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コラム

ソフトウェアの価値と対価

2018.01.30

ArchiFuture's Eye                 大成建設 猪里孝司

昨年の10月末、ロンドンに行く機会があった。Archi Futureでインフォマティクスの長島
会長から、MITやオックスフォードでのCADの黎明期の話をお聞きした。それに触発された
わけでもないが、イギリスの歴史的な街を見たいと思いケンブリッジを訪れた。ケンブリッ
ジでもオックスフォードでもどちらでもよかったのだが、ニュートンがケンブリッジのトリ
ニティカレッジで学んだということで、ケンブリッジを選択した。トリニティカレッジの他、
いくつかのカレッジを見学したがどこも美しく、素晴らしい環境なのに驚いた。日本の大学
にはない伝統の重みと歴史、文化の違いを垣間見た気がした。
 
ソフトウェアそのものではなく、使用する権利を売るというのはビル・ゲイツ(もしくはビ
ル・ゲイツの父)が考え出したとどこかで読んだ。現在では使用許諾という考えは当たり前
であることを考えると、先見の明と実行力があったといえる。マイクロソフトやビル・ゲイ
ツについてはさまざまな意見をお持ちの方もいると思うが、ソフトウェアビジネスという観
点からすると、天賦の商才があったといえる。モノからコト、所有からシェア、体験を売る
など、近年のトレンドを50年近く前から実践しているのであるから、大したものである。
 
ICT化の進展によりソフトウアの対価が変わろうとしている。使う権利を売るのではなく、
使た分だけ使用料を徴収するというものである。Adobe社のCreative Cloudが一例である。
水道代、電気代、ガス代のような考え方だと思うと、ある意味当たり前のように感じるし、
使った分だけ料金を支払うというのは、理に適っているようにも思う。単価が利用者にとっ
て納得できるものであれば、合理的といえる。問題は、サービスの提供者と利用者が合意で
きるかどうかである。当たり前だが提供者は少しでも高額に、利用者は出来るだけ低額にし
たい。自由な市場(十分な選択肢)があれば価格は決定されるが、ソフトウェア市場がその
ような状況だとは言いにくい。性能のいいソフトウアを作たことで優位に立たメーカー
の努力は評価できるが、それに対してどれくらいの対価を払えるかはユーザーによって異な
る。機能が限定されてもいいから、安価なソフトがいいという選択肢があってもいい。業務
で利用するソフトウェアに限って言うと、選択肢が十分にある状況ではない。
 
業務で利用するソフトウェアの価値は、新しい価値を創りだすためにどれだけ貢献できるか
であるといえる。新しい価値づくりへのソフトウェアの貢献度を定量化していないので偉そ
うなことは言えないが、ユーザーもメーカーもソフトウェアの価値を考えてみる必要がある
と思う。
 
50年近く前、私が小学校1年生くらいの大阪市営地下鉄の話である。切符の自動販売機など
なかった。切符売り場のすぐ横で、回数券をばら売りしているおばさんがいた。合法かどう
かは分からないが、改札口の近くで売っているので黙認はされていたと思う。当時は、面白
い商売だなと漠然と思っていた。切符を買う人は窓口に並ぶよりも早く切符を買うことが出
来る。回数券をばら売りするおばさんは11枚売ると1割程度の利益がある。市営地下鉄は、
黙認することで利用者の不満と切符売り場の繁忙度を下げることができる。今考えると、
ニッチな商いだが、いいサービスだと思う。ソフトウェアについても、メーカーとユーザー
以外の第3者を介在させることで、新たなサービスが可能なのではないかと思う。
 
トリニティカレッジのかつてニュートンが住んでいた部屋の前あたりに、リンゴの木が植え
られている。ニュートンの家にあったリンゴの木の子孫である。木からリンゴが落ちるのを
見て万有引力を思いついたという逸話の真偽は定かではないが、観察眼を持って物事を見る
と、新たな発見があるというのは真実であろう。蓋然性の高い解決方法を見つけたいもので
ある。

 トリニティカレッジの中庭

 トリニティカレッジの中庭


    ニュートンのリンゴの木の子孫

    ニュートンのリンゴの木の子孫