スイスの職人気質とデジタルコンストラクション
2018.10.11
ArchiFuture's Eye 慶應義塾大学 池田靖史
私の1年間にわたる地球放浪も期間を終え、いまは日本に帰ってきて、何か再出発するような
気持ちだ。たくさんの出会いを続けるにつれ新たな知識がより大きな好奇心を呼び覚まし、い
わば自分探しの旅だったのかなあと振り返っている。最後の3ヵ月間はスイスを中心にドイツ、
オーストリアなどの中央ヨーロッパで過ごし、そして帰国直前の週が本コラムで石津さんも紹
介している建築におけるロボティクスの学会だった。その経験を踏まえ今回のコラムでは、建
築と建設のデジタル化の世界的な潮流について、もう一度改めて考えてみたいと思う。帰国後、
いろいろな方からご質問を受ける点でもあるからだ。
一言でいって世界的に建設産業界のデジタルイノベーションへの期待は非常に大きい。10月
の中旬にはロンドンでDigital Construction Weekという大規模な展示会が開かれる。そして
秋のイベント・シーズンとはいえ、Built Environment – Additive Manufacturing
Symposium (ダルムシュタット10月)、Digital Building Lab Symposium(アトランタ、
10月)、East Africa Digital Construction(ケニア、11月)、Smart Construction Equipment VDI conference(アムステルダム、12月)など各地で関連するイベントが次々に
開催予定であり、この他にも AAGやACADIAといった以前からある学会も同時期にあって、帰
国しないで見てきたかったのだが、過剰といってもいいほどである。その理由はデジタルテク
ノロジーの広範囲な影響と関連を示すDigital Construction Weekの開催趣旨説明ダイアグラ
ムに垣間見える。データの流通がAI、IoT、BigData、Roboticsといった技術の結びつきを作り、
非常に広範囲な産業を巻き込みつつあるからだろう。つまり動きが総合的で相互関連性が高い
ことがその大きな要因だと思われる。
デジタルコンストラクション関連のプレゼンテーションで米国でもヨーロッパでも似たような
経済統計グラフが枕詞のように最初に示されることに気がついた。それは産業別の生産性(1
人あたりGDP)統計の推移なのだが、産業全体において建設業が過去数十年の間に唯一生産性
を向上できていない分野であることがはっきりと示されている。それは20世紀後半、製造業
はもちろんのこと農業などでも省力化と効率化が進められてきたとことを示している。そして
建設業だけが現場打ちコンクリートに代表される旧態依然とした作業方法に留まっていること
が原因であり、デジタル化による生産性向上こそが経済的発展に必要であるという文脈を導き
出すのが一般的である。社会的意義を裏づけするのに十分な論理である。ただ私はこのデータ
に嘘があるとは全く思っていないが、その解釈については一筋縄ではいかないようだと感じて
いる。
例えば、ロボットアームの先にコンクリートを歯磨き粉のように押し出す装置をつけて作る
3次元プリントは、現在世界中で開発が試みられている典型的な例であるが、その実現例とし
て作られた建物には伝統的な三角屋根の家型のものと、未来的な流線型の曲面の建築のように
非常に大きな隔たりがある。ロボットアームの制御はデータ次第だから直線に優位性はない、
その一方でレイヤーごとの重なりには製作上の限界があるから、断面的には直角に曲がるよう
な急激な変化を避けて滑らかに連続させたほうがいいことになる。それでも床のような水平面
を製作するにはあまり向かない方法だから、総合的な建築工法としては何か別の工夫が必要に
なる。さらにいうとそもそも曲面で構成された空間の方が建築の利用目的にかなっているかど
うかは技術開発とは違う次元の問題になってしまう。
どうもデジタルコンストラクションの技術開発には二つの異なる方向があるようだ。自動的に
床スラブの鉄筋を結束するロボットなどは確かに辛くて単調な建設作業を自動化し、スピード
とコストを大幅に改善することができる。しかしそれらの技術開発はこれまでとほぼ同じ工法
と材料で、ほぼ同じ形状の建築物を作ることを前提にしている。一方でロボットや自動化施工
を前提にすればこれまでには困難だった形態や扱いづらかった材料などが新たな利用可能な範
囲に入ってきて、そこに建築性能上の価値が見出せる可能性がある。それは例えば超軽量なコ
ンクリートシェルを製作して材料や輸送コストを大幅に削減する方法だったり、建築自体に環
境に適応して開口率を変化させるスキンを持たせたり、分解可能なバイオ素材を利用してリサ
イクル性を究極まで高めたりといった革新的な性能を十分に安価に実現できるようにすること
である。すなわち建設のデジタル技術の導入によって建築のデザインそのものがどのように変
化するか、ということにもう一つの技術開発の視点がある。既存の作業を無人化省力化してい
く方向と、新たな建築的な価値を創造する方向、建築の生産性向上には両方とも有効であると
思うが、短期的な経済的問題の解決ではなく、長期的な視点で社会を進歩・発展させられるの
は後者であろう。
この方向に意識的に取り組んでいる研究機関がイギリスからオーストリアにかけての西/中央
ヨーロッパ諸国に集中しているように私には思える。私が訪問研究者として3ヵ月滞在したス
イス連邦工科大学チューリッヒ校(以下ETHZ)はその一つの中心である。研究プロジェクト
やその成果はたくさんありすぎて紹介しきれないが、そこに共通しているのは、徹底した素材
の特性、接合方法、加工のプロセスや道具の研究を通じてその制約条件を分析した上で、ロボッ
トとデジタル技術がそこに起こせるイノベーションを模索し、その結果可能になる架構や形態
の新規性を示すという流れである。一例をあげるとすれば水分で膨張する木材の性質を利用し
たダボつなぎの方法を出発点に研究した木造加工が挙げられるだろう。このジョイント穴加工
をロボットで行うことを前提にすると立体角を持つジョイントが切断作業なしに比較的に簡単
に制作できる。2本以上のダボを使えば回転や引き抜きによるジョイントの変形がさらにロッ
クされる。もちろん角度的な製作限界が存在するし、強度的な特性も実験で検証しなくてはな
らない。しかしそれらの基礎数値をもとに製作可能な形状がある程度予測することができる。
そこで実験のために製作するモデルを設定し、その形状やダボ角度などを自動的に最適化する
ことを試みている。このようにロボティクス構法的観点の計算最適化(オプティマイゼーショ
ン)による形状探索(フォームファインディング)が一般的な方法論だと考えられる。
ETHZは10年前から世界に先駆けて建築デジタルファブリケーションラボを設立した実績を基
礎にして、2014年からスイスの科学財団によるから4年間で35億円の補助金を受けて国
立研究機関NCCR dfabになり、今年さらに2022年までの4年間の支援期間延長を受けてい
る。この資金で天井からロボットが何台も吊り下げられ走り回るアーキテックラボという研究
所を建設し、そこに80人以上の研究者(主に有給博士課程学生)を雇用して、この分野を強
力に推進している。スイスがNCCRとして予算を戦略的重点配分しているのは遺伝子工学など
の21分野だから、いかに重視しているかがわかるが、ちょっと面白いのは研究者の構成で
4分の3くらいはスイス人ではない、所長はカナダ人、教授陣もドイツやアメリカなど驚くほ
ど国際的である。世界のトップクラス研究レベルを実現するために有効に働いているが、これ
がもし日本なら、国の研究レベルの向上のための貴重な国家予算が国内の人材に投下されない
ことを問題にされないだろうか、と疑問に思った。魅力ある研究環境にMITのようなところから
も研究者を集めておいて、研究成果の知的所有権はETHZ dfab側が持つ原則であるから、いち
おう理にはかなっている。ただ、その発想は多様性と交流を日常化してきた中央ヨーロッパの
文化的な背景があるような気がしてならない。ドイツ生まれのアインシュタインがスイスに帰
化して暮らしていた若き日にその主な研究業績をあげ、のちに戦争を避けてアメリカに渡った
例は最も象徴的だろう。
それはスイスという国のあり方そのものから来ていることでもある。風光明媚な美しいアルプ
スの山国という印象が強いが、ドイツ、フランス、イタリアの3国に接し、その3カ国語がそ
のまま全て公用語として3地域を持っていて、少なくとも言語文化的には中間領域のようにも
見える。またスイスは経済的にはEU加盟国ではないが国境間の人の移動の自由に関する規定を
定めたシェンゲン協定に加盟しているから文化的な境界はかなり曖昧だが、では典型的なスイ
ス人がいないか、というとそういうわけでもない。島国日本では普段から日本人という定義は
自明のように感じられていて、改めてそれを問い直す機会は少ないが、スイスだけでなくヨー
ロッパ諸国では日常的に問われるアイデンティティの問題であり、それを定義できるのは境界で
はなく、核となる求心力のようで、だからこそ多様性も生まれるのだろう。具体的な内容には
様々なものがあると思うが、私が個人的に感じたことについて偏見を恐れずいえば、スイス人
にとってのそれは堅実な職人気質を尊重する文化のように思えた。時計は歴史的にスイスを象
徴する機械産業であって首都ベルンにある時計塔のからくり時計は江戸時代の始めから動き続
けている。安定した精度が求められる機械であるが産業革命よりずっと以前からあって大量生
産の工業化とは違う側面を持つ。その後、各人の行動を時計で同期させることで社会活動を組
織化する意識が鉄道技術の発達と合わせて山間地の国土を急斜面の奥地まで利用可能にした開
発の歴史は、高度な働きをする機械によって人間が自然のなかに共生する機械技術文明観と捉
えられる。おそらくそれが、時間に正確で仕事場の整理整頓にうるさい職人的な人間性が尊敬
されることにも通じている。さらに、精緻な作業や新しい工夫に没頭する能力を美德と感じ、
それを楽しむことを人間の幸福の基準とするような価値観を育んできたと思えば、ETHZ dfab
の研究にも大いに通じるところがある。そう言えば実験室もいつも綺麗に片付いていた。
さて、目の覚めるようなユニークな成果をあげているように思えるETHZ dfabであるが、批判
的な議論がないわけではない。その最も典型的な論点は斬新に見える実験構造物の形状が実用
上何の意味があるのか明示されないことである。何も考えていないということも決してないの
だが、確かに彼らは既存の社会に需要が存在する建築的形状に合わせて技術開発するのではな
く、新技術の特性を分析して可能性を最大限引き出すことを主眼においていているから、実験
構造物の形態はその工法の得意分野を示すためのサンプルであってその目的や意図はあまり説
明されない。結果としてロボットの曲芸ショーのように見えてしまうことは、からくり時計の
伝統にも重なって見える。しかしそれもある意味では周辺諸国の中での立ち位置を踏まえて意
図的に取っているスタンスなのかもしれない。前衛性やファッション性、社会哲学的な位置付
けといった人文的な側面は他の国に譲っても大丈夫という層の厚さとコミュニケーションの密
度があるのがヨーロッパの強みであると捉え、批判を承知で職人的価値観にとどまる方が幸せ
だと考えるのではないか。
ETHZ dfab の最大のライバルで目覚しい成果をあげているのはドイツのシュツットガルト大学
にあるICDであるが、チューリッヒはスイスの中ではドイツに近い位置にありシュツットガルト
までは電車で2時間半で行けてしまう。さらに、ロンドン、アムステルダム、コペンハーゲン、
ダルムシュタット、ミュンヘン、ウィーンなど日帰り出張圏内にある先進的な研究機関が同様
な方向を追い上げているのは、密接な研究交流が日常的に可能な距離感であることが作用して
いるだろう。どの街に行ってもローマ帝国から始まる違った時代の様々な構造物が残存してい
て、長い歴史が積み重なってできてきた多様性と共に暮らしていることを常に感じる。それが
人材の流動性と地域文化の固有性の相乗効果を生む強みとなっていることは、米国のような場
所から見た場合ですら羨ましい限りだろう。オーストラリアや中国のような離れた場所でも主
にこれらの場所で学んだ人材が、その関係を保ちつつ自国での展開を模索していることを見れ
ば、人材の流動がもたらす効果は大きい。
最後に、日本の進むべき道はどうだろうか。私は海外の動向を追うだけの追従論はあまり好ま
ないが、上記のようなデジタルコンストラクションによるイノベーションを求める研究につい
て取り組みが不足していることに寂しさを感じざるを得ないし、日本がこれまでの技術文化を
礎に国際社会の中で貢献していこうと思うのであれば、国際協調的な活動の不在に危機意識を
持つべきだろうと思う。いっぽうで伝統木造のように東南アジア地域に共通する技術文化を、
非常に洗練された形でいまでも社会の中に保持していることは、スイス人と同じように誇りに
思うべきであり、建築と建設のデジタル化がもたらす社会のあり方について、西洋文明とアジ
ア文明の交差点としての役割を果たせるようになれば素晴らしいことだと思う。そのためには
企業間の競争や、経済的な価値観に拘泥しない大きな連携関係が必要ではないかと思っている。