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コラム

デジタルに生きるエンジニアの職と道具

2019.09.24

パラメトリック・ボイス       ジオメトリデザインエンジニア 石津優子

建築業界では職人や文化とデジタル技術を二項対立として捉えて議論されることが多くありま
す。デジタル技術やオープンソースは世界中どこでも同じだから文化が希薄になるという話も
未だに聞きます。デジタル技術に携わることを職とすることを目指して日々格闘している身と
しては、全く共感することができず、それがどこから来ているのかということを考えてみまし
た。まず前提として、「デジタル技術は建築をデザインするための道具に過ぎない」と表現し
ている話は、どこかデジタル技術やそこから生まれた道具を自然発生的な無機質なもののよう
に捉えているようで違和感があります。オープンソースにしろ、デジタル技術にしろ、どこか
の誰か人が作っているものです。その人たちの作り手としてのカラー、文化が色濃く反映され
ています。道具を大事にしない職人は、成長しない、建築では当たり前のように語られること
がデジタルになった途端、単なる使い捨ての道具、または飛び道具のように一過性の流行のよ
うに消費されていくことに非常にもどかしい気持ちになることがあります。道具そのものに対
する愛着、道具を作っている人たちに対する尊敬の意はデジタル技術でも同じです。道具その
ものの利便性もそうですが、それらを作っている人たち、コミュニティ、文化に共感している
からオープンソースに貢献しています。ボーダーレスと文化の欠落は全く別のことで、人が集
まって創造する活動が文化でないわけがありません。

ただデジタル技術に対して確かに文化の欠落が起きやすいことは感じています。文化の欠落と
は、道具に対する愛着がない中、習得したように見せて修練を怠ったときに生まれているよう
に感じます。プログラミングは、確かにコピーアンドペーストすれば確かに動きます。ただし、
それは文章と全く一緒で、自分で書かないと成長はしないです。コピーアンドペーストをする
なという話ではなく、それをすることで何かを得た気になり、技術自体に対する敬意を払わな
くなったとき、そこで満足して終わったときに文化の欠落が生じています。何日あればできる
ようになりますかという質問を受けますが、動くプログラムを書くという技能は身についても
プログラマになる、エンジニアなるというのとは別の話です。必要なのは日数ではなく、コ
ミットメント、つまりどれだけ真剣に誠実に技術と向き合うかという姿勢だと感じます。講習
を受けたので、もうBIMできますという話も同様で、ソフトウェアの操作は理解しても、BIM
の専門家になることとは違います。実践や修練なしに何かになることはどの職能でも有り得え
ません。

デジタルツールを愛する心、そこに自分の時間を費やして、習得しよう、熟練になりたいと熱
心に取り組む人たちがエンジニアであり、生き方は職人そのものだと感じます。一部の天才を
除くと誰もが自分のレベルに苦しみ、乗り越え、さらに苦しみ、ときに喜び、切磋琢磨してい
ます。

先月からRevit開発系の勉強会を主催しました。少人数の勉強会でしたが多くの熱量と何とも
言えない高揚感がありました。それは道具を大切にする精神と技術向上に対する貪欲な人たち
が集まっているからでしょう。損得を超えて、お互い尊敬する心も持ち合わせて、相手から学
び、そして教えるという相互の関係性があるからだと思います。

道具を使うことと、作ることは、捉え方によって広げられます。何も生み出していない、何も
インパクトを与えられていない、そう悩む人がいるかもしれません。貢献の仕方は一通りでは
ないのです。ブログに情報を載せることも、動画を投稿すること、サンプルコードを提供する
ことなどはもちろんですが、勉強会に参加することも、記事を読むことも、どんなパッシブな
行動もデジタル技術の貢献に繋がっているのです。

 道具のイメージ

 道具のイメージ

石津 優子 氏

GEL 代表取締役