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コラム

一人前のビッグデータ

2016.09.27

パラメトリック・ボイス                竹中工務店 石澤 宰

CandyTech*1というスマートウォッチを手に入れてしばらく愛用していました。手軽でバッ
テリーの持ちもよく気に入っていたのですが、ディスプレイが明るく防水で心拍数も取れる
Apple Watch (Series 1)に魅力を感じ切り替えて今に至っています。こうして私の一日の運
動量がモニタリングされている、ということは自分にとっては当たり前になりました。
何度かそのフィードバックを繰り返すと「あたり」がつけられるようになります。ある日の活
動量がアクティビティモニタでどのくらいに相当するか、かなりの精度で予想できるようにな
ります。結果、運動の結果の記録をとるというだけでなく、一日の運動量を達成するにはどの
くらいのことをすればいいかが感覚として「見えて」きます。そしてまさにゲーミフィケー
ション、少しでもスコアを稼ぐべく、オフィスで上下移動に階段を使うことが運動嫌いの私に
も習慣化しました。データによって生活習慣が変わった例です。
 
ビッグデータ関連の技術を建築に取り入れていこうという話が最近増えました。「データを集
めて有効に活用しよう」というところから具体的に何をどうするかで議論が停滞しやすいので
すが、それはおそらく、我々がデータに影響され規定されるというあり方、そのポジティブな
フィードバックの蓄積が不十分なためです。「CO2のモニタリングから会議室の利用活性度が
わかります」的な話から「よりクリエイティブな会議が自然に生まれる空間」への進展の鍵は
そこにあるはずです。
 
先日発売になった「こち亀」最終巻のある一話で、登場する電極プラスが「僕は人より機械を
信用してますので」と言い切るシーンがあります*2。コミカルに描かれているシーンですが、
「人のエラーをなくすために信頼できる機械を作る」ということは分野によっては常識になっ
ていて、今更の主張のようにも思われます。
しかしそれを聞いた両津勘吉が衝撃を受けていることからもわかるように、それを我々が認め
ているか、ということはまた別です。情緒的なものとはいえ「人の行動は環境に規定される」
と「人の意志は機械(≒ソフトウエア、データ、AI、デバイス、ガジェット)に規定される」
ではずいぶん違って聞こえ、それをどの程度ポジティブに捉えるかどうかは個人差が大きいよ
うに思われます。しかしそれを認めなければ、そうしたモノを足がかりに進歩するという機会
自体が損なわれることになります。
 
先日、あるBIMプロジェクトの基本計画で私が「何にどのくらい時間を費やしたか」というこ
とを1時間単位で記録しました。そのデータが下記です。実際、BIMというとモデリングの時
間のことを思い浮かべそうですが、私の場合はそこにかかった時間はトータルでも4割、新し
くモデルを作った時間はモデルを修正した時間よりも少ないというのが結果でした。また、
色々と悩んだり問題が起きたりしたときに解決方法を検索する時間も思った以上で1日8時
間のうち1時間は調べ物という状況です。
私としては実は「知りたいから記録した」以上の動機はなかったわけですが、実際に見てみる
と明らかに私の行動を変えうる要素がいくつも見つかります。レンダリングを他のマシンでで
きないか、調べ物の時間はどうすれば減るか、等。これが「データから見えること」の例であ
り、結果、データは私の行動パターンを変えます。
 
こうして改めてプロジェクトの中の時間配分を見渡すともう一つ気がつくことは、設計者の本
分とも思われる「線を引く(モデルを作る)」という時間がどのくらいのものか、ということ
です。設計者は形を作り、検討し、物事を決定する立場にいるわけですが、そればかりをやっ
ているわけでもないということがきわめてよくわかります。これはあるプロジェクトのBIM関
連の時間だけをモニターしているので、このグラフ全体も私の勤務時間全体のある部分です。
中華料理屋さんは中華鍋を振っている人、バイオテクノロジーの研究者は試験管を振っている
人、のようにイメージ化されやすく、その流れで言えば建築設計者も多くの場合は「製図板で
線を引いている人」と思われているような気がします。それがその人の本分だとしても、傍か
ら見る以上に「その他の時間」がどれだけ多いか、実務者は感覚的によく知っています。
 
建築設計がどんな仕事か説明しようとすれば、おそらく多くの設計者が「線を引く人/モデル
を作る人」的な定義をするでしょう。ところがそれ以外にかかる時間も明らかに多く、その部
分をプラットフォームの力で変えていけば必ず何かが良くなる。しかしどうしても、メインで
使う仕事の道具が外的要因で変わるということに抵抗を感じて踏み切れない。これは見ように
よっては、セルフイメージの最もビビッドな部分に囚われているのかもしれません。
 
ビッグデータにしても、あるいはコンサルティングに類するものは何であれ、その結果を受け
入れて内化するというプロセスがない限り意味のあるものにはなりません。海外事例の話題な
どで「日本の建設業(建築設計)は特殊なので」という一言が挟まれているのをよく目にしま
す。その特殊性から建設的な結論を得られれば良いのですが、「だから参考にならない」とい
う結論に向かってしまえばおしまいです。
これと似た構図で、私がとても気になるフレーズが「BIMは(BIMなんて)単なる道具(ツー
ル)である」です。道具なんだからいきなりマスターしようなんて考えないで、ひるまずに賢
く使えばいいんだ、という意味合いであればその通りと膝を打つのですが、単なる道具ごとき
何とでもなる/道具に邪魔をされたくない、という文脈にも取れる(事実そういうつもりであ
る)ケースもあって、なかなか好きになれない言葉です。
 
仕事を楽しむ、ということは、豊田さんも書かれたように、職務時間を放棄するということで
はありません。楽しむのはツールや道具の可能性と、それによって変わりうるプロジェクト自
身・自分自身です。我々は常に変化していて、仕事のスコープも常に変化していて、それでよ
い。そのダイナミズムを生むには、データをとってみて、その結果に自分の変化を委ねてみる。
これは悪くない選択肢だと心から思います。
 
それにしても、上記の時間の記録は正直ラクではありませんでした(何しろふとした拍子につ
け忘れると、あとで思い出すのが一苦労)。こういうものこそ自動化されてくれたら……と思
い始めるのは、人情だと私は思いますが、我ながら面倒くさがりだとも思います。別に自分の
ための一人前のデータ取りに勤勉でなくたってだれも怒らないわけですが、一旦やり始めると
正確性が気になりだします。この感覚、何なのでしょうか。


*1  CandyTech by Madison
*2  こちら葛飾区亀有公園前派出所  200巻、秋本治、2016

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 コンピュテーショナルデザイングループ長 / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授