Magazine(マガジン)

コラム

【BIMの話】ボーッと生きてんじゃねーよ!
(とチコちゃんは言う)

2019.06.11

パラメトリック・ボイス                竹中工務店 石澤 宰

ある人とまた別の人の態度に「温度差がある」と英語で言おうとしてそのまま”temperature
gap”と表現し、どういうこと?と質問されて説明していたら「面白い表現だね」と言われた、
という経験があります。

あるものの実際の温度と無関係にhotやcoolという表現を使うことは確かにあります。燃える
ような辛さはhotだし、ミントの清涼感はcoolです。マーシャル・マクルーハンはメディアそ
のものが(内容とは別に)メセージであると説き情報の密度が高く受け手が想像力を働か
せる必要の少ないメディアをhot、その逆をcoolなメディアと名付けました。概ね、注目や意
欲などがたくさんある状態はhotだしスカした感じもするような冷静な態度はcoolなのだか
その差を温度差と言っても差し支えないような気はするのですがそうは言わないらしい。

鉄は熱いうちに打て、とは、熱力学の第2法則に従った見事な表現だと思います。人間の意欲
の高低を熱になぞらえる妙のひとつは「基本的にはエントロピが増大する」というところに
あるような気がするからです。つまりやる気は最初ほとばしていて比較的すぐに失われ
たいてい戻ってこない。
仕事の内外を問わず、なにかの資料やプログラムをシェアする機会がよくありますが、概ね、
送ったあと数日中にリアクションのない人がその後中身を見る確率は低いように思います。
「すぐやる」というのはたった4文字ながら極めて重要な生活習慣です。

そうした現象に対する理解というものも進んできたのでしう、人の注目・注意力は逸れやす
いということを前提としたアプローチが身の回りに増えてきました。
「チコちゃんに叱られる!」というEテレの番組が好きなのですが、あの番組は45分番組であ
りながらテーマ曲と番組タイトルが流れるのは開始およそ13分が過ぎてからです。ほかにも
多くのバラエテ番組がいま、最初にタイトルコールをしなくなりました。最初に中身の面白
みが伝わらなければ視聴者は戻ってこないからです。
人が何かに入っていくということ、もっと言えば、興味のない人を振り向かせてその後もそこ
に居てもらうことの鍵は、そのほんのわずかな出だし部分の濃密さにかかっているわけです。
プロジクトや会社の概要から歴史を踏まえて中身に入るプレゼンが常に最良とはいえません
私の毎度毎度の冒頭の無駄話ももちろんそれを意識してのことです(うそです、オチに伏線を
張っているだけです)。

機械学習や深層学習データマイニングなどを試みていくつか検索してできそうな方法を試す
ということをよくやるわけですが、最近は本当に「とりあえず通り一遍できるようになる」ま
でのハードルが驚くほど低いものが多くあります。Qiitaなどでやり方を調べソフトをダウン
ロードし、チュートリアルを一通りいじってみて、あとは自分のファイルで試す。本当に簡単
です。そもそもソフトウエアは人が使えるように作ってあるわけですから、そうして補助線が
引いてさえあれば出来るようにはなるわけです。
ところが、その後です。切れるナイフを手にしたら色々切りたくなるもの。あれこれと適用し
てみてふと気付きます。これ、本当にこの手法でいいの?他の方法があったりしないの?

ここで、基本的な知識・リテラシーを持たずにツールを使うのは危険だ、学習システムなどの
不適切な使用によるエラーは発覚しにくい、十分な基礎力を得るまでは軽々しく使うのを控え
るべきだ、なんて言うのは簡単です。そしてたしかにそれは正しい。
しかしそれでもできないよりできた方が『えらい』のです。私は実務者であり、研究者(見
習い)です。理論の重要性には敬意を払いますが、まずは手が動いてナンボと思っています。
これだけ色々なものの入手可能性が広がっているいま、ひょっとして「基礎を重視する」とい
うことが色々なものを遠ざけていやしないか、と心配になってきます。

基礎を大事に、型を大事に、とは私が野球部だったときに山ほど言われたことで、私は基礎を
大事にしない、ムラっ気のあるタイプのプレイヤーだったので色々と指導を受けました。
しかしその一方で、いかに基礎練習をしても、打って楽しい、守って楽しい、というスポーツ
本来の喜びから離れてしまったら続きません。水泳部の友人が「部活の最後はかならず遊ぶ、
泳ぐって楽しいと思い出すまで」と言っていたことを思い出します。
部活動にはある程度の拘束力があるのでそれでも機能しないことはありませんが、やはり「あ
るレベルに行って基礎の必要性を痛感する」という方法は悪くないな、と思うのです。自己流
の英語でよくても公文書や論文を書くときに文法を気にする。自分用の料理は適当でも人が来
るならきちんとレシピを見るし計量もする。最初から基礎をやっていればそんな必要はない、
そうそのとおり。でも私にはそのマントラのせいで「基礎の途中で嫌いになってしまた」
人のことばかり気になってしまうのです。
やる側のモチベーシンは大事。でもズム理論も言うようにもともと2割ほどの人が興
味を持てば成功で、最後の16%の人は何を言ったって意見を変えない「ラガード」です。そう
思って、少しずつ展開していくのが道だし、私はそういう人を応援したいと思っています。

そしてもう一つ思い出すことは、コンピュテーショナルデザインやデータマイニングの世界に
踏み込むと、ある程度できたところで「もうモノになっている!素晴らしい!」と言われるこ
ともまた多いということ。
できるようになることは素晴らしいし、成果を褒めて伸ばすことは重要です。しかしそんな時
こそ、いろいろと質問しなければなりません。この方法で保留にしたことはないか?開発時に
とりあえずで設定した部分はないか?ほかに使用可能だが検証していないエンジンはないか?
こうしたことは多くの蓄積がある確立された分野では自ずと過去からの参照で大半のこと
がチェックできるようになっていて、その手続きを教えることもできるようになっているもの
です。しかし、まだ蓄積の足りないこれからの分野では誰もそれを網羅できない。

私の母校には「半学半教」という言葉があります。もともと、福澤諭吉が経営者かつ唯一の教
育担当者という状況で、他の学生が先に学んだことを教えたことに由来しており、文明開化期
の教育機関にはままあったことのようです*1。
基盤が未成熟ななか拡大するための必然的な戦略。しかしその含意はそれだけにとどまらない
ように思います。なにかを極めることは難しいから学びは終わらない。一方で、教えることは
学ぶ機会としては絶好です。

アンラーニングが必要なのはマネジメントです。実務者の楽しみを奪わないよう新しいものに
は大いに微笑み、かつ、新しい技術が使われはじめ、プロジェクトで成果が見えてきはじめた
ときこそ懐疑的に。
そういう温度感のマネジメントが一般的になると良いですね。Cool head, but warm heartと
いうやつです。そういえばチコちゃんは目から火を出して怒るわけですが、怒ることはやはり
heat upというわけで、temperature gapはやっぱり悪くないと思います。なぜ言わないのだ
ろう。謎です。

*1 [慶應義塾豆百科] No.16 半学半教

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 コンピュテーショナルデザイングループ長 / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授