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工事現場の意思決定はなぜ難しいのか
2025.12.18
パラメトリック・ボイス 三建設備工業 日比俊介
工事現場の意思決定は、なぜこれほど定まらないのだろうか。これは現場に長くいた人間なら
誰もが一度は感じる疑問だ。経験が浅いと判断ができず、経験を積んでもなお判断に迷う。
これは個人の能力の差ではなく、もっと根が深い。“判断の前提となる情報の形”が現場の実態
と噛み合っていない。私はそう考えている。
建設の情報は、すべてが離散的である。図面は静止画、たとえそれが最新のBIMモデルであろ
うと、瞬間を切り取ったスナップショットであることに変わりはない。工程表は時間を区切っ
たマス目、仕様書は文章の羅列だ。どれも“整った形”をしているように見えるが、そのまま現
場で判断に使えるようには作られていない。情報とは本来、現象の一部を切り取ったものだ。
そこには“流れ”がない。つまり、情報は“現実を断片化したもの”であり、それを元に“現実と
いう連続体”を再現することは本質的に難しい。
現場は常に動き続ける。音が変わり、天候が変わり、人の動きが変わり、材料の流れが変わる。
同じ状態は二度とない。現場とは、流体のように形を変え続ける“連続現象”だ。しかし、我々
に与えられる情報は、それが紙であろうとデジタルデータであろうと、連続体を瞬間的に切り
取った“静止画”に過ぎない。ここに“情報は離散・現場は連続”という構造的なギャップがある。
新人が判断に苦しむ理由もここにある。図面を理解すれば判断できると思われがちだが、図面
は現場の“完全な姿”を示しているわけではない。図面には予定が書かれていないし、工程表に
は空間が書かれていない。仕様書には段取りが書かれていない。つまり、三つを見ても“現場
の動画”にはならない。静止画をつなぎ合わせて動画をイメージする作業は、人間の中で最も
抽象的な認知負荷を伴う。
経験者が強いのは、この補完能力が圧倒的に高いからだ。図面に描かれていない“関係性”を読
み取り、工程表に書かれていない“未来の分岐”を予測し、仕様書に書かれていない“作業者の
動き”を想像する。これらはすべて、瞬時に頭の中で処理される。つまり、経験者は離散情報
から“連続の世界”を組み立てる能力が高い。
判断とは、本質的には“未来の予測”である。今どうするかより、この判断が未来にどんな影響
を与えるかが重要だ。未来は連続している。分岐があり、揺らぎがあり、相互作用がある。
離散情報だけでは未来を描けない。だから判断は難しくなる。難しさは個人の力量ではなく、
“情報の構造設計”にある。
建設現場は、本質的に“情報が欠損した環境”である。敷地も違えば、構造も違う。天候も違え
ば、作業者も違う。同じ条件が二度と揃わない世界だ。だから、反復による学習が成立しづら
い。製造業は反復性によって学習が可能だが、建設は反復性がないため、学習は“抽象”として
蓄積されるしかない。この抽象の蓄積こそが“経験知”であり、暗黙知の正体ではないだろうか。
現場で判断が遅れる、迷う、誤る。それを“能力の問題”と捉える組織は多い。しかし私はそう
は思わない。離散から連続を生成する作業は、そもそも人間が得意とする領域ではない。人間
の認知は連続を扱うのは得意だが、離散から連続を合成するのは苦手だ。つまり、現場判断の
難しさは“人が弱い”のではなく、“情報の形が悪い”のである。
ではどうすべきか。必要なのは情報を増やすことではない。むしろ情報が多いほど判断は難し
くなる。量ではなく“形”が重要だ。人間が理解しやすい形とは、“関係性が連続として見える形”
である。情報同士がどう繋がるか、どこがポイントか、どこで未来が枝分かれするか—これが
連続で見えた瞬間、判断は一気に軽くなる。情報とは、ただ記録すればいいものではない。情
報とは、本来“判断を支えるために存在するもの”だ。判断を難しくする情報は、情報ではなく
“記号の束”だ。
建設業の意思決定が難しい理由は、現場が複雑だからでも、危険だからでも、多数の利害関係
者が存在するからでもない。もっと根本にある。情報の形が判断の形に対応していない。ただ
それだけである。このシンプルな構造に気づけるかどうかが、現場の判断の質を大きく左右す
る。
現場判断の本質は、離散と連続のギャップをどう埋めるかである。このギャップを埋めるため
に、現場の人間は無意識のうちに「高度な情報処理」を行っている。それが「暗黙知」なので
はないだろうか。次回はこの仮説について掘り下げたい。




























