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コラム

コンピュテーションの25年の変貌~「ホンダ青山 ビル」の25年賞に思う

2015.07.28

ArchiFuture's Eye               ARX建築研究所 松家 克

日本建築家協会の25年賞を受賞したホンダ青山本社ビルの企画設計が、本格的にスタートした
のは30年以上前の1981年、私が32才になったばかりの頃だ。世界一安全なビルと将来を見据
えた最新の建築を目指せとの本田宗一郎氏の強い要望で企画案が練られた。椎名政夫氏を中心
として、解体予定の現場のビルに椎名政夫建築設計事務所と石本建築事務所との協同チーム
「ホンダ青山ビル設計室」が設立され、このチームに施工を担当する間組の設計部が合流。
ピーク時で意匠と構造、設備の設計者も含め総勢30名以上が参加した。設計期間は、約1年半
に亘っている。

この時は、全てがアナログで設計業務が動いていた。FAXすら無かったにも拘らず、当時とし
てはこれからのデジタル化と情報化・省エネ化社会を想定しながら最新の情報化対応の本社機
能を備えた建築を目指していた。まだ、平行定規と三角定規とステッドラー(鉛筆芯研ぎホル
ダー)の世界であった。今では、このビルの図面もデータ化されているが、当時は手書き図面。
多くのスタディ模型も制作し、膨大な時間を費やしビル風などの多くの検証をしていた。つま
り、当時の設計は、その時間を見込み、ゆっくりと設計業務が進んでいたと言える。
 
この時期を同じくして、1980年代は、パーソナルコンピューターが激動的に普及を遂げていっ
た。日本では、嶋正利氏らが71年にマイクロプロセッサーを開発、NECが8ビットのPC8001
に続き82年に16ビットのPC-9801を市場に投入、アップルが77年のAppleⅡに続き、84年に
初の本格的なPCとなるマッキントッシュを発表。歴史を振り返れば日本製のマイクロプロセッ
サーやPCが、グローバルスタンダードになった可能性もあったと言える。建築設計業務にもこ
のころから少しずつCAD化やデジタル化に向けた足音が近づきつつあり、日影ソフトなどは、
既に実務で利用が可能となっていた。

1980年代の後半にCAD化に向けた研修や情報やCAD化による今後の設計とデザインに弊害はな
いかなどの論議が飛び交い、活性化された時代を迎えることとなる。高価なオフコンと呼ばれ
た大型から中型機でのCAD化を大手ゼネコンや大手設計事務所で検討をはじめ、導入した事例
も少しながら増えつつあった。後にPC化に進むこととなるが、自社開発のソフトで環境整備を
図る大手事務所もあった。日本でもNTTのデモスの開発チームのメンバーが、独立し、PC向け
のソフトの開発を始めている。この後、雨後のタケノコのようにソフトハウス各社が競ってPC
向けのCADやCGソフトの開発を進め、設計の現場では、スキルの習得やハードの選択に勤しむ
時代を迎えることとなる。

ホンダ青山ビルの25年賞も含め、コンピュテーションの25年の変貌ぶりには感慨深いものがあ
る。普及してからおおよそ25年の今、ハードは飛躍的な能力の高度化が進み、ソフトは幾多の
シミュレーションを可能とし、CADもBIMなどに展開をしている。スマホやタブレット、3Dプ
リンターなどの新ハードや異分野で開発されたソフトなどが建築の設計に応用され、25年の月
日の中で建築設計の業態も大きな変貌を遂げている。映画やゲームソフトなどのスキルの応用
やプロジェクションマッピングなど新スキルやソフトとともに建築分野での応用範囲も拡大を
続けている。
 
ホンダ青山ビルは、一昨年に大規模な改修と改善を加え、最新の環境対応の建築として再構築
された。併せ、これからのコンピュテーショナル関連の25年は、どのような発展と再構築を遂
げるのか、興味が尽きない。


松家 克 氏

ARX建築研究所 代表