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コラム

速くつくれる時代に

2026.09.24

パラメトリック・ボイス                   GEL 石津優子

最近、子どもがYouTubeで楽しそうに見ている動画に、何とも言えない違和感を覚えることが
あります。自動音声のクリエイターの気配が全くしない、AIが生成したCGや物語。カラオケに
行っても、背景にはAIで作られた映像が流れています。私にとってはどこか気持ち悪く感じる
その映像も、子どもやその友人たちにとっては「違和感のない当たり前のもの」として受け入
れられているのです。

AIが私たちの「自然」や「当たり前」を確実に塗り替えていくのを目の当たりにする日々。生
成AIのコンテンツにあふれた環境が当たり前の世代にとって、「何かを作ることの意味や、作
り手として受け手に与える責任」を考えること自体が、やがて理解しがたい、難しいものとし
て捉えられてしまうのではないかと考えることがあります。

そんなとき、ふと祖父の姿を思い出します。私の祖父は、日常のちょっとしたメモでさえ鉛筆
ではなく「筆」で書く人でした。大相撲の中継を見ながら、力士の勝敗を筆で記録していまし
た。年賀状も印刷ではなく、毎年さまざまな墨絵を描き添えていました。「便利だから、楽だ
からといってそっちに流れてはいけない」。そんな精神性のようなものを説く祖父に、私から
すると素敵だなと思う一方で、古い価値観というかどこか難しいことのように感じていました。
そして今、3Dやコンピュテーショナルデザインについて語る自分が、いつの間にか祖父と同じ
側に立っていることに気づきます。

そんな環境で育った私は、かつてはテクノロジーとは離れた生活をしていましたが、大学院時
代にコンピュテーショナルデザインやデジタルファブリケーションに出会い、今もテクノロ
ジーを追いかける生活が続いています。ただ、生成AIが登場してからは、かつてのような熱狂
というよりも、なんとなく熱意が下がるような、終わりのない進化を追いかけきれない焦りの
ようなものと一緒にいます。好きなテクノロジーの話をしていたつもりが、いつの間にか、ど
う生き残るのかという職能や生活の話になっていることも多くなりました。それでも、不思議
なことに、「作ること」そのものへの興味がなくなったわけではありません。

私にとっての「作る喜び」の原体験は、結果が一瞬で出力されることの中にはありません。
ProcessingやGrasshopperといったプログラミングを通してつくる経験は、何時間も同じエ
ラーを見続けて、それを解決したときの達成感や、予期しない結果が生まれたときの出会いの
ような高揚感がありました。一瞬で、ジェネラティブアートのコードやGrasshopperコードが
生成されるAIの登場によってその体験が失われたかもしれません。ただ、ものづくりを中心と
したコンピュテーショナルデザイン、デジタルファブリケーションを行き来する中には、まだ
その高揚感が残っていると感じています。大型の3Dプリンターを使ったプロジェクトは、レン
ダリングでみたデータと、実際の出力物の印象が大きく変わります。趣味のキャンドルづくり
も同様です。データのまま理想の出力が出るわけではありません。様々な制約と向き合いなが
らデータを修正し、実際に作り、出来上がったものを見て議論するというプロセスが楽しくて
仕方ないのです。素材や鋳造温度によって結果が全く異なるので、作る工程にノイズがあり、
予期できない結果が出てくるところが面白いのかもしれません。

その面白さとは、ある種の不自由さや不便さといった面倒くさいと思える部分にあります。蝋
は、熱を与えると液体になり、冷めると再び固体になります。しかし、ただ溶かして固めれば
よいわけではありません。どこまで熱するか、どの温度で型に流すか、どのくらいの速さで冷
ますか。急激に冷やせばひびが入ったり、収縮したり、もろくなったり、気泡ができたりする
こともあり、急激な温度変化を避けながら、素材に合わせて冷やしていく必要があります 。

早く完成させたいと思っても、蝋が冷える時間を短縮すると上手く作品ができません。こちら
が素材の時間に合わせるしかない。その、速度を上げられない感じが、いつも何かに追われ、
焦り続けている日常から、もう少し自然な時間の流れへと戻してくれるように感じます。

普段の生活の中で娘とはできるだけ話をしたいと願っていても、中毒性の高いコンテンツや消
費欲を駆り立てるものにあふれた中、静かに話をするのは難しいです。そんな中でも、夜に娘
と一緒に蝋燭に灯をともすと、炎や溶ける蝋をみながら家でもゆっくりとした時間が流れます。
娘がつくったキャンドルと、私がつくったキャンドルを一緒に灯しながら、こういうところが
いいねと色の変化や形の変化を楽しみながら、豊かな時間を過ごします。

今日あった出来事を、とても緩やかに、静かに話し合う。毎日ではないけれど、できるだけそ
ういう時間をつくろうと思っています。効率的でも便利でもない、ただ静かな時間。蝋燭の灯
りを見つめる娘の顔を見ていると、刺激の強い現代をどう生きていくのか、そのヒントをも
らっているような気持ちになります。

波のように押し寄せるテクノロジーの中で自分を見失わないためには、こうした手触りのある
時間と、非効率を楽しむ心の余白が必要なのかもしれません。祖父は、印刷が当たり前になっ
た時代にも、書道家ではないのに筆で書くことを続けていました。今は、少しだけそれを楽し
み続けた気持ちがわかる気がします。

仕事で使えるか。時代に合っているか。効率がいいか。そんなこととは少し離れたところで、
好きなものを好きなまま続けてもいいのだと思います。

AIによって何でも速くつくれる時代だからこそ、自分が何を面白いと感じるのかを見失わずに
いたい。そして、その面白さを誰かと語り合える時間を、これからも大切にしていきたいと思
います。

石津 優子 氏

GEL 代表取締役