機械仕掛けのトルコ人
2017.01.24
パラメトリック・ボイス NTTファシリティーズ 松岡辰郎
18世紀のヨーロッパではオートマトンが隆盛を極めた。中世から教会を飾ってきた精巧な機械
時計の進化形として、さまざまな機械じかけが生み出されたのである。これらは当初王侯貴族
の慰みものであり、実用的なものというよりは各国の技術水準を示す社会的、文化的なもので
あった。そしてその後成熟していく中で、次第に一般大衆にも公開、展示されるようになって
いく。
自動人形はオートマトンの中でも特に興味を引くものであろう。ジャケ=ドロー父子による
「書記」「画家」はゼンマイを動力とし、歯車とカムの組み合わせだけで文章や絵を描いた。
部品を入れ替えることで記述する文章を変えることができる、プログラマブルな機能も有して
いた。残念ながら現存していないが最も有名な自動人形として知られる、ジャック・ド・
ヴォーカンソン作の「ヴォーカンソンのアヒル」に至っては、「生きているようにはばたき、
があがあ鳴き、餌をついばみ、消化して糞をした」らしい。
そんな中、人間を相手にチェスをする自動人形が現れた。1770年のことである。
作者はハンガリーの文官ヴォルフガング・フォン・ケンペレン。元々は他の自動人形作者と同
様、宮廷と女帝マリア・テレジアの関心を引くことで自身のキャリアアップに役立てることを
目的としていた。
人形は等身大でチェス盤の乗っているキャビネットの後ろに座っており、伝統的な東洋の魔術
師の出で立ちをしていたことから「機械仕掛けのトルコ人 (Mechanical Turk)」または単に
「トルコ人 (The Turk)」と呼ばれることとなる。
当時からゼンマイで動く機械が人間を相手にチェスをすることに懐疑的な意見は少なくなかっ
た。勿論実際には中に人間が入って操作をしていたわけだが、現代の奇術と同様巧妙なカモフ
ラージュがされていたためか、85年後にフィラデルフィアで火事によって消失するまで、その
仕組みは見破られることがなかったのである。その間、この人形はベンジャミン・フランクリ
ン、エカテリーナ大帝、ナポレオン・ボナパルト、チャールズ・バベッジ、エドガー・アラ
ン・ポーといった歴史上の人物と関わることとなった。
「機械仕掛けのトルコ人」のエピソードは、これまで「どんなシステムでも人間が介在する」
「自動化を志向しても人間にしかできないことがある」という文脈で語られてきた。有名な
ところでは、2005年にアマゾンが米国で始めたネットでのサービスをあげることができるだ
ろう。
このサービスは、依頼者が依頼した仕事を複数の請負者がネットを介して受けるというもので
ある。仕事の内容は、例えば「大量の画像から特定のものが写っているものを選別する」「音
声データの文字起こしをする」といった、当時はコンピュータが不得意としているものを代わ
りに人間が行うというものだった。そしてここが肝心なのだが、このサービスは ”Amazon
Mechanical Turk” と名付けられたのである。当時ニュースでこのサービスを知った時、その
ネーミングセンスに感心したことを覚えている。
アマゾンのサービスに感心しなくても、現代では「機械仕掛けのトルコ人」を容易に見つける
ことができる。建築に関係するものであれば、CADやBIMのデータ作成サービスやコールセン
ターなどが当てはまるだろう。
コスト削減のために要員が集約され、ネットワークの拡大とともにオフショア化が進み、目の
前にあるのは業務を依頼し成果を受け取るためのインターフェイスのみとなっている。要件を
聞いて図面やBIMモデルを作成する、話の内容でどのように対応するかを決める、といったこ
とは今のところ人間にしかできないことであるが、システム全体からすれば機能の一部という
ことになる。ネットの向こう側のどこで誰がどのように仕事をしているかは、もはや大きな問
題ではない。
ところが、近年のICTやAI技術の進歩とともに、人間しかできないと思われていたことがコン
ピュータに取って代わられるようになってきた。年末年始に突然ネットワークに現れ、並み居
る強豪を次々と破った囲碁の名人 “Master” が実は囲碁AI “AlphaGo” の改良版であることが
明かされたというニュースがあった(余談だが「機械仕掛けのトルコ人」も中に入っていた人
間もチェスが強かったようで、数々のチェス名人と対局し、連戦連勝だったらしい)。Twitter
にAIが登場し、いろいろと物議を醸したことも記憶に新しい。スマートフォンやロボットとの
会話も自然なものとなっている。コミュニケーションや仕事のパートナーが必ずしも人間では
ないということは、すでに珍しくなくなりつつある。
建築の分野においても近い将来、指示に基づいて図面を作成、修正したり、クレームや不具合
のデータから原因の特定や解決手順を提案するサービスが実現されることだろう。
”Amazon Mechanical Turk”のサービスが始まった時、人間がコンピュータに使われるように
なったといった悲観的、否定的な議論があった。しかし、システムの中に人間にしかできない
機能が残っていると捉えれば、人間とコンピュータの関係を協働と見ることができるだろう。
むしろ問題なのは、すべての機能をコンピュータが実施できるようになった時ではないだろう
か。その時に人間はどのような立ち位置にいるべきか、考えておいたほうが良いのかもしれな
い。
現在、人間であれば容易に解けるような建築領域の問題を、ディープラーニングによって判定
エンジン化する試みを行っている。その中で学習のさせ方と教材を揃えることに四苦八苦して
いる。現時点では、ある程度仕事ができる基本的なAIを育成することは、新入社員に仕事を教
えるよりも面倒らしい。案外このあたりに今後の我々のとるべき行動に関するヒントがあるの
では、と考えている。
18世紀の愛すべき自動人形たちは、その後勃興した産業革命の機械化にその技術を引き継ぎ、
歴史の流れの中に消えていった。システムがすべて自動化され、自律的に動作することが当た
り前になった時、「機械仕掛けのトルコ人」のように人間が機能の一部を担う現在のシステム
構成を懐かしむ日が来るのかもしれない。