Magazine(マガジン)

コラム

IT時代のアーバニズム再考

2016.08.09

ArchiFuture's Eye                慶應義塾大学 池田靖史

このコラムをインドネシア、スラベシ島のマカッサルという港湾都市で執筆している。何故そ
んなところにいるのかと言われそうだが、人口134万人の中心部からさらに1時間車で走っ
てボントアという半農半漁の村の独特の居住形式を見学する機会があって、現代の都市と農村
の人間の営みについて考えさせられた。というのも、前回のパラメトリシズムのコラムを読ん
でいただいた方から「フォーディズムと一体不可分であったエネルギー革命による都市文明と
いう社会繁栄の必勝パターンにオルタナティブを見いだせる機会」という一文の意味が不明で
あるとのご指摘を頂いて、都市と情報の関係について補足したいと思っていたところだったか
らかもしれない。

高床式の住居が田んぼにも兼用される養殖池の中に浮かぶように点在している風景が独特なこ
の村は、漁業といってもマングローブの生い茂る海岸線の干潟でカニを捕る他には、主に養殖
魚を生産している大都市近郊の食料生産地である。大都市が近く生産物がよく売れるので住民
達は決して自分たちを貧しいと思っていないし、若者の中には街中に働きにいくものもいると
いうが、むしろ人口は増えているらしい。そもそも赤道直下の島国は飢える心配が無い。ただ
日中は暑すぎるから、子供以外は日陰でのんびりしているように見える。敬虔なイスラム教徒
である彼らは日中も祈りを捧げるためにモスクに集まり、貯めたお金でメッカに行くことを望
みながら慎ましく暮らしている。
 
1961年生まれの私は日本の高度成長に伴う都市化の真っただ中で人生の前半を過ごし、地
方から東京を目指した典型的な若者だった。だから、そのころの都会と田舎という価値の構図
に伴う感覚、例えば映るテレビのチャンネルの数とか、服や髪型の流行の時差とかいうことに
どれだけ敏感だったかを覚えている。大学に進学して実際に都会で暮らし始めてから感じた大
衆の中の匿名性の居心地よさや、群衆の熱狂の中に身を置くことの感覚を知り、「都市的な」
空間の持つ公共性が建築の社会的なテーマであると考えていた。20世紀は都市こそが文明で、
古い農村の因習は恥ずべきことのように感じ、新しい価値は全て都市から生まれると信じて、
私も、私の級友達もみんな都会の「豊かさ」を求めて人生を歩んできた。建築家も都市が育ん
だ新しい社会的な価値を宣教するために、空間構成や装飾的表現を可能にする建築技術を携え
て地方へ出向くことに自らの意義を見いだした。

しかし、あのころに都会と田舎を隔てていた要素のどれだけが今現在でも、意味を持っている
だろう。雇用の機会、娯楽の多様性、受けられる教育の質などの様々の点でネットワークを通
じた情報のグローバルな流通が与えた影響が少なくないことは(都会の有利さがまだまだ残っ
ていたとしても)決して否めない。そんなことは情報化時代という言葉が生まれたときから言
われていたのかもしれないが、それでも、「もの」の所有による豊かさは、情報アクセシビリ
ティーによる世界のフラット化に無関係な要素として存在し、生産地と消費地をつなぐ物流構
造の問題は全ての社会活動にとって決定的であって、より多様な商品に出会える可能性が「市
場」としての都市の勢力と幸福の指標であると信じられていた。しかしデジタル・ファブリ
ケーション技術によって、それすらも世界のフラット化に飲み込まれ、市場と物流が都会と田
舎の精神的な差を生みだすことは、もはや必ずしも真実ではなくなりはじめた。むしろその物
流と生産の基盤を支えていた化石エネルギー源への将来的不安や、大量に生産された規格品に、
流行現象を通じて市場的価値を産む「大衆化」の構造に対する反発感などから、結果的に個人
の幸福や社会の経済的繁栄とは何か、ということ自体にまで変質が及ぶ様相を呈している。そ
れに、コミュニケーションの機会拡大を求めて集まろうとする人間の本能が都市化を形成する
本質であるとすれば、様々なSNSの利用を通じて、我々のアイデンティティは物理的な共有空
間を持たないコミュニティの中で維持されるようになってしまった。しかも電子化された見え
ないお金が無人のデータセンターをいくら通り過ぎていっても、その場所の社会的繁栄自体に
は無縁なように、経済的活動も特定の場所から乖離してネット上に浮遊するようになり、都市
の社会的存在は概念的になりつつある。
 
そんな現代社会の様相の中で、農村と都市の関係はおおきく転換するのではないか。食料だけ
は空間を介してのみ生産可能で情報に変換できず、しかも人間の生命維持に絶対的に不可欠の
要素であり、簡単には変えられない長期的な生態系の問題として残っていく。そのときの建築
の役割とは何か、、、都市性とは何か。目の前のボントア村ではそんな僕の勝手な思考を全く
無視して鶏が、牛が、魚が、人間の生活の中に共存しながら、ただ、ゆったりと時間が過ぎる
だけであった。

 インドネシア スラベシ島の海水養殖池に建つ水上住居

 インドネシア スラベシ島の海水養殖池に建つ水上住居


 階下は養殖地であったり田んぼであったりする

 階下は養殖地であったり田んぼであったりする


 干潟が続く海岸線のマングローブの向こうに水上の村がある

 干潟が続く海岸線のマングローブの向こうに水上の村がある


 

池田 靖史 氏

東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 特任教授 / 建築情報学会 会長