ラーメン構造のムコウ
2016.06.07
ArchiFuture's Eye 日建設計 山梨知彦
■ラーメン構造
構造家ではない僕が、構造を語るなんておこがましい話であるが、今回は構造について書きた
いと思う。
「コンピュータの設計や施工、そして建築それ自体への導入が、決定的に建築を変え得るので
はなかろうか」と考えている僕の立場からすると、現代建築の最大の課題の一つが、20世紀
の建築を席巻した直交グリッドシステムとしての「ラーメン構造」を超える構造システムの発
明と、その美学の発見なのではなかろうかとの思いが募っている。
木造構造に慣れ親しんだ僕らには、柱と梁からラーメン構造は一見身近であるが、本質的には
少々異なる。ラーメン構造の本質は、柱と梁を剛接にすることであり、それが一般的となった
のは20世紀のこと。その普及と一般化には、20世紀の設計技術や生産技術が深く関与し、
また成形の同一フロアを積み重ねるという20世紀の超高層ビルという建築的課題にも最適な
構造形式であったといえる。
しかし、コンピュータの時代となり、建築の設計や生産が大きく変わろうとしている。超高層
建築においてですら、もはや同一フロアの単純な積み重ねではない多様な建築が望まれる時代
になった。
僕らは、コンピュータの時代に相応しい、ラーメン構造のムコウを目指さなきゃならない。
■超高層建築の登場
20世紀は超高層建築を開花させた時代であった。
1883年、世界最初の近代超高層ビルといわれるホームインシュアランスビル(10階建)
が登場する。世界最初の超高層ビルといわれているパークロウビル(119m)がニューヨーク
に登場したのが1900年。著名なエンパイアステートビル(381m)は1931年に、アル
カイダの攻撃で崩れ落ちたワールドトレードセンター(417m)は1972年に竣工している。
ちなみに日本初の超高層ビル、霞が関ビル(147m)が竣工したのが1968年のことだ。今
では250mを超える超高層ビルだけでも世界中で200棟以上が建っていると言われている。
超高層建築が、必然であるのか、必要悪であるのか、はたまた無用の長物であるのかはさてお
き、19世紀後半に生まれたこの建築タイプが、20世紀の建築シーンで存在感を示したこと
は疑いのないところだ。
■エレベーターの発明
超高層の誕生とそしてその後の発展は、しばしば技術論と絡めて説明がなされてきた。
代表的なものは「エレベーター」、即ち人工の垂直移動システムの登場。ロープが切れても落
下することがない安全な自動昇降装置としてのエレベーターが発明されたことにより、人間の
足のみでは行き来不可能な高さに到達できる信頼に足る人工の足を得ることになった。この現
代エレベーターの原型ともいえるものをオーチスが発明したのが1853年で、さらに
1889年に動力を電気式としたエレベーターが登場し、準備は整った。
こうして、超高層建築は、実験的な構造物から都市生活を担う一つの有力な建築タイプへとな
り得たのだ、とされている。
■設備の導入
また超高層建築の誕生により、建築の大型化が進み建物は奥行きがますます進み、周辺の自然
環境との距離が離れていくために、その内部空間で人間が生活するに相応しい環境を人工的に
つくり出す必要が生まれてきた。その代表的なものが、室内の空気環境を人工的につくり出す
「空調設備」であり、同じく光環境を人工的につくり出す「照明設備」であるとされている。
空調技術のベースである氷をつくる技術は既に18世紀に生まれ、19世紀には普及していた
が、さらにこの技術を使って建物の空気の温度や湿度を制御する空調の概念が生まれたのは
20世紀になってからのようだ。空調計画に用いる湿り空気線図は1911年に、ターボ冷凍
機は1921年に発明されている。さらに1930年にフロンガスが発明され、空調はブレー
クする。
一方の照明設備の方は、その始まりを電球の発明に結びつけるとすれば、イギリスのスワンと
アメリカのエジソンがほぼ同時期に電球を発明した1879年ということになる。蛍光灯が実
用化されたのが1938年。50年以降には価格が安定し、広く建築に導入され始めたらしい。
いわゆる設備の建築への積極的導入は、超高層建築と共にその歩みを進めてきたようだ。
■鉄、コンクリート、ガラス
さらには、材料も語られてる。超高層建築に限らず近代建築全般を通して、「コンクリート」、
「鉄(鋼鉄)」そして「ガラス」も3つの素材が中心的役割を果たしてきたことは疑いがない。
コンクリート自体はローマ時代までその歴史が遡れるわけだが、現在使用されてるポルトラン
ドセメントが発明されたのは1824年で、その応用範囲を爆発的に広げた鉄筋コンクリート
の概念は、1855年のランボーによるコンクリート製ボートと、1867年のモニエの「モ
ニエ式鉄筋コンクリート造」に始まり、1892年にアンヌビクによって橋や梁への応用が始
められたという。
鉄も歴史が古い素材であるが、現在構造材として使われている鉄鋼が大量生産が出来るように
なったのは、1856年のベッセマー法と名付けられた生産技術が発明された後のことであり、
最初の高層建築、ホームインシュアランスビル(1885年)は、鋼構造であった。
ガラスもまた歴史が古い材料であり、紀元前4000年には装飾用のビーズとして登場してい
る。5世紀には板ガラスの製造が始まり、12世紀にはゴシック教会のステンドガラスに使わ
れはじめていて、1851年のロンドン万博のメイン会場である水晶宮では、ガラスがほぼ全
面にわたって使用された巨大建築が実現された。実際に大量生産が出来るようになったのはソ
ルベー法などが相次いで開発された1861年以降のこととなるが、1903年の板ガラス自
動製造機の開発、1950年のフロートガラスの開発により、ガラスは超高層建築の外装を支
える基本素材としての地位を固めてきた。
■ドミノシステム、カーテンウォール、ガラスの摩天楼計画
鉄やコンクリートで作られた構造体は、本来外壁に頼ることなく建物を支えていたはずである。
しかし新しいものが登場した黎明期の常として、初期の高層建築は前時代的な石造建築の、い
や、より正確に言えば、石造建築を模した積層構造の外壁を模したデザインから離れられずに
いたようだ。
しかし、高層化がさらに加速され、超高層建築へと進化していく過程で、外壁は技術的課題か
ら軽量化が目指されるようになる。1914年には、後に近代建築における3巨匠の一人と位
置づけられるコルビュジェが「ドミノシステム」を提示し、システム化された構造の繰り返し
がそれ自体で持つ美学や、工業生産化された建築の美学が提示される。続いて発表された「近
代建築の5原則」(1927年)の中では、自由なファサードとして、外壁が構造体から切り
離され、独立した建築のエレメントとして振る舞うこと、即ち「カーテンウォール」が近代建
築における正統であることが位置付けられた。さらには近代建築のもう一人の巨匠であるミー
スが、「フレードリヒ街のオフィス計画」(1921年)や「ガラスの摩天楼計画」
(1922年)として、その後ほぼ全ての超高層建築が目指すべき方向性を提示してしまった。
■ラーメン構造のムコウ
とはいえ、超高層建築は莫大な建設費用を要するため、美学のみでは成立しえない。これまで
見てきたような、設計技術、材料や部材の生産技術、現場での施工技術、建築として成立させ
るための垂直移動技術や設備技術などが、適正なコストで調達可能で導入可能な大前提の上で
のみ成立しえる、経済活動でもある。
超高層建築は、20世紀という時代の中で、手計算およびそれを効率化するために用いられた
コンピュータ技術に支えられた構造設計技術に適合したラーメン構造と、工場で大量生産され
た鉄やコンクリートやガラスという素材と、タイミングよく生まれてきた空調や照明技術に、
近代建築という建築デザイン思潮が絶妙なバランスで加わり、生み出された建築タイプなので
ある。
今世紀に入り、モノづくりにおいては、時代は、コンピュータ技術の設計や生産そして製品自
体への積極的な導入により、大量消費を支えてきたマスプロダクションがより個人の嗜好に寄
り添ったマスカスタマイゼーションへと移行し、IoTへと移行しようとしている。
建築設計・生産の分野においても、コンピュテーショナルデザイン、3DプリンターやNC技術
導入によるデジタルファブリケーションや、ロボティクスを導入した施工、センシング技術の
導入による建築自体のIoT化などが動き始めている。
建築美学も新しいものを求め、ミースやコルビュジェの美学から離れた多様な形状を持った超
高層建築が試みられている。その一方で、特徴的なカーテンウォールを剥ぐとそこに表れるの
は、未だラーメン構造が主流である。特徴的な彫塑的外観に合わせて不自然にゆがめられた
ラーメン構造は、コンピュータの助けによって成立はしているのだろうが、どうもしっくりと
こない。同一スパンの繰り返しにより、3次元空間を均質に埋め尽くせるラーメン構造は、大
量生産の時代の技術と美学と経済性には相応しいものであったが、今や時代は不均質を貴び、
生産技術も美学も経済性もこれまでとは違った方向に進みつつある。さらにはコンピュータや
AIが大きく時代を変えようとしている。ラーメン構造のムコウにある、新たな、現代の状況に
相応しい構造システムを発明し得るかで、社会における建築の存在感が大きく変わりそうな気
がしている。