つ不思議な力強さに、「本物のニセおでんくん」的な
ものを感じてしまったのは僕だけであろうか。
安藤さんの、ニセ「住吉の長屋」建設計画は、現代建築における一品生産によるオリジナリ
ティや、大量生産による総本物化や、デジタル時代の大量コピーによるニセモノのまん延とい
う状況において、オリジナルの今日的な意味を問いただす安藤流の「挑戦」なのかもしれない。