BIMへ変われないこと
2021.12.02
パラメトリック・ボイス 熊本大学 大西 康伸
前回、前々回のコラムで、図面をなくすことはできるか、という話題について書いた(9月28日
のコラム「続BIMへ変わるための時間」 、7月13日のコラム「BIMへ変わるための時間」)。
図面は人が建築を理解するために存在する。ならば自動化のため、できる限り図面をなくす必
要がある。これは、コンピュータが得意なことを人が行う必要はない、という話。
実は、今のBIMソフトでは決して支援し得ないことがある。
発想という行為は、数多の生物の中で人にだけ与えられた特権的行為である。ところで人は、
どのように建築を発想するのだろうか。その出発点や方法はいくつもあるが、ここではアウト
プットにだけ着目してみる。与条件を入力し混沌とした状態の頭の中から、いずれポツポツと
発想の欠片がスケッチとして目前に現れる。初めは、脈絡のないキーワードであったり、落書
きのようなダイアグラムや図面、透視図であったりする。それがいつしか形をなし、かろうじ
て図面としての体裁を獲得し始める。そのころの状態を思い出してほしい。
平面図、断面図、透視図、立面図、屋根伏図・・・それぞれが別の、もしくは微妙に異なるア
イデアを含み、必ずしも相互に整合しているわけではなく、かなりの部分が矛盾している。人
はそれら図面の矛盾をすり合わせ調整を繰り返すことで、一つの建築から生み出されるであろ
う図面群へと収束させる。模型を作成するのは、ある程度図面の矛盾が取り除かれた後である
ことが多い。
ここでBIMの話をしよう。BIMソフトで設計図書を作成することの最大のメリットは何か。そ
れは、図面間に完全な整合性が担保されることである。設計モデルを変更すると、当該変更点
を含んでいる全ての図面が一斉に自動更新される。何十枚、何百枚という図面が一斉に編集さ
れる様を想像してほしい。昔は・・・とあまり言いたくないが、図面の不整合箇所を修正する
作業は、決まって新入社員やキャドオペレータの仕事であった。図面に描かれた赤い修正線の
意味も分からずに、線を指示通りひたすら修正することに没頭した人もいたであろう。こんな
非生産的な設計の現場において、常に図面が整合している、という状態を皆夢見ており、この
ことがBIMソフトを設計で導入するモチベーションの一つとなっている。そこは、矛盾した図
面は存在し得ない世界。そう、BIMの世界は、どちらかというと図面の世界ではなく、模型の
世界なのである。
設計の初期段階でBIMソフトを使うことは難しい。よく言われることだが、どうやらこれは、
BIMソフトが図面間の不整合を許容しないことに起因しているようだ。もちろん、BIMオブ
ジェクトの平面的拘束が強いこと(裏を返せば断面でのオブジェクト入力が苦手)や、初期段
階にも関わらずオブジェクト属性を仮にでも決めなければならないことなども原因としてある
ようだが、経験的にはさほど大きな問題ではない。
そもそも、図面は不整合が許される世界のはずである。下の図は帽子に乗って宇宙旅行をする
という、小学生の子どもが描いた絵である。帽子を下から見上げた絵であるが、人やハンドル
の配置が奇妙である。たった一つの絵で全ての特徴を表現することは難しく、矛盾に満ちた絵
である。より複雑であろう建築の発想段階での図面が相互に矛盾していても何ら問題はなく、
しかるに即座に解消する必要はない。この絵のように、もっと、もっと自由であっていい。
図面には、大雑把に分けると、設計の過程で頭の中で考えていることを一旦外に出す媒体とし
ての役割と、自分自身が考えた建築を他者に伝える媒体としての役割の2つの側面があるよう
に思う。前者をrepresentation、後者をpresentationと言う。図面を無くすというのは後者の
話であって、前者の話ではない。無くしてもいい図面と無くしてはならない図面がある、とい
うことである。人が得意なことは人が担うべきであり、建築の発想がまさにそれだと言える。
実は、私が現在在籍している熊本大学出身の工学系私立大学のS先生は、今から20年ほど前、
博士研究で3次元CADをカスタマイズして不整合な図面を3次元モデルとして整合させるシス
テムを開発した、ということを偶然知った。全く、お世辞なしで素晴らしく先進的なシステム
だと思う。今のBIMソフトでそんな仕組みを開発する、また一つやってみたい事が増えた。設
計で使う道具を開発するためには、設計という行為やそこでの思考をよく知らなければならな
い、学生時代に恩師からそう教わった。手前味噌ながら、研究者であり実務者でもある自分に
は、それができるという確信がある。