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コラム

さよなら平成

2019.04.18

パラメトリック・ボイス               前田建設工業 綱川隆司

このコラムは改元を迎える頃に掲載されると聞いています。自己紹介を兼ねて平成の30年間
を建設ICT的に振り返りたいと思いましたので少しお付き合いください。

私は平成元年に大学の建築学科に進学したので、平成の時代は建築の道を志した時間と重なり
ます。在学中にはまともなCADの講義はなく現在のようにPCで自由に使えるソフトも所有し
ていなかったので、設計課題はもちろん手描きで、当時大流行していた鉛筆のドローイングを
頑張ってました。バブル崩壊直後にゼネコンの設計部に入ったのですが、当時作図はまだ手描
きが基本で、一人に一台ずつ与えられたドラフターを誇らしく思ったのを記憶しています。バ
ブルの余波で残業代はまだ青天井であり、働き方改革など遠い未来の話なので、私は会社に住
んでいるかのごとく生活の大半の時間をそこで過ごしていました。その時に偶然自席の隣にあ
るマッキントッシュ(Mac)と運命の出会いを果たしたのです。

当時業務でCADも使われていましたがまだ青焼きの時代出力はペンプロッターが主体でも
ちろんモノクロです。では図面に着色はどうするかといえばカラートーンを貼ってました。隣
のMacにはMiniCADがインストールされており、これを使うとフルカラーの図面が流麗なフォ
ントで出来あがります。今では当たり前かもしれませんが、WYSIWYG(What You See Is
What You Get)のMacの環境はWindows3.1にとどまっていた私には大きな衝撃でした。ま
たMiniCADには3D機能もついていました。レンダリングは時間がかかる上に見た目もイマイ
チなので建物形状を入力しパースを付けた線画にPhotoshopを使い着彩していました。それ
だけでもプレゼンの見栄えは格段に良くなり、生産性の向上も実感していたのでその技術の習
熟にはかなりのめり込んでいました。

ただWindows95のGUIを継承したWindowsNT4.0が出始めたあたりから、ことあるごとに管
理する側は私からMacを奪おうとしました。MiniCADも製図要領無視の非社内標準CADに過ぎ
ません。今の若い人は信じられないかもしれませんが当時Apple社は経営不振でそのうち消え
て無くなるとさえ噂されてました。某大手有名新聞社のコラムで「OSが複数あるのは消費者
にとって不利益である」と暗にWindowsに独占させることを是とした内容が掲載されたこと
を今でも記憶しています(BIMのソフトで同じことを思っている人はいませんか?)。適切な
競争状態を保ちそこから選択できること、つまり多様性はユーザーにとってメリットだと今な
ら確信が持てます。先程の件は抵抗した結果私の席にはMacとDOS/Vマシンが並んで鎮座す
ることになり、管理者からは二人分働けよ、と訳の分からないことを言われました。その時点
で既に机から製図板は取り払われていました。

1999年に大予言にあた恐怖の大王は降臨せず無事に新世紀は始まりましたがその頃から社
命で建築の3次元設計を行うようになりました。これは以前のようなお絵かきではなく、生産
の領域まで含めて製造業をお手本に3次元データを活用しようという野心的な取り組みです。
当初は意匠・構造・設備が同じ汎用3次元CADを用いてこれに取り組んでいましたが、汎用
CADのインターフェースでは設計者目線で見たときの生産性向上の道筋がなかなか見えません
でした。そこで約2年で方針転換し、各分野で自分たちが使いたい3次元CADを選び直しそれ
らのデータの互換性を図ることにしました。目的に応じて最適なアプリケーションを使用する
こと。これは今でもBIMマネージメントセンターの業務を考える上での基本となっています。
当時はまだBIMという言葉自体を知りませんでしたがこれは「OPEN-BIM」の概念そのもので
あったと振り返ります。しかしそれぞれのソフトウェア間のコンバーターを自社開発する必要
があったので、その互換性やメンテナンスに大変苦労していました。

その後、転機となったのが2009年に始まった仮想コンペBuild Liveです。現在のbuilding
SMART Japanが主催するこのイベントではIFCの援用を促されました。これを契機に自社コ
ンバーターに見切りをつけ、IFCの活用に傾注していくことになります。当初はCADのデータ
を解析で使うシミュレーションソフトへ渡すことは思うようにいきませんでした。ソフトの開
発元もチームに巻き込む形でトライを続けることでIFCをベースとしたデータフローが出来あ
がりました。その発端である2009年は「BIM元年」と呼ぶに相応しい年であったと思います。

東日本大震災が起きたのはその後でした。私たちの業務にも大きな変化があり、福島や岩手な
ど東北復興のプロジェクトに複数携わりました。ここでは詳細に触れませんが、BIMとしては
合意形成の早期化とプロジェクトのリスク低減に有用性が確認できましたが、住民の帰還やそ
の復興のスピード感については報道の通り一筋縄ではいかない思いがあります。またデザイン
ビルドやECI方式など発注形態の多様化が始まりました。

最後の数年の話題としては木造物件の増加があります。それまでは鉄とコンクリートで建てて
いましたが、そこに木という選択肢が加わりました。林業の現状から基準法改正を含め木造に
誘導する施策があった訳ですが、シンクロニシティで欧米でも木造がトレンドになっているの
も興味深い事象です。いくつかの大型木造建築をBIMで取り組むことにより、そのデータを生
産の現場で活用する糸口をつかみました。先日開所した弊社のICIラボ(新技術研究所)では
木造の建屋を計画し、千葉大学と共同開発したBIMデータが連携する木造加工機により部材の
一部を加工しています。

 「ICIラボ」 ネスト棟(木造)の建方

 「ICIラボ」 ネスト棟(木造)の建方


さて私なりに平成の時代を振り返りました。一貫して設計に携わっていますが、作図が手描き
から2D-CADに移行、さらにBIMへと変貌を遂げた慌ただしい30年でありました。つかい方を
覚えては消滅してしまうソフトウェアも数多く、今思えば時間的な負担を強いられていた感も
あります。設計者の負担に対しては職能や職域の細分化やBIMの専門化によって対応すべきと
の声も聞こえます。「設計者自身が使うBIM」を私は標榜していますが、働き方改革が叫ばれ
る今日では理想論に聞こえるかもしれません。私は少し楽観的で今後AIやRPAといった進化は
設計者の仕事を奪うのではなく負担を軽減してくれるものと信じています。

先日出版された「検証 平成建築史」(内藤廣、日経アーキテクチュア)において、内藤氏は
「平成の30年は映画の予告編にすぎず本編はこれからはじまる」と結んでいます。若い人を
鼓舞しつつ、「これからの変革に昭和生まれはついていけるかい?」と問われた気がします。
既存の仕組みに抗い続けた平成の時代に別れを告げこれからはそこで出会た仲間たちと新
しい旅がはじまる予感がしています。

 ICIラボはリアルなファンタジー営業部でありリアルなBuild Liveである

 ICIラボはリアルなファンタジー営業部でありリアルなBuild Liveである

綱川 隆司 氏

前田建設工業 建築事業本部 設計戦略部長