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コラム

ポップカルチャー都市LAの挑戦

2018.03.23

ArchiFuture's Eye                慶應義塾大学 池田靖史

早いもので留学中のUCLAもそろそろ離れる時期なのだが地元の方と食事の最中に「じ
LAに滞在して、あなたの分野でどんな洞察を得ましたか?」と聞かれ、英語のせいもあるもの
の、不意をつかれ考えがまとまらず上手に答えられなかったので、反省の意味をこめてその答
えを今回のコラムにすることにした。
LAは言うまでもなくニーヨークとともにアメリカを代表する大都市であるが、是非はともか
く現代のグローバルな社会の牽引役となっている商業資本主義的なアメリカ文化が、ほぼこの
カリフォルニアを発祥の地としていることが、その影響力を象徴的に示している。そして実は
20世紀になってから石油化学産業から映画産業、航空産業、そして研究教育産業などの新産
業によって成長した新しい都市でもあるとともに、建築や都市構造においても、我々が暮らす
現代社会のいく末を常に先行して経験して来た壮大な実験都市だと考えてもいい。その最大の
例が過剰ともいえる車社会の発達である。ご存知の方もいるかもしれないが、実はLAとて最初
から車社会だったわけではない。路面電車網も同時期の他の大都市に負けないくらいあったし、
かつて存在したパシフィック電鉄は世界最大の路線延長を持ち、ハリウッドなどの通勤型鉄道
沿線土地開発を世界に先駆けて行って、実は日本の阪急や東急のモデルだったのである。その
都市が20世紀半ばから急激に転換して鉄道を廃止し巨大なフリーウェイを建設すると同時に
通勤構造や商圏構造の全てを分解・拡散させる生活様式へと展開したことには、自動車産業の
陰謀論まで囁かれたが、その後世界中で起こったことを見れば、政策的な誘導というよりも、
20世紀の産業技術を背景にした自由な経済活動による自発的な結果と見た方が正しいと私は
思う。もちろん、この自由な経済活動やポップカルチャーが我々の社会にとって全て正しいと
は限らないが、このように建築でも都市でも技術と産業の最先端が社会を変えて行くことに最
も抵抗がなく、教育や研究などの分野ではむしろポップカルチャーの新たな可能性の探求を、
その役割として自負して来たといっても過言ではないだろう。そこにいる市民も世界中から
様々な事情で集まって来た、「保守的」という言葉から最も遠いところに位置する人々が、進
歩的でリベラルであることを共有的な価値であると信じて、いまでも他の地域で成功してから
それを顕示するために住む場所であり、若者が個人の才能と成功を信じてやって来る場所であ
り、他国の閉鎖的な状況から脱出してくる場所なのである。
 
しかし、LAは良くも悪くも世界で最も「進んで」いることで、失望や反省も世界に先行して体
験しなくてはならない、煌びやかなハリウッド的アール・デコや20世紀の工業力をそのまま
反映させるミッドセンチュリー的な未来主義、そして複雑性を求めた脱構築的なポストモダン
に至るまで、重苦しい歴史的な伝統から自由になることの喜びが満ち溢れている一方で、鉄骨
とガラスの居住環境を山の上で機械的な方法で維持することのエネルギー効率の悪さも、建築
に付帯する看板的の表象力の方が極端に肥大してバランスを欠いてしまうことも、不健康な肥
満体質のように、車社会の工業技術主義に後ろめたさを感じさせる批判として受け止めること
も世界に先んじて来た。21世紀になってコンピューター技術やネットワーク技術に社会の先
端が移り始めるとともに、同じ西海岸でもずっと北にあるベイエリアの企業に経済的な活力の
中心を奪われているようにも見える、しかし社会構造的に見ればシリコンバレー企業文化もLA
とカリフォルニアが産んだ巨大な超郊外的空間の一部として、そのポップカルチャーの延長線
上にあるともいえる。

 ロサンゼルス空港

 ロサンゼルス空港


 ランディのドーナッツ店

 ランディのドーナッツ店


 サンセット通りから見上げたハリウッドヒルズ。山の上の中央はP・コーニッグのスタールハウス

 サンセット通りから見上げたハリウッドヒルズ。山の上の中央はP・コーニッグのスタールハウス


さて、そんなカリフォルニアが次の時代に向かうのは何処になるのか、というのが本題である。
行きすぎた都市構造への対策としての地下鉄のような公共交通の復活やダウンタウンの再生な
どの軌道修正が成果を挙げていることも間違いではないし、拡大と発展が早すぎて安普請の仮
設的空間をセンス良く利用していたシリコンバレー企業が、次々と宇宙船のような超近代的な
本社を建てていることも建築の復権と取れなくもない。しかしこうした引き戻し対策よりも、
やはり最先端への大胆な実験的挑戦の方に他の都市には真似できない真骨頂があると思う。関
わったUCLAでいえば以前にもこのコラムで紹介したIDEASで教えるGuvenc Ozelの挑戦にそ
うした魅力を感じる。例えばデジタルファブリケーションで作った奇妙な3次元立体を持たせ
たロボットを強化現実デバイスで制御しながら、そこにプロジェクションマッピングでネット
ワーク上のデータ映像を映すと言ったように先端的な技術を個別にではなく、まとめて重ね合
わせることで出現する全く新しい環境体験の構築を目指すことである。それは幻としての仮想
現実でもなければ、これまでに我々のいた実体現実とも違う。その中間にあることでしか生ま
れない体験と感覚を探るために作られる第3の現実のデザイン方法への挑戦である。保守的な
意味での建築からすればその社会的規範に違反した危険な存在かもしれない。まだ始まったば
かりとは言え、従来の建築技術を根本から破壊しながら同時に環境メディアとしての再構築も
目指しているような不思議な挑戦であり、それを優秀なチームが一丸になって、とにかく全力
で試せるところが進歩的なLAらしい。

 シリコンバレーのNVIDIA本社

 シリコンバレーのNVIDIA本社


 UCLA IDEAS Guvenc Ozel スーパースタジオ

 UCLA IDEAS Guvenc Ozel スーパースタジオ


LAに到着してすぐに、電動キックボードが結構使われているなと思っていたら、 BIRDという
GPSによるシェアシステムが導入されて、みるみるその数が増加し、サンタモニカあたりでは
まさしく鳥の群れのように集団でストリートをすリ抜けて行く光景が日常になった。システム
はシェア自転車と全く同じだが、一度乗ってみると、大きさとスピードやパワーアシストの程
度などの絶妙な軽さが、新たな身体感覚と既存の空間にすんなり馴染んでしまう手軽さを持ち
得ていて、古くて恐縮だがこの感覚は30年前に初めてウォークマン(モバイルヘッドフォン
プレーヤー)を使ったときと何か似ていると思った。早速、交通安全上の問題を警察と揉めて
いるらしいのだが、私は進歩的なLAなら市民の方が受け入れてしまうのではないかと思ってい
るし、既存の社会システムとの関係にきっと問題もないわけではないが、それを破壊してでも
何かを発進できるとすればLAに違いないから、Uberの元役員がここで創業したことは確信犯
だろう。ウォークマンだってヘッドフォンを装着して虚ろな目で歩き回る無礼な人が社会規範
に危険をもたらすと非難されたが、音楽のパーソナル化がもたらす環境と個人の関係の革新的
な享楽の前に、結局、世界中の社会の方が規範を変えてひれ伏すしかなかった。革新的である
ことだけがいいわけではないが保守性を乗り越える実験的土壌があることは世界有数の大都市
として貴重な点であることを学んだと、冒頭の質問に答えようと思う。

    サンタモニカを走るBIRD

    サンタモニカを走るBIRD

池田 靖史 氏

東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 特任教授 / 建築情報学会 会長