建築計画学からの解放
2020.12.17
パラメトリック・ボイス
東京藝術大学 / ALTEMY 津川 恵理
このコラムを読んでいる人は、今どこに居るのだろうか。家、オフィス、駅、電車の中、道の
途中、など色んな場所を想定できるが、揃って言えることは、今いる場所を何かの名称で呼ぶ
ことは可能である。つまり、この世に名前のついていない場所はほとんど存在しない。
建築が建つ時、建築基準法上で制限を受けるのは、建築がもつ用途だといえる。集合住宅、オ
フィス、ホテル、美術館、市庁舎など、設計する上での制約は、建築がもつ機能に今まで依拠
してきた。
しかし2020年、地球は大きな打撃を受けた。全ての人の日常が、非日常になり、これまで生
きてきた中で培われた常識は覆された。ホテルが病院の用途をもち、カラオケがサテライトオ
フィスとなり、道は屋外カフェテラスへと化した。人というのは柔軟な生き物で、緊急事態と
なればいとも簡単に常識を覆し、環境変容に適応して生きていくのだ。
それに対し建築は確固たる物質性を伴い、竣工後に、環境に適応して移り変わることは不可能
である。人がマイクを持って大声で唄っていたカラオケボックスも、いつしかオフィスワー
カーのための空間になったとしても、建築は変わらない。変わることが出来ないのだ。外から
そよそよと入ってくる風や、庭に咲く季節の花の香り、一日の中で動いていく陽の光などを、
建築内部に取り込むことは出来ても、依然としてそこに建築は建ち続け、変わっていく事象を
茫然と眺めることしか出来ない。
世の中が目まぐるしく移り変わる今、建築や都市はどうなっていくのだろうか。そんなシンプ
ルな問いを、ありとあらゆるメディアで目にする機会が増えたが、変わることが出来ない建築
にとって、建築の常識も見直してみる必要がありそうだ。大学教育ではよく、誰がどのように
過ごすかを具体的にイメージして設計することが求められてきたが、特有の場所性が失われた
今、本当にそれは必要だろうか。建築がもつ社会的需要が具体的であればあるほど、その需要
やシステムが崩壊した際に、それが成立しなくなることも目の当たりにした。
私は学生の頃からこのことを考えてきたのだが、建築で重要なことはおそらく用途ではない。
空間がもつ重要な機能は、「カフェ」や「図書館」ではなく、人に何を感じさせ、どのような
振舞いを生み出すのか、ではないだろうか。そして、何を感じるか・どのような振舞いに繋が
るか、という点は人それぞれ異なり、移り変わっていくものである。
安全性や共通の認識を求め、ある数値に意味を集約することで設計の基準となってきた、「建
築計画学」を今一度見直した方が良いと、私は思う。もちろん多くの場合は、それによって獲
得できる快適性もあるのだろうが、人の行動を制御し、建築空間がもつ機能を1つに集約する
ことから、建築を解放してみたい。それぞれに抱く感性によって、人は何を感じ、何を考え、
どのような行動をとるのか、多彩に展開し得る建築環境がもし存在するのであれば、都市にお
いては新たな公共性を獲得し、建築においては新たな快適性を手に入れることが可能になる
だろう。いつか、そんな建築を設計してみたいと思う。
そして、新たな快適性を獲得した建築で、思い存分に振舞い、いつか過ごせる日がくることを
願っている。