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コラム

ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて

2018.05.10

パラメトリック・ボイス            木内建築計画事務所 木内俊克

 ヒト・シュタイエル「他人から身を隠す方法:ひどく説教じみた.MOVファイル」(2013)の
 インスタレーション写真。アメリカ空軍が50年代に規格化した、空撮用の解像度テストター
 ゲットがモチーフになっている。(撮影:筆者)

 ヒト・シュタイエル「他人から身を隠す方法:ひどく説教じみた.MOVファイル」(2013)の
 インスタレーション写真。アメリカ空軍が50年代に規格化した、空撮用の解像度テストター
 ゲットがモチーフになっている。(撮影:筆者)


2018年2月10日から5月6日まで水戸芸術館にて開催されていた「ハロー・ワールド ポスト・
ヒューマン時代に向けて」展を、ゴールデンウィーク最終日に何とか駆け込みで見ることがで
きたArchiFuture Webでの連載のトピックとも関係の深い内容があったのでメモを少々。
 
展示概要に、
「インターネットが社会に浸透し、人工知能などの新しい技術革新が進められ…テクノロジー
は人類に全く新しい世界をもたらしてきました。こうした変革は、希望に満ちた新しい時代の
ドアとして期待される一方、さまざまな問題や混乱が危惧されています…革新と混沌が交錯す
る現在、そして未来に対し、テクノロジーが作り出すこれからの社会について考える機会を
創出します。」(水戸芸術館HPより引用)
とある通り、展示は情報技術のもたらす功罪に関わる警笛的作品群で構成されていた。

デヴィッド・ブランディが、ネットからダウンロードした画像とテキストの再編集だけでいと
も簡単にリアリティのある地球滅亡のシナリオを再構成できてしまうデジタルメディアの暴力
性を「チュートリアル:滅亡に関するビデオの作り方」と題して提示し、サイモン・デニーが
「ブロックチェーン技術がもつ機能とその結果起こりうる混乱」(展示案内より引用)に焦点
を当て、レイチェル・マクリーンはSNSを題材に「メディアに漂う多幸感とその深層に潜む不
安」を映像作品として寓話化している。
 
展示タイトルである「ポスト・ヒューマン」はレイ・カーツワイルの著書 ”The Singularity
Is Near : When Human Transcend Biology” に与えられた邦題、「ポスト・ヒューマン誕生
[コンピュータが人類の知性を超えるとき]」(2007NHK出版)を想起させる。同著は
わゆる2045年に訪れるとされている特異点=シンギュラリティ―について緻密な科学的分析を
行った大著だ。人類文明を宇宙における原子構造の成立やDNAの形成にまで遡り、知性が形成
されていく過程に位置付け、「人間が生み出す非生物的知性」を含めた「知能プロセスと知識
の充満が宇宙全体に行き渡るプロセス」を予測している。ただしカーツワイルの議論では、ポ
スト・ヒューマンという概念を必ずしも重要視しているわけではない。コンピュータの計算量
が人間の脳を超える特異点以前でも以後でも、人間であることは「限界をたえず拡張しようと
する文明の一部である」ことでしかなく、「人工心臓」をつけていようが、「神経を移植」さ
れていようが、あるいは「脳に10個のナノロボットを挿入」していようがその数が「5億個」
に上ろうが、どこまでがヒューマンでどこからがポスト・ヒューマンかといった議論に意味は
ない、というのがカーツワイルの立場のようだ。
 
その意味で、ポスト・ヒューマン時代に向けてという副題は、展示概要にあるような特異点以
後への技術的妄信への警笛としての展示というより、むしろ技術の精緻で冷静な分析から、技
術を生み出し、技術と一体化するところの人間存在そのものの逆照射にまで射程を広げている
ことにこそ、展示の主眼があったのではないか。
 
特に冒頭で写真を掲載した、ヒト・シュタイエル「他人から身を隠す方法:ひどく説教じみ
た.MOVファイル」(2013)は、その点で非常に興味深い。画像の「解像度」を巡るインスタ
レーション/動画作品で、イメージが氾濫する現代で個人がカメラから身を隠す為には、いか
にカメラの分解能を欺けばよいかがコミカルに提示されている。
シュタイエルは本作品と同年に出版した「The Wretched of the Screen」に収録された
「In Defense of the Poor Image」の中で重度に圧縮され素早く拡散する為に劣化した画
像(ないし動画)ファイルを「Poor images」と呼び、議論している。内実を失うことで
スピードを獲得した「Poor images」のリスクと可能性がテーマだ。
「Poor images」は、一方でいわゆる大量消費的かつ資本主義的なイメージ供給に(画一的な)
手段を与えるリスクを抱えながらも、圧倒的多の個人に直接的かつ個別にリーチし、「興奮、
同調、不安の共有」をとおしてアノニマスでグローバルなネットワークを生み出す。そして
「楽観主義、ナルシシズム、自治や制作への欲求、集中や決断に至れない」あいまいさの中で、
「侵犯の一線をいつでも越える準備ができている現代の大衆」に漂う気分を表現する、新しい
媒体となりつつある、としている。かつてカーボンコピーのパンフレットやアングラ雑誌など
がそうであった以上に、「視覚的な実体を失うことで、逆に政治的なパンチを獲得」した
「Poor Images」は「新しいオーラをまとったもはや一つのリアリティーを形成している」
という指摘だ。
 
ここではイメージの「内容」ではなく、解像度が「Poor」であることが、その決定的な質の担
保に関わる鍵を握っていて、その技術媒体の浸透が私たちの自己生成と直接的に関わっている
ことが示唆される。「他人から身を隠す方法:ひどく説教じみた.MOVファイル」は、そうし
た議論と対をなしていると考えられる。「Poor images」の新しい媒体の中で、積極的に解像
度の《粗さ》に溶け込んでいくことの強度について、もはや政治的な正不正や善悪といった二
項対立にはおさまらない価値生成のリアリティーが、実に低体温でコミカルな手つきで提示さ
れている。
 
展示構成は、そのあと谷口暁彦の「address(アドレス)」(2010~)という、監視カメラを
ハックした画像(実際にはIPアドレスの入力によりネット上で誰でも取得できるイメージと
なっていたものを集めただけという経緯を考えれば、ネット上で公開されていた、と言い換え
てもよいのかもしれないが)によりつくられた写真作品が続く。ネット社会が可能にした情報
インフラにより取得され、つぎはぎされた、まさしく「Poor」なイメージによる谷口の作品は、
シュタイエルの提示するリアリティーが既に駆動していることを強く印象づける。
 
展示カタログ(まさかの売り切れで、ミュージアムショップでサンプルを立ち読みしただけな
のだが)に収録された砂山太一による「strange world, strange love」では、とあるテレビ番
組で、妻を失った蛭子能収が、機械により再現されたバーチャルな死別した妻に再会し涙を流
した事実を参照し、「これら(蛭子の為に準備された妻の再現の手がかりとしての料理、家具、
個人的な呼び方など)は、おそらく本人にとって事実よりずいぶんと解像度が荒く、とても信じ
がたい情報の媒介者であろうが、失われたものに対する蛭子の無意識的な欲望の前では、虚構
と現実を「滑らか」に接続するには十分な存在」であったことが記されていた。ここでも妻へ
の手がかりの「解像度」の粗さが新しいリアリティーに接続したこと、それがカタログへの寄
稿に掲載されたことは偶然だろうか。
 
いま一度カーツワイルをなぞろう。あえてポスト・ヒューマンをそれ以前のヒューマンと区別
するなら、それはヒューマンに起きた変化についてではなく(そんなものは存在せず)、むし
ろ技術媒体の精緻な分析と、分析にもとづく予測ないし現実に生起しているリアリティーの描
出をとおして、人間が本来的にもつハイブリッド性について明確な意識をもつようになった状
態をさすのだろう。そしてその意識を先鋭化することは、いままでの連載でも議論してきてい
る、現代の公共性が所在するところの断続的ネットワークを乗りこなす強力なツールのひとつ
となるように思える。
引き続きこうした実践的で個別な知見を蓄積していくことが、現代の公共性につながるヒント
につながっていくはずだ。
 
 

 谷口暁彦「address(アドレス)」(2010~)の展示風景(撮影:筆者)

 谷口暁彦「address(アドレス)」(2010~)の展示風景(撮影:筆者)