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コラム

AI4.0は、3Dプリンターに「発情」するか?

2015.12.22

ArchiFuture's Eye                 日建設計 山梨知彦

■AI1.0=知識
AI=人工知能がまた話題になっている。おそらく2016年は人工知能に振り回される一年になり
そうだ。
「また」と書いたのは、今回の流行はコンピューターが登場して以来、今回が3度目の流行と
位置付けられているからである。
未だ諸説あるコンピューターの登場した時期を、ENIACが登場した1946年と位置付けると、
その10年後に既にAIの概念は生まれていて、「人工知能」なる言葉が誕生した。AIの誕生は
1956年といってよさそうだ。この1950年代が最初のAIブーム、今どきの言い方にすれば、
AI1.0ということになる。このAIの最初の流行の中で、人類はコンピューターの中に情報を体
系づけて、人工的に「知識」を模倣する具体的な術を獲得したといっていいのかもしれない。
コンピューターにさして詳しくもない私の勝手で触感的な解釈に過ぎないが、LISPなどのプロ
グラム言語の発明により、コンピューターのメモリの上に存在するバラバラな電子情報を相互
に関係づけることで、情報に体系を持たせ「知識」として振る舞わせることに成功した時代で
あったといえるのではなかろうか。コンピューターは、このAI1.0を経て人工頭脳(Artificial Brain)とも呼ばれるようになった。
 
■AI2.0=推論
2度目のAIの流行は、1980年代に訪れた。ここでの主役は、人間の専門家が問題解決に向けて
取る思考のパターンを模倣した「エキスパートシステム」である。専門家が物事を前に判断を
下す状況をルールとして集め、そのルールの束であるルールベースを使って専門家が下す「推
論」をコンピューター上で模す「推論エンジン」がその要だ仮に「(もし)風が吹けば桶屋
は儲かる」というルールが専門家の価値判断のルールとして正しと仮定すると、それを推論エ
ンジンに正しいルールとして学習させておく。そのうえで、「風が吹く日にもうかる商売は?」
とエキスパートシステムに問えば、「桶屋」と回答が示される仕組みだ。この第二世代に入っ
た人工知能は初めて実用品になったといわれている。確かに、僕らが使っているデジカメに今
では当たり前の機能として搭載されている「顔認識」や「笑顔認識」などもこのAI2.0と認知
心理学や認知科学の出会いが加速した(人間の顔であろうと推論する)パターン認識のたまも
のといえるかもしれない。
欠点といえば、正しい推論を下すためのルールを人間がシステムに教えてあげなければならな
いこと。これが意外に面倒であり、それゆえに推論のパターンは固定的となり、広範囲へのフ
レキシブルな展開は見られなかったようだ。

■AI3.0=自己学習
さて、それでは今回3度目のブームとなるAI3.0の特徴は、AI1.0の「知識」の獲得、AI2.0の
「認識」の獲得に対していかなるものであろうか?そのカギとなるのは「ディープラーニング」。
世の中の情報が膨大にデジタル化されたことで推論の元となるルールの束を膨大なデジタル
情報の中から、コンピューター自身が学習し、構築できるようになった。AI3.0に至り、人工
知能はディープラーニングにより「自己学習」する力を獲得したのだそうだ。例えば、これま
で言語の構成を分析したいわゆる文法をコンピューターに教え込むことでかろうじて成立して
いた自動翻訳が、人間が対訳した同じ意味を持つテキスト(多言語に翻訳された法律書など)
をコンピューター自体が比較し相関関係を自己学習することで自動翻訳の制度は大幅に高まっ
たといわれている。これを、コンピューターの知識の学習方法が、大人が他言語を学習する方
法論から、子供が言語を日常の生活の中で自然にマスターする方法へと近づいたと考えると、
そのパラダイムシフトの大きさが推測できそうだ。事実、世界のあらゆる企業が、ディープラー
ニングとそれにより画期的に進化を遂げるであろうAI3.0へと動き出している。Siriなどの自然
言語認識応答システムにも、自動車の自動運転技術の実現にも、このディープラーニングに支
えられた第三世代の人工知能が大きくかかわっているという。

■AI4.0=自己複製?
AIの隆盛と同時に、その圧倒的ともいえる力を問題視する発言も多くみられるようになった。
ホーキング博士やビル・ゲイツなど、意外な人物がAIに対する脅威論を公然と唱え始めている
のも確かだ。AIなど人間の生み出した技術が、あらゆる生物を凌駕する技術的な特異点=シン
ギュラリティに関する数々に発言がなされているのも、まさに今世界がAI3.0の流行の真った
だ中にあることを示している。
僕自身はAIについては人類をサポートする強力な力とはなるもののそう簡単にはシンギュラ
リティは訪れないのではなかろうか、と楽観的にとらえている。AIは1950年代から流行期と
氷河期をおよそ30年のサイクルで繰り返してきた。このトレンドで予測するならば、パーフェ
クトなAIの実現という課題に対してディープラーニングでは解決しえない課題がそろそろ発見
され、やがてAI冬の時代が近く訪れるのではなかろうか、などと根拠もなく無責任に考えてい
る。いや正直に言えば、AI4.0が今は欠けている何かを見出し、再びAI4.0のブームが何をひっ
さげ登場してくるのかを野次馬根性で待ちわび、また妄想している。
さてここからは、唐突に妄想を開陳したいと思う。人工であるAIをオリジナルである人間と比
べた時に、最も欠けているのは「モチベーション」ではなかろうか。ズバリ、「欲求」といっ
てもいいかもしれない。第三世代のAIはディープラーニングを通して自己学習をする術を身に
着けたものの、学習することへの強い欲求が感じられない。欲求の根源が何であるかを語れる
ほどの知恵がないので、ここではドーキンスの「利己的遺伝子」のストーリーを借りたいと思
う。あらゆる生物の知的活動も含めたあらゆる活動の根源的目的が、「利己的遺伝子」が自ら
の遺伝子の複製による存続と位置付けられるのであればAI4.0が乗り越えなければならない課
題とはコンピューター自体が自己複製を目指すことと知識欲との橋渡しになるのではなかろ
うか。ソフトウエア事態の複製はDNAのごとく容易であるから、コンピューターの欲求はその
DNAを載せる細胞や肉体に対応するコンピューターのハードウエアへと移るに違いない。我々
人間は、異性のDNAそれ自体ではなくそれを搭載した身体を欲しセクシーと感じる。これと
まったく類似した欲求をコンピューターが自らの知恵を複製し収納する対象に抱かせる必要
がある。現時点で、最もその位置付けに近いものには、3Dプリンターであるのかもしれない。AI4.0を搭載したコンピューターには、自らを複製し、繁栄へと導く3Dプリンターが、セクシー
で狂おしい存在に見える必要がありそうだ。この時点になってからシンギュラリティについて
考えても遅くはなかろう。
 
いやいや言いたかったことは、AI4.0ではコンピューターの知識や認識に対する本能にも似た動
機づけが不可欠ではなかろうかということ。年の瀬に、くだらない妄想に耽ってしまい、失礼し
ました。
 


写真1~4:建築設計におけるAIの利用はまだまだ初歩的なものに留まっている。Googleが進め
ている建築の自動設計システム「Flux」なども、「良い設計」をコンピューター自体が目指すといったような「欲求」や「モチベーション」を持たない限り、究極の自動設計システムは生まれ
えない気がしている。写真はラゾーナ川崎東芝ビル(写真1)のファサード(写真2)の生成に
用いたプログラムを利用したオブジェ(写真3、4)のデザイン。

 写真1

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          写真2

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 写真3

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          写真4

          写真4

山梨 知彦 氏

日建設計 チーフデザインオフィサー 常務執行役員