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コラム

「人」が介在するシミュレーション

2021.12.23

パラメトリック・ボイス
                     東京大学 / スタジオノラ 谷口 景一朗


新型コロナウルスの国内感染者数はこのところ小康状態を見せ、街の様子もだいぶ活気を取
り戻したようにも見える。一方で、海外各国ではオミクロン株による感染拡大が続いており、
国内もいつ海外と同様の状況になるかわからない。引き続き、個人の自制が求められる。忘
年会は今年も引き続きお預けだろう。

ところで、この新型コロナウィルスの感染者数に関して、Googleは2020年8月から予測サー
ビス「COVID-19 Public Forecasts(日本版)」を開始し機械学習を用いた独自の計算式に
基づいた日別の新規陽性者数・死亡者数などの予測値を公開している。この予測サビスは感
染症予測の般的なモデルである「SEIRモデルを用いながら感染率や回復率などを表す各
関係式のパラメータにGoogleがこれまでも高い実績を誇る機械学習を用いていることが特徴
であり、サービスリリース時には大きな注目を集めた。最新の国内感染者数の予測状況を見て
みると、日平均100人未満と概ね実態に合った予測値が提示されている。しかし、日本全国が
オリンピク東京大会の開催是非で揺れた今年夏ごろには東京都の感染者数を8,000人/日程
度と実態の2倍以上の予測値をはじき出しており、当時のこのサービスをめぐるWeb上での議
論では「予測が大きく外れた」「全くアテにならない」といた論調が支配的であった。では、
なぜ優秀な技術者を多く抱えるGoogleが提供するサビスが予測を大きく外してしまたのだ
ろうか。ここには、私が専門とする環境シミュレーションにも共通する興味深い視点があると
思うので、今回はこの点について論じてみたい。

まず「COVID-19 Public Forecasts」の予測が外れた大きな理由の1つは、これが開放系の
予測モデルだったからである。機械学習で最も有名である画像認識のような閉鎖系の予測モデ
ルとは異なり、開放系の予測モデルは社会情勢の変容や人々の行動変容など外乱が加わること
によって途端に予測精度は落ちてしまうこれは環境シミレーシンについても同様で
ある閉じた定常状態の室の中の温熱環境や光環境を精度良く予測することは難しくない。一方
で、この室に人が存在し窓を開けたりブラインドを閉めたりといった行動を起こすと、実態を
正確にシミュレーションすることはかなり難しくなってくる。データセンターなどの特殊な用
途を除いて建築には人が介在することが一般的であり、これが、条件設定が明確である構造シ
ミュレーションなどと比較して、環境シミュレーションを設計時に活用する際に「○○の条件
においては・・・」という奥歯にモノが挟まったような説明の仕方になってしまう(反対にこ
の注釈がない環境シミュレーション結果はどうにも疑わしく見えてしまう)理由である。

さらに、この「人が介在する」という点においてもっと重要な視点が、人の行動が影響を与え
る社会システムにおいて、定量的指標を意思決定に用いると追跡対象としていた社会プロセス
が歪められるという、キャンベルの法則と呼ばれる原理が働いてしまう点である。アメリカの
心理学者ドナルド・T・キャンベルによって提唱されたこの法則は、よく営利主義の企業で起こ
る不正の原理の説明に利用されるが、「COVID-19 Public Forecasts」の予測モデルにおいて
もこの法則が働いた結果、感染拡大に対する人々の警戒心から行動変容が起き、結果的に感染
者数の実態が予測値を大きく下回る結果となったと推察される。環境シミュレーションにおい
ても、解析結果が人々の行動に及ぼす影響は大きく、それが結果的に予測と実態の乖離を生む
ことにつながってしまう。

では、この乖離は致命的なものだろうか。筆者はそのようには思わない。なぜなら、設計時に
活用する環境シミュレーションは必ずしもその予測の絶対値の確からしさを追い求めるもので
はなく、その予測によって利用者の自発的な行動を誘発するためのものだからである。
「COVID-19 Public Forecasts」も同様で、予測精度を誇るものではなく、その予測結果によ
る人々の行動変容によって結果的に感染者数を抑えることができることがシステムの存在意義
は大きいと言えよう。では、人々の行動変容を促す環境シミュレーションの見せ方とはどうい
うものだろうか。筆者は、様々な行動に伴う予測結果を並列で比較して示すことが肝心である
と考える。ある行動を起こすことの効果を明示することでその行動を誘発することができる。
環境シミュレーションが人の介在を許す不確かなものであるからこそ、人々の意思決定に大き
な示唆を示すものであることに自覚的でありたい。

谷口 景一朗 氏

東京大学大学院 特任准教授 / スタジオノラ 共同主宰