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コラム

アプリの時代

2021.01.12

ArchiFuture's Eye                 日建設計 山梨知彦

もう昨年のことになるが所属する会社でとある指針を示す文章の取りまとめの担当となた。
いろいろ考えてみて、ウェッブブラウザ上で作動する一つのアプリとしてまとめてみることに
した。

   今やアプリの時代が到来した。アプリさえあれば何でもできそうな時代になった。
   ウルトラヒーローだって、今の時代ならスマートフォンのアプリで返信するに違いない。

   今やアプリの時代が到来した。アプリさえあれば何でもできそうな時代になった。
   ウルトラヒーローだって、今の時代ならスマートフォンのアプリで返信するに違いない。


■小冊子からPDFへ
社内文章といえば、少し前までならばパンフレットか小冊子にまとめて社員に配布するのが
一般的だった。1980年年代にDTPが発明され、PC上のワープロで見栄えのする文章が誰にで
も手軽に出来るようになり、小冊子の制作に要する時間とコストが大幅に削減されたためだろ
う。もっともこうして乱発される小冊子に、配られる側の社員はうんざりしていたのではなか
ろうか。ファイリングが苦手な僕は、配られた冊子を無くしてはいけないとばかりにしまい込
み、いざ必要となると必ずと言っていいほど見つけられずに難儀したものだった。整理整頓が
苦手な社員にとって、社内文章の紙媒体化は、有用なアーカイブの組み立てではなく資料の死
蔵へと直結していた。もっとも社内での席替えの度に、そんな死蔵された冊子がそこここの机
の引き出しや棚からたくさん出てきて膨大なゴミを生み出す光景を見てきたので、紙媒体化さ
れた社内文章の取り扱いは多くのビジネスマンを悩ませていたに違いない。
そんな理由からだろうか、最近の社内文章はデジタル化される方向に進んで来た。最も標準的
なのは、そもそも社内文章そのものがワープロなどでデジタルデータとして作成されることが
ほとんどなので、そのままPDF化してイントラネットやクラウド上のサーバーに共有データと
して保管する方法だろう。ということで、最初は文章取りまとめの最終的な形をPDFにするこ
とをぼんやりと想定していた。
 
■ノウハウ、形式知、暗黙知
そもそも指針をまとめる目的は、社内でバラバラに偏在している知恵を集めて、整理し、効率
的に再利用することで、仕事のクオリティを高めることであった。ポランニーのアイデアを
ベースにして、僕は組織や集団が持つ知恵を以下の3つに大きく分けて捉えている。
1つ目は、いわゆる「ノウハウ」であり、経験の中で培われてきた一定の作業をこなすための
最適な手順の類だ。これは経験の中で既に形式化された手続きであり有用ではあるが、知と呼
ぶのは少々はばかるような類の情報ともいえる。そのノウハウを獲得済みのベテランであれば
比較的簡単に文章化や図式化が出来るので、マニュアルというかたちでまとめられることが
多い。
2つ目は、より広くかつ背景にある因果関係を含めて体系化された知、「形式知」である。い
わゆる学問がこれにあたり、かつては大学や研究機関の独壇場であったが、最近では企業が知
の体系化に中心的な役割を果たすケースも見えてきた。一般には書籍という形で知の体系がま
とめられ、講義などで補完されて伝授されていく高度に体系化された形式知だ。
3つ目は、人や組織の中には確かに存在するものの、まだ整理や形式化が進んでいない知恵で、
今では広く「暗黙知」と呼ばれるもの。それぞれの企業が持つ中心的かつ重要な知、コアコン
ピタンスの多くは暗黙知として形成されるのが常である。
 
■形式知化すべきもの・マニュアル化すべきもの
これら3つの知恵に即していえば、多くの企業や企業の上層部が目指すものの一つは、それぞ
れの企業が持つ「暗黙知」を体系化して再利用しやすいかたちでまとめて「形式知」にするこ
とであろう。その目的は、企業固有の文化ともいえる暗黙知を形式知化することで効率を上げ、
生産性や質の向上を図ることにあるといってよい。だが暗黙知を形式化した瞬間に、手ですく
い取った水が指の間からすり抜けてしたたり落ちるかのように、暗黙知の本質も抜け落ちてし
まい、後に残るのは悪戯に形骸化したルールだけとなり、社員に拘束感を与えてしまうといっ
た悪しき結果につながることも多々ありそうだ。いや実は、大抵の形式知化の試みは、このど
つぼに陥ているのではなかろうか。社内に暗黙知として存在する大事なコアコンピタンスを、
形式知化ではなくノウハウ化・マニュアル化してしまい、創造性に欠けた拘束された作業手順
に貶めてしまうという間違いだ。一方で、創造性の欠落を恐れるあまり、知的活動に付帯する
雑事のノウハウ化・マニュアル化や自動化を怠り、いつまでも雑事で貴重な時間を浪費すると
いう無限ループから抜け出せないでいるという間違いもある。デザイナー、プランナー、エン
ジニアといった職能を持った社員が過半を占める僕の所属する企業でもノウハウ化による創造
性の欠落を恐れるあまり、コアコンピタンスの形式知化や付帯する雑事の自動化が、これまで
はあまり進んでいなかった。
重要なことは、社内の暗黙知のどの部分を形式知化し、それに付帯する諸々の雑事をノウハ
ウ化するかを適切に判断することと、その2種類の知を使いやすいかたちでリンケージするか
にありそうだ。コアコンピタンスの本質的な部分については悪戯なルール化による拘束を
することなく、社員と企業とがインタラクティブに呼応しつつ自律的に向かうべき方向を目指
していくことを促すようなかたちでの形式知の取りまとめをすべきである。同時に付帯する雑
事(社内申請書の作成・提出や、関係部署へ報告・連絡など)をノウハウ化、出来れば自動化
して組み合わせることが、今、社内文章に求められているかたち、デザインではないか、との
思いに至った。
 
■コードからアプリへ
それでは、ルールによる拘束によらず、企業と社員が自律的に向かうべき方向を目指して進む
ことを後押しするには、どうしたらよいのだろうか。
たしか、法学者のレッシグはその著作「CODE」の中で、人間の行動を規制するのは、「法」
すなわちここで言っているルールだけではなく、倫理観といったような「社会規範」や、「市
場」、そして「コード」だと言っていた。コードというのはインターネットを代表とする社会
を取り巻くデジタルな仕組みや仕組みを構築するものの総称。コンピュータープログラミング
言語によるコーディングのこと。現代人の行動は、法や社会規範や市場に加えて、プログラム
言語によりコーディングされたインターネットにより大きくコントロールされている、という
のがレッシグの世の中の見立てだった。

「規制」というと縛り上げられているようでそこから逃れられたくもなるが、冷静になって
僕らの日常を見直してみると自らが能動的に自己選択をしたつもりの行動の多くが、実は何
らかの見えない手で作られた「流れ」の中に納まっていることに気づく。すべてを自己選択で
きることが理想のようにも思えるが、人間が集団で暮らしている限り、こうした「流れ」が潤
滑剤となって世の中がうまく回っている側面はあるだろう。こうした「流れ」があるおかげで、
本当に自己選択すべき事柄に時間を割くことが出来るのかもしれない。
こうした流れについて考えてみると、現代ではインターネット上のコードされた仕組み、つま
りコンテンツやアプリが中心となって作り出しているように感じる。僕らは、コード化された
仕組みが生み出す流れの中に身をゆだね生活している。自由意思で知人と連絡する行動が、
メールやSNSという流れの中に行われ、自由意思で自分が必要なものを買っているという行動
が、Amazonをはじめとしたネットショップの作り出す流れの中で行われている。GAFAによ
る独占の脅威が指摘される一方で、GAFAが作り出した流れを便利だとか快適だとか感じる人
も多いのではなかろうか。
さらにこの流れは、インターネットをブラウザでダイレクトに漁っていた時代から洗練され、
今では検索エンジンから求めるサイトに跳びサイトが一つのアプリケーシン(コンテンツ)
として働く環境下でインターネット自体の存在を意識することなくインターネットを利用する
のが当たり前の状況になった。特にスマートフォンでは、インストールされたアプリケーショ
ンが直接利用者とサイトとをつなぎ、もはやインターネットの介在をほとんど感じさせない。
例えば、もはや古参ともいえるFacebookやTwitterと比べると、新参のInstagramやTikTokで
はアプリの存在意義が著しく高いように感じる。投稿のみならずその前段階で必要になる撮影
から画像処理といった一連の雑事が、アプリにより手軽に出来るようになっている。おそらく
専用アプリが無かったらこれらのサイトは今ほど流行しなかったのではなかろうか。
こんな状況を見ていると、レッシグが言っていた我々の行動を規制する4つのものは、現実に
は「法」「社会規範」、「市場」、そして「アプリ」となって目の前に表れているような気
がする。
 
■社内文章をアプリ化する
社内文章においても、PDF化してサーバー上に置いたのみでは、紙媒体に比べて保管・バー
ジョン管理・検索性が向上した程度のメリットしか享受できない。そもそも社内文章は、常に
全文に目を通す使い方よりも、関係部分を参照し、必要な諸手続きを行う際に使われるケース
が多いし、形式知化のプロセスで全体の構造が整理され明確化されていることが普通なので、
HTML(HyperText Markup Language)によりハイパーテキスト化されている方がはるかに参
照性に優れ利用しやすい。このハイパーテキスト化された本文に、複合語検索機能や、関連付
帯作業を処理する一連の手続きや機能(企業ではとかくこの手続きが多く、雑多になりがちだ
が、それを正し理解して記憶している社員は驚くほど少なく、統計などのデジタルのメリット
を生かした後処理が可能なデータとすることが難しいという現実がある)を組み込み、アプリ
ケーション化して「流れ」を作り出してしまうことが、現時点では最も使いやすいかたちでは
なかろうか、との思いに至った。
例えば、COVID-19禍での社員の行動規範であれば、それをアプリ化することで、(COVID-
19の感染と社内報告は時と場所を選ばないであろうから)PCからでもスマートフォンからで
もアクセスが出来るようになり、感染者に対しては早急に必要な社内への諸連絡を速やかに正
しく促し、会社側は受け取った諸情報をほぼ自動的に処理し、必要な情報を必要な部署に連絡
したり統計処理をしたりすることも出来るであろう。また、第二波、第三波の到来による社内
手続きのルールの微細な変更にもアプリのバージョンアップで迅速に対応が可能だし、不要な
混乱をユーザーである社員にもたらすこともない。そもそもの行動規範の元となる考え方に社
員が興味もてば、元の社内文章やそのベースとなる社是などの社内規範(こちらもハイパーテ
キストにして構造化しておけば、よりアウトラインが掴みやすくなる)へとリンクを張ること
で、適切な情報を社員に提供するとともに、社内の形式知の構造化を図ることもできる、と
いったイメージだ。
もちろんアプリ化には、問題もハードルもある。事実、COVID-19対策に作られた接触確認ア
プリ「COCOA」もスムーズに働いているとはいいがたい。だがその根本の原因は、急ごしら
えをしたアプリ側にあるというよりも、陽性情報を発信する行政側の人的リソース不足による
破綻が原因ともいわれている。行政側の作業まで含めてCOCOAに組み込まれていたら、「流
れ」は生まれていたかもしれない。
アプリを作る立場から最初に思い当たるのは、アプリ化するための時間やコスト、社員のリテ
ラシーの問題であろうか。HTML自体は1989年に登場したが、初期はHTML自体を直接記述す
るという素人には近づきがたいものであったが、インターネットの普及と一般化に伴い、
WordPressやGoogleサイトなどのツールが登場し、サイトの作成自体のハードルは急速に下
がっている。ExcelやPowerPointを使えることが今やビジネスマンの当たり前のリテラシーに
なったようにWordPressで最初からハイパーテキストとして社内文章を記述しプレゼンし、
供用開始することがもう数年もすれば当たり前のリテラシーになりそうな気がする。ここが突
破されてしまえば、ExcelやPowerPoint、そして僕ら建築設計の世界で言えば、CADやBIMソ
フトウェアのように、皆が当たり前に使うツールとなることで、現時点で懸念される問題の多
くは解決されていくのではないかと思っている。
 
人間の行動の流れを生み出す役割の中で、アプリの占める位置は確実に高く、大きくなってい
る。そんな風に感じて、今回は託された社内文章をアプリ化してみることにした。試作を社内
で公開してみたところ、早速多くの人から「使いたい」とのレスポンスをいただいた。アプリ
化により作成された社内文章とそれに伴う諸手続きが死蔵文書化されてしまうことを逃れられ
るかについては、2021年を通して実践の中で検証していく予定である。といっても、結果が
出るまでじっと待つのではなく、アプリ化のメリットを生かして随時便利な機能を追加しバー
ジョンアップを図り、流れを生み出すべくチャレンジしていくつもりだ。
社内文章とそれに伴う雑作業は、アプリ化される方向に進むのではなかろうか。
 

山梨 知彦 氏

日建設計 常務執行役員 チーフデザインオフィサー 設計部門 プリンシパル