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コラム

【BIMの話】名前の電波が飛ぶ

2022.01.06

パラメトリック・ボイス                竹中工務店 石澤 宰
 
過去にシンガポル駐在していた際の話をひとつ。超高層建築が花盛りのCBD(都心)エリア
ではタワークレーンがあちこちに立っていて、各ゼネコンが自社のバナーを目立つようにマス
トやジブに掲出しているなか、当社はそれをしていませんでした。当時の総括所長に聞いてみ
たところそれは敢えてそうしているとのことで、見せるべきは現場での仕事ぶりであるからだ、
と言われました。
 
名前くらい出してもいいのでは、とその時は思っていましたが、思い起こせばシンガポールで
は日系ゼネコンの名前は一般の方にも比較的知られていて、当社の会社名を名乗ったところ
「よく知っているよ、あれもこれもあなたの会社だろう」と言われて私のほうが驚いたことは
何度もありました。当社は全体的にそのような企業文化なのだと気づいたのは比較的最近のこ
とです。
 
日本でも幸い多くの方に認知いただいている会社ではありますが、建築関係以外の方には「工
務店」という名前から比較的小規模な会社であると感じられることも多いようです。某掲示板
や某短文投稿サイトでその手の勘違いがネタになっていることは社員もよく知っていて、社内
ですらネタになることがある話です。一方でもともと「工務店」という言葉の発祥が竹中工務
店であることはそこまで知られていないようで、言葉の変遷とは面白いものです。
 
各ゼネコンがどんな建物を手掛けているか、ということは、各自動車メーカーがどんな車を
作っているかとか、各飲料メーカーの主力商品は何かなどということに比べてなかなかユー
ザーの方の目に触れません。YKKなどのサッシメーカーやMIWAなどの錠前メーカー、衛生機
器のTOTOなどのほうが圧倒的に目にする機会が多そうです。
 
建築物の作風で建築家がわかることなどはあったとしても、設計や施工を行う会社がその名前
を建物にドーンと出したりするケースは基本的にありません。しかし例外的にそれをする場合
があって、その一つが建物のエントランスの横などにはめ込まれたりしているプレート、定礎
板です。
 
もともと木造建築では、その建築の記念・記録として棟札という板を打ち付ける慣習があり、
その流れにアメリカ式の定礎式が明治期に導入されて定礎板という形式となったものとされて
います。銘板だけのこともありますが、裏に定礎箱と呼ばれる箱を設け、工事に関連する記録
や式祭を執り行った日の新聞や雑誌、硬貨や紙幣などを入れてタイムカプセルのように扱う
ケースもよくみられます。銘板に何を記すかについてはこれといって決まりがあるわけではな
く、竣工年だけを数字で記したシンプルなものから、関係者の名前を刻むもの、会社の理念や
スローガンなどを書くもの、地域社会や関係者へのメッセージを書くものなどさまざまです。
 
(ふと思いましたが、「定礎版」とも書きます。建築業界ではある程度厚みのある板は「版」
と表記することになっていて、なんとなく定礎版のほうが私的にはしっくりきます……が、こ
れも非常に業界ルールっぽいですね)
 
定礎板はある程度見える場所に取り付けますが、足元など低いところに付けることが多く、目
の高さに付けることは稀です。棟札も棟木に取り付けることからその名があり、一般的には小
屋組の高さでないと見えません。定礎箱の中に至ては解体するまで取り出さないのが通例で
全体的に控えめにするのが作法、と考えられますが、明確なルルがあるわけではありません
 
このように、建物の設計・施工に関わった人や会社の名前はきわめて控えめに提示されるケー
スが多く、調べないことにはわかりません。しかし一方で、建築にかかわるすべての方々は街
なかや地図の上で「これは私が関わった建物」「ここに昔あったんだよな」と思っていること
は間違いありません。
 
建築に関わったすべての人を映画のスタッフロールのように表示できたらいいのに、というア
イディアを以前某短文投稿サイトで見かけた記憶があります。現場での労務管理や、BIMモデ
ルの作成変更履歴などは徐々に具体的な人の名前と結びつきはじめていて、管理台帳などから
引っ張り出す以外にもそうした方法で関係者を見渡すことは可能そうに思います。
 
そうして思い返すと、プロジェクト関係者の裾野はきわめて広いものがあります。製品検査で
お会いする工場の方々。確認検査機関の方々や行政庁の窓口の方々。製作図の図枠にお名前の
あるお会いしたことのない作図担当の方々。建築は協業で成立する、と肌身で知っている業界
の人間でも、そうした方々の名前をすべて書き下したリストというものは誰ひとりとして見た
ことがないと思われます。
 
それらが4ポイントくらいの文字で定礎版にびっしり書かれている、というのも一つの道です
が、都市の情報レイヤーにブラウザででもARででもアクセスしたときに、そんな名前と仕事
のネットワークが見られるシステム、というものをちょっと空想しています。あちこちを渡り
歩く現場の人、何千枚と図面を書くオペレータの方々の貢献がそんなふうに見えたら面白い
見てみたい、と思います。
 
日本の協業的なプロジェクトの進め方を下支えしているのは相互に対する敬意であるように思
われます。お互いの仕事を尊重することで良好な協業が可能になる、ということはBIMにおい
ても変わらないどころか、プラットフォームとしてのBIMの上でさまざまな濃度・強度で
関わっていくうえでますます必要になることであると考えられます。
 
……という、なんだ今回はオチをどこに持っていくつもりなのか、と思われた方もいらっしゃ
いそうですが、実は上記のような話を博士論文として書いているなか同時並行でコラムを執筆
しており、読み返すときわめてそちら側に引っ張られた回になってしまいました。
 
論文はクスリと笑ったりするためのものじゃないんだし仕方がない、と思いつつも、ふと
Googleで「笑える論文」で検索してみたら、あれこれ出るわ出るわ。私の発想がまだ固い。
笑っているうちに読み終えてしまう論文、いつか書いてみたいものです。
 
手近な定礎版の例をカメラロールから探していたら、東京タワーで撮影したものを見つけまし
た。これはかなり大きいほうです。東京タワーの正式名称は日本電波塔である、ということも
ひょっとするとあまり知られていないかもしれません。ついでなので、でんぱ組.incのファン
クラブの名称は「でんぱとう」であることも何かのお役に立つと思うのでぜひ覚えて帰ってく
ださい。

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 コンピュテーショナルデザイングループ長 / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授