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欧州のスマートビル最前線
~都市・建築・ヒトの価値を結びなおす新潮流
2025.12.02
パラメトリック・ボイス
東京大学 / スタジオノラ 谷口 景一朗
10月初旬にヨーロッパのスマートビル事情を調査するため、デンマーク及びイギリスを訪問し
た。スマートビルとは、建物内部の快適性や省エネルギー性能を高度に制御するだけでなく、
都市のエネルギーシステムや利用者の体験価値と結びつけながら、建物をより賢く、より柔軟
に機能させる仕組みを備えた建築である。今回はその視察で得られた知見をもとに、ヨーロッ
パのスマートビルの先進的な状況の紹介と、日本でのスマートビル普及に向けた課題を整理し
てみたい。
都市スケールで建物を捉える欧州の視点
ヨーロッパでスマートビルが語られるとき、その議論は建物単体の性能向上にとどまらず、都
市全体のエネルギーと不可分の存在として扱われている。2024年のEPBD改正によってスマー
トレディネスが制度的に位置づけられたことも後押しとなり、建物はもはや「エネルギー消費
者」ではなく、都市の需給調整に寄与する「エネルギー資産」として再定義されつつある。デ
ンマーク政府と産業界のプラットフォームであるState of Greenでは、50年以上にわたるエネ
ルギー転換の軌跡が示され、風力発電を大量導入した国が再生可能エネルギーの変動に対応す
るためには建物の柔軟性が不可欠であると説明されていた。この思想をさらに体系化している
のがAalborg Universityであり、都市全体の熱需要や配管網をデジタルツインとして再現するHEATCODEや、低温地域暖房ネットワークの最適化概念であるThermonetを通じて、都市と
建物を一体で扱う姿勢を明確に示していた。欧州の議論においてスマートビルは、建物という
枠を超えて都市レベルのエネルギーシステムの一部として理解されているのである。
既存ストックを前提にした実装技術の成熟
欧州のスマートビルを特徴づけるもう一つの要素は、既存建物を前提にした実装技術が極めて
成熟している点である。新築の高度化だけでは市場は動かず、既存ストック全体を底上げする
現実的な技術が重視されている。EnOceanが開発する無電池無線センサーはその象徴で、わず
かな光や温度差、機械エネルギーで自律発電し、CO₂濃度や占有情報を送信する。欧州の大規
模オフィスでは18,000台超が導入されており、煩雑な配線工事やバッテリー交換を必要とし
ないため、運用コストを抑えながら建物全体のセンシング密度を飛躍的に高めることができる。
歴史的建物の多い欧州では、こうした“壊さずに賢くスマート化する”技術が不可欠であり、そ
の蓄積は日本の既存建物が抱える課題に対しても大きな示唆を与える。
ガバナンスと市民哲学が支える北欧のスマート化
欧州では、スマートビルの価値は技術そのものよりも、むしろ社会的信頼や市民の体験価値と
強く結びついている。北欧の都市戦略を研究するSmart City Insightsでは、コペンハーゲン
は技術導入を性急に進める都市ではなく、行政能力や社会受容性が確保された場合にのみ着実
に導入する「Conservative」な都市として分類されていた。ここでは、市民のWell-beingや
公共性を損なわないことが技術導入の前提とされる。また、Roskilde Universityで語られた参
加型デザインの思想は、北欧が電子政府を20年以上かけて浸透させてきた背景を説明するもの
であり、行政と市民が社会インフラをともにつくる価値観がスマートビルにも反映されている。
空調や照明の自動制御が高度化しても、利用者が安心し、快適に過ごせることが最重要であり、
技術はその実現のための手段にすぎないという姿勢が徹底していた。技術の先進性よりも人間
中心の価値を重視する文化的基盤が、北欧のスマート化を支えている。
スマート化を支える“アナログの土台”としての品質と統合
技術と社会哲学が成熟した欧州であっても、スマート化の実現にはアナログな土台が不可欠で
ある。University College London(UCL)の事例はその象徴と言える。新キャンパスで導入
されたスマート制御は、施工段階での調整不足やメーター接続不良、データ欠損、過大な設備
容量などの問題が重なり、期待通りの成果を生まなかった。むしろ制御が不調に陥り、エネル
ギー浪費が増加したという。UCLの研究者は、スマート化の出発点はAIやIoTではなく、基本的
な施工品質とコミッショニングの徹底にあると強調していた。また、設備・ICT・データを横
断して統合を担うMSI(Master System Integrator)の不足も課題として挙げられ、日本の現
場でも同様の状況が見られる。スマートビルの高度化に向けては、先端技術よりもまず統合マ
ネジメントと品質保証の枠組みを整えることが重要であるという認識が欧州で広がっている。
まとめ――欧州の先進事例が示す方向性と日本の課題・可能性
今回の視察で得られた知見を踏まえると、ヨーロッパのスマートビルは、建物を都市スケール
のエネルギーシステムの中で位置づける視点、既存ストックを前提にした実装技術、人間中心
の価値観、そして施工品質に支えられた確かな基盤という四つの軸によって成り立っているこ
とが見えてくる。これらは日本にとっていずれも欠かせない論点である。
日本の課題としてまず挙げられるのは、建物単体の省エネ性能に議論が偏り、都市全体やエネ
ルギーシステムとの統合が十分に視野に入っていない点である。次に、既存建物のスマート化
を阻む配線・工事コストや運用負荷の問題があり、欧州で見られたような「低負荷で導入でき
るスマート化技術」の普及が求められる。また、施工品質やコミッショニング、MSI の不足と
いった“アナログの基盤整備”も急務である。一方で、日本の建物は設備性能が高く、BIMやFM
データ活用の環境も整いつつあり、都市OSの議論や再エネ統合の取り組みも徐々に広がりつつ
ある。欧州の先進事例から学ぶことで、日本のスマートビルはより社会価値・エネルギー価値・
利用者価値を統合した次の段階へ進む可能性を十分に秘めている。




























