「運」を考える
2025.09.04
パラメトリック・ボイス 髙木秀太事務所 髙木秀太
イラスト:溝口彩帆
「運」と夕焼け
先日、仕事の帰り道で美しい夕焼けを見た。東京・不忍通り、雨上がりの湿った歩道。マン
ションやビルに挟まれたいかにも東京らしい窮屈な街が、鮮やかなオレンジと青のグラデー
ションで染まっていた。普段の景色がより美しく感じた。「ああ、今日は運が良いな」と思っ
た。毎日歩くいつもと同じ通勤路だけど、今日はこんな景色に遭遇できた。こんなとき、この
運は他ならぬ僕が引き寄せたもの、あるいは、僕の実力だと思うようにしている。だって毎日
同じ場所を歩いている僕だからつかめた運なんだから。というわけで、今回の僕のエッセイの
テーマは――「運」。
イラスト:溝口彩帆
その「運」はどこから
自分は比較的、「運」がいいヤツだと思う。日々の小さな出来事から、仕事や生活の大きな出
来事まで、さまざまな「運」に恵まれてここまでやって来た。この「運」はどこからやってき
ているんだろう。ひょっとしたら僕の「しつこさ」がそれを引き寄せているのかもしれない、
と仮説を立ててみる。例えば、全然ウケなかった話題を所構わず繰り返してリベンジしてしま
うクセ。滑っても延々とやり続ける。幼少期のいつだったか、両親に「そうやって何度も何度
も同じことを繰り返し喋って……飽きないのか、お前は。しつこいヤツは嫌われるぞ。」と諭
されたことがあった。いや、確かにそうなんだけど、そのしつこさでこそ得られるものがある
ことに、髙木秀太少年は気がついていたような気がする。失敗とは自分で認めなければ永遠に
失敗ではなく、最後に誰か1人がウケれば大成功。そう、「何度もチャレンジする」というの
は「運」を上げる、すなわち、成功の確率を上げることに直結しているような気がするんだ。
「ネタが面白いからウケる」のではなく、「ウケる人を探す」あるいは「ウケるタイミングを
探す」ことを目指すって感じかな(ところでこの「しつこい話術」はオトナになった僕の大学
講義でも存分に生かされていて…まあこの話はまた今度でいいか)。
有吉さんのテレビ番組で
この観点をちょっと論理的に。先日、テレビのバラエティ番組を見ていたらこんな話題が。
タレントの有吉弘行さんがMCの番組。ゲストの学者さんがこんなことをプレゼンし始めた。
「誰でも確実に運気を上昇させるたった一つの方法がある。その方法は…」。おーっと、なん
か非科学的なこと言い始めたよ、その手の話は勘弁、と思いきや、聞いたらなるほど納得のい
く主張だった。その方法とは、まさに「何度もチャレンジすること」。番組で紹介された理論
を僕なりに要約すると以下のような感じ。
・ここにくじ引きの箱がある
・箱には100枚のくじが入っていてあたりは1枚だけ
・これを「1発勝負」でくじを引いた場合の当選確率は1%
うん、ここまではまったくその通りで当たり前の話。だけど、大切なのはここから。
・では、引いたクジをもとの箱に戻して、くじ引きを100回繰り返すとしたらどうなるか
・確率論的には「100回繰り返すなかで少なくとも一回は当選する確率」は63.4%まで上昇
する
これを数式で表すと下図のようになる。ちなみに、この計算方法は、番組のスタジオにいたタ
レントの影山優佳さんが推測した計算方法。その再現と検証。数学が苦手な人は読み飛ばされ
たし。
イラスト:溝口彩帆
「運」をつかむにも一発勝負するからバクチになるわけで、繰り返してチャレンジできるのな
らば、それは(特定の条件下においては)バクチにはならない、って主張。「下手な鉄砲も数撃
てば当たる」、そういうお話。
デジタル技術は「運」をもたらす装置
僕にとって、デジタル技術というのは、プログラムを仕込んで何度も試行して、成功の確率
を(いや、この文脈で言うと「運」を)上昇させるための装置なのかもしれないと、最近思う
んだ。「繰り返し」はコンピューターの最も得意な技。建築設計でコンピューターを使うヒト
にもぜひ意識してほしいな。デジタル技術での設計検討も、愚直にヒト(とコンピューター)
が何度も繰り返してこそ。一回きりの作図・造形、一回きりのシミュレーション、一回きりの
AI生成で終えてしまうともったいない。「運」が逃げていっちゃうよ。100回でも1,000回で
も10,000回でも繰り返してみなきゃ。そうすれば今まで見落としていた「大切ななにか」に
気がつくかもしれない。
イラスト:溝口彩帆
「運」をつかむ
「なんども繰り返しチャレンジして美しいデザイン案・設計案を発見する」ことは、「なんど
も繰り返し同じ道を通って美しい夕焼けに遭遇する」ことと、本質的な部分は同じだと僕は考
えているんだ。「いや、それとこれとは別物でしょう」って思う??僕はね、大いに共通する行
為だと思っているよ。僕が出会ってきた優れたヒトは、繰り返しのチャレンジを怠ることは決
してなかったし、そのなかで現れた運を見逃さずにつかみ取る能力を持っていた。繰り返しの
なかで予測できないタイミングでやってくる「大切ななにか」。「運」っていうのはそういう
ものだと、思うんだよね。