Magazine(マガジン)

コラム

公共空間と情報の所在について

2017.10.10

パラメトリック・ボイス                東京大学 木内俊克

ArchiFuture Webのコラムに寄稿することになった。コラムを書くことの醍醐味は、読者の方々には申し訳ないが自分の関心事を整理できるまたとない機会になる、ということだろう。まったく自分が一番楽しんでしまう。ただ申し訳ないようであって、きっと自分が楽しければ読んでいただける皆さんにとっても楽しいはずという楽観主義もあり、やはり気になることを気になるときに調べて書くかたちで進めさせていただきたい。今回はその事始めに、自己紹介がてら最近の興味について少しばかり触れてみたい。
 
現在筆者は、東京大学建築学専攻Advanced Design Studies(以下、T_ADS)という研究教育組織にて務めつつ、一方で建築物や公共空間のデザイン、仮設構築物などをとおした戦略的な都市介入方法やそのデザイン提案、パフォーミングアートの舞台美術や美術作品の制作などの実プロジェクトにも携わっている。
T_ADSが取り組んでいるテーマは、建築都市デザインの可能性を情報技術によりいかに拡張するか。また実プロジェクトでは、公共空間の概念や枠組みをどう再定義できるかについて考えることが多く、必然的にその両者が交わるところ―「公共空間を新しく読み替えていく為に、情報技術に何ができるか」について思いを巡らせていることが多いように思う。
 
筆者は大学院修了後、New Yorkに拠点をもつDiller Scofidio + Renfro(以下、DS+R)という設計事務所に就職し、リンカーンセンターという劇場複合施設の増改築プロジェクトに加わった。右も左もわからない中、劇場周りのパブリックスペースを担当することになり、必死でその場を体験するシークエンスを何度も頭の中でシミュレーションする日々だったと記憶している。今になって思えば、公共空間を取り巻く環境をメディア的な視点から再定義する試みを随所に盛り込もうとしていたリズ・ディラー他のパートーナー達の試行錯誤から筆者が受けた影響は大きかったのかもしれない。
DS+Rは、日本では鉄道高架をリニアな公園として再生したHigh Lineのプロジェクトで知られていることが多いようだが、そもそもはたとえば初期の頃のBad PressやBrasserie、Blur Buildingなど、実験的な作品が多いことでも知られている事務所だ。Bad Pressは、Yシャツを用いたインスタレーションで、建築家がドメスティシティーを扱う素材としてYシャツを扱っている時点で格好よすぎるのだが、19世紀の産業革命以来、運びやすく保管しやすいよう、Yシャツの形状が四角形に折りたたむ為のカットパターンやたたみ方の点で効率化されてきたこと、その帰結としてフォーマルなシャツの形式が変遷してきたことに対し批判的なオルタナティブを提示するという、実に洒落たプロジェクトでもある。このプロジェクトでは、シャツの折り目は重要な情報を発する「メディア」であり、提案されたデザインは意図的にひねったりねじったりして「たたんだ」シャツが生み出す折り目を効率主義への批判として提示するというもの。
DS+Rの特に初期プロジェクトに見られるこうしたやり口には今でも惚れ惚れしてしまうが、どこにでも情報は埋め込まれていて、いくらでもそこに介入する余地はあるということ、視点の設定次第で、物理的な存在はいくらでもそれ以上の何かになることができるとでも言われているようで、建築や都市のデザインを考える上でも示唆的なアプローチだと思う。
 
話は変わるが、ケヴィン・リンチを参照するまでもなく、一人の人間にとっての都市とは何かを考えていると、それはあくまでイメージの集積としてしか存在しえないという考えに辿り着く。人間がある瞬間に体験できる空間は限定されていて、都市という広がりはあくまで記憶や知識の産物だ。そして誰かにとっての都市はまた別の誰かの都市と全く同じものではありえないだろうことも想像に難くない。それでも私たちは都市について語り、空間を共有する。
公共空間とは、そうした都市の性質が最も端的な形であらわれる場だと思う。だからその公共空間から誰が何を読み取っているかは、思いの他共有されていて、思いの他異なるものに違いないはずだ。そして、だとすれば筆者は公共空間をデザインしたり、その使い方や更新方法を提案するにあたっては、訪れる一人ひとりの人たちの場の読み取り方に大いに興味があるしできる限りその情報をインプットしたいとも思う。そこでのあらゆる人の読み取りの自由を最大限確保しながら、まだ存在していない読み取りを誘発し、かつその場を共有される場として調停すること。そのどれも成立してしかるべきものだとも思う。
 
結論めいたことを書くようで然したる確信もないのだが、上のようなことをつらつら考えていると、そうした公共空間における視点の複数性について取り扱うことこそ、情報技術の得意分野じゃないの?という気分になってくる。読み取られる場での「情報」たりうる誰かにとってしか重要でないような肌理を幾重にも重ねてみるようなこと、誰かのイメージにアクセスするという意味では必ずしも場を変える必要すらないかもしれないこと、映像や音声やテキストとして社会に流通(ネットであれ紙であれ噂であれ口コミであれ)している場の断片としての情報がどう誰に届くのかということ。そうしたすべてが実に公共空間そのものだと思えてくる。
 
といったところで今回はさわりとしてお開きにしたいが、まぁそういう興味なら、時間あるときは付き合ってやろうかと思っていただけていたら筆者としても幸い。今後こうしたトピック界隈で興味深い技術や事例、作品や研究、テキスト、なんでも、調べたり出会ったものを折にふれてこのコラムで共有させていただければと思う。今後とも何卒よろしくお願い致します。


 Bad Pressのインスタレーション風景
 ⒸDiller Scofidio + Renfro, Photography by Michael Moran

 Bad Pressのインスタレーション風景
 ⒸDiller Scofidio + Renfro, Photography by Michael Moran