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ミニマリズムに合わせて踊れ
2025.12.09
パラメトリック・ボイス 竹中工務店 / 東京大学 石澤 宰
タイトルはポケモン「ミジュマル」テーマソングの歌詞「ミジュマリズムに合わせて踊れ」が
頭から離れないのでそれをちょこっともじってつけたものです。決して適当ではありません。
適当ではありませんが、こういうのをそのままペッとつけて憚らないあたり、我ながら加齢、
じゃなかった成熟を感じます。
先日、朗読劇をはじめて観劇する機会を得ました。「家族草紙」という作詞家・作家の森浩美
によるシリーズで、衣装はモノトーン、舞台装置は椅子と台本だけ、音楽は生演奏のギターだ
け、というセットアップで展開される、芝居の要素も入った朗読劇でした。台本の朗読という、
いわば「テキスト情報」も情報量としては最小限。しかしそれを受けた観客の頭の中には、さ
まざまな風景や前後のシーンが展開され、映像作品のドラマやミュージカルなどとはまた違っ
た濃い印象と記憶が残る。「ない」ことを「いくらでもある」ことに転換するマジックを見た
気分でした。
最近取り組んでいる宇宙建築においても、「宇宙空間には人を生かすものはなにもない」ので
はなく、たとえば「冷却のための超低温や、加工のための高真空がふんだんにある」と考える
と資源開発に見えてくる。発想の転換点を自力で発見することは非常に難易度の高いことでも、
ほかの何かに触れることでヒントはたくさん得られる。最近ふと「私が何をやっている人なの
かの簡潔な説明はもう諦めたほうがいいかもしれない」と思って以降、これはそういうミッ
ションなのだと理解するようにしました。あ、ちょうど掲載時期と前後するかもしれませんが、
「宇宙のくらしをつくる建築展 Lunar Architecture by TAKENAKA」、12月10日から14日
まで建築会館ギャラリーで開催しております。よろしければぜひお運びください。私は今日も
元気に公式Tシャツを作ったりなどしております。
トキポナ。ご存知でしょうか。言語の名前です。
トキポナは人工言語(constructed language, conlang)のひとつです。エスペラントが有名
ですが、実はこれ以外にも人工言語はいくつもあり、創作の中に登場するものなどを含めれば
さらに数は増えます。トキポナはその中でもかなり際立った存在で、2001年に作られた比較的
新しい言語、使用者はエスペラントに肉薄し全世界で数万人。そして何よりの特徴が、「単語
が130個程度しかない」というところです。
130がどのくらい少ないか、いくらか比較してみます。日常会話が通じるために必要な外国語
の語彙はおよそ3000語などと言われ、これはもう桁が違う。中学1年生が1年間に学習する
英単語は500語ほどで、これよりもずっと少ない。小学校2年生が1年間に習う漢字は
160文字で、これよりさらに少ない。それがこの言語の「すべて」です。
ということは当然ながら、どんな言語のどんな文章もほぼ確実に、そのまま翻訳できません。
この130しかない言葉で工夫して言い換える必要があるのです。
たとえば「私はこの文章を上司に読んでもらってから提出する(本当です)」をトキポナにし
たい場合、「人・上位・私(の)・は・見る・〜を・書く・私(が)・それならば・
私(は)・渡す」→jan lawa mi li lukin e sitelen mi la mi pana.のようになります。
明らかに、これでは不自由です。私が書いたものを見るのか、私が書いているのを見るの
か(あまり見られたくない)も判然としませんし、書いた(描いた?)ものが何か、上位の人
とは誰なのかも具体的によくはわかりません。しかし、与えられた道具の中ではかなり近い意
味内容ができたので、これでよしとする。そういう趣旨の言語です。つまりトキポナはかなり
「実験」のための言語で、どれだけ限られた道具立てで表現を「見立て」できるかを楽しむ
もの。
130しか言葉がないため、時にトキポナは「世界一習得が簡単な言語」とも言われます。実際、
130の単語を覚える手間はそこまで多大なものではありません。さらに面白いのは、130の単
語は世界のどんな文字で書いてもよく、なんならすべての単語に対応する絵文字が複数用意さ
れていて、絵文字で書いても良い。日本語はひらがな・カタカナ・漢字と3種の表記がありま
すが、トキポナはアルファベットでもカタカナでも漢字でも絵文字でも書けるという自由度で
す。ちなみに先程の文章を絵文字表記「sitelen pona」と「sitelen emosi」で書くと下記のよ
うになります。

あえて道具を限ることは、一部の限られた人たちのマニアックな遊びなのでしょうか。少なく
ともトキポナは私の周りに私以外のユーザーを確認できていない程度にマニアックではありま
す。しかし、限られた道具で何かを表現するということは、とても多くの状況で見かけること
でもあります。たとえばレゴブロック。子どもと一緒にレゴで遊ぶと、「このブロックは飲み
物の缶」「この大きなブロックは飛行機の翼」ということが自然に起きます。あるいは落語。
立ち歩かない、扇子と手ぬぐい以外は使わない、しかしその状況でなんでも表現してしまう。
トキポナでは専門用語が使えません。しかしその意味するところをよく考えれば近い言葉が選
べる。私はトキポナに触れて、子供に言葉を教えるときの説明に通じるものを感じました。ま
た先日デフリンピックを観戦し、そこで手話者が圧倒的に不足しているという事実にも触れ、
ひょっとしたら手話を学んだりする際にもこの発想は役に立つかも、とも思いました。
ミニマルという思想にも魅力があると思いつつ、私の感じる本当の魅力は「その道具立てでど
うにかできたという満足感と、それを人と共有したいという小さな興奮」にあったりします。
そのような概念、ある言葉では非常に的確に捉えられていたりもします。『翻訳できない世界
のことば』(エラ・フランシス・サンダース, 2016, 創元社)に掲載された言葉のひとつ、ヒ
ンディ語の”jugaad”(ジュガール)の意味は「最低限の道具や材料でとにかくどうにかして
解決すること」──まさにこれ、という感じがします。
この本は魅力的で、他にも私の心を打ったのはszimpatikus(シンパティクス・ハンガリー語)
:「直感的に良いと感じる初対面の人」、meraki(メラキ・ギリシャ語):「なにかに自分
の霊と愛情をめいっぱい注いでいること」。このような心持ちを一言で言い表す語彙を持った
言葉には、ミニマルな言語にない魅力を感じる。世界は界隈ごとに違って、本当に面白い。
ちなみにトキポナ、質実剛健な言葉ばかりかと思えばそうでもなく、ときどき冗談みたいな言
葉があります。ちょっとアウトローな(標準語ではないがある程度通じ、辞書によっては載っ
ている)言葉ですがその1つがyupekosi:「ジョージ・ルーカスのように過去の創作物を改訂
し、実際にはさらに悪くしてしまうこと、あるいはされたもの」。世界一のミニマル言語を目
指しておきながら、その1席を与えられた特別待遇の単語がこれ。ミニマルにもときどき謎は
あり、私はそんなところが大好きで、やめられない。



























