オブリーク・ストラテジーズ
~音楽家と画家が考案したモード切替カード
2017.12.19
パラメトリック・ボイス NTTファシリティーズ 松岡辰郎
オブリーク・ストラテジーズ(Oblique Strategies)と名付けられた一組のカードがある。
ミュージシャンであり環境音楽の創始者の一人であり、Windows95の起動音や音楽プロ
デューサーとしても知られるブライアン・イーノと、画家のピーター・シュミットが1975年
に考案したものである。
115枚(エディションによって枚数は異なっている)のカードにはそれぞれ文章が書かれて
いる。文章はどれも短く抽象的で、どのようにでも解釈できそうなものだ。例えば、“Trust
your instincts(あなたの本能を信じなさい)”、“Procrastination is an action(ぐずぐず
するのはアクションだ)”、“What mistakes did you make last time?(前回のミスはなん
だった?)” 、“Work at a different speed(違う速さで作業しなさい)”、“Words with
the letter K in them are funny(その中のKがつく言葉は面白い)”、“Reverse(逆さにし
なさい)”、“Use filter(フィルターを使いなさい)”、“A line has two sides(ラインには
二つの側面がある)”、“Doors serve no purpose unless used(ドアは使われなければ目
的を果たさない)” ……と言った具合である。
この不思議なカードはゲームのためのものではない。創作活動中に行き詰まった時、無作為
に引いた一枚に書かれたメッセージを元にモードを切り替え、凝り固まった思考から離れた
アイディアや着想を得るためのツールである。カードの説明書には、「妥当性が不明でも、
その時のカードを信じてください。」と書かれている。
ブライアン・イーノは、デヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」制作に参加した際にこのオブ
リーク・ストラテジーズを使用している。余談だが、このアルバムは1977年、東西冷戦下の
ベルリンで制作された。時代の空気感もさることながら、当時のジャーマン・ロックの影響
や、それまでプログレッシブ・ロックで実験されてきた手法のポピュラーミュージックへの
展開等、音楽のプロトタイプを商品化したとも言うべき重要な作品である。(この辺りの話
がお好きな方は、オフラインで筆者を見かけた際に話しかけていただけるととても喜びます)
当時どこかでオブリーク・ストラテジーズのことを知り興味を持ったのだが、日本で入手で
きるわけもなく(一時期は日本語翻訳版もあったらしいが)、長らくその存在を忘れていた。
ところが最近スマートホンのアプリケーションになっていることを知ることとなり、一も二
もなく入手した。今ではブライアン・イーノのサイトからカード自体を購入することもでき
るようで、今更ながらネットワークは世界を覆っていると実感する。
昔からアイディアに行き詰まったら視点を変えろと言われてきた。ただ、筆者がオブリー
ク・ストラテジーズを面白いと思ったのは、視点の切り替え方をノウハウや暗黙知としてで
はなく、抽象的ではあるものの有限の選択肢として提示している点だ。
データマイニングをはじめとするさまざまなデータ分析手法は、それまで専門家でも気が付
かなかった新たな知見を文字通り掘り出す手段として注目されてきた。ビッグデータ等の
キーワードとともに、大量のデータがあればそこから新しい知見を見つけることができる、
と大いに期待されたものである。
一般的にデータマイニングでは、数や頻度とともに何が起きているかを把握する「見える
化」、なぜ起きて何が関係しているかを明らかにする「構造化」、課題はどこにあり何をす
べきかを見出す「最適化」、それが続くとどのようになり次に何が起こるかを知るための
「将来予測」、の四つのステップを踏むことで、データ分析のレベルを上げていく。レベル
が上がるほどデータの価値が向上し、新たな知見が導出される。新たな知見や知識が見いだ
せればAIにそれらを活用させ、更に高度なことも実現できるだろう。
しかし実際には無作為に蓄積された大量のデータを掘り下げてみても、期待を上回る知見を
得ることは容易ではない。最初に方針と仮説を立て、必要なデータを揃えてクレンジングし
分析を繰り返すことで、ようやく四つのステップを踏んだ知見やシミュレーションモデルに
たどり着くことができる。もし必要とするデータが存在しなければ、その時点で別の戦略を
練らなければならないだろう。データマイニングの好事例として知られる「ビールとオムツ
のあわせ買い」も、決して偶然に発見されたわけではないのだ。
ビッグデータから新たな知見を見つけるには、大量のデータを迅速に処理し保存する技術
(テクノロジー)、データから有益なインサイトを客観的に抽出する科学的アプローチ(サ
イエンス)、どのようなデータを組み合わせれば新たな価値が生まれるかと言う芸術的な目
利き(アート)、の三つの要素が十分なレベルで揃っていることが不可欠であるとされる。
特に目利きについては、偶然引いたカードに書かれたメッセージに従うようなものではない
にしても、従来の思考の延長にとどまらない、発想やセンスの引き出しをより多く持つこと
が重要なのだと容易に想像できる。
ファシリティマネジメントにおいても、データ分析は重要な位置を占めている。建物に関わ
るデータを集めてデータベースを構築し、現状分析や課題抽出を行うのが一般的な手順であ
る。とは言え、より踏み込んだ知見を得るためには、今までとは少し違う視点でデータを眺
める必要があるだろう。
例えば施設に対するクレームを受けて部位機器の不具合や故障への対応を行う場合、簡易な
修繕で良いのか更改や改修と言った抜本的な問題解決をしたほうが良いのかを客観的に判断
したいとする。問題のレベルを知見として引き出すには、形態素解析でクレームの文章に含
まれる箇所や現象を表す用語を抽出し、頻出度や単語間の距離を分析する必要がある。更に
不具合や故障の頻出度と対応コスト、他のクレーム事象との組み合わせも考慮しなければ、
建物全体の潜在リスクを知ることは難しいかもしれない。ここで求められるのは、テキスト
マイニングの技術と組み合わせる単語の見極めだろう。
建物の構成要素を元にした中長期の整備修繕計画の策定は、ファシリティマネジメントの最
も基本的なミッションである。しかし、物理的な耐用年数や修繕周期を元にした整備修繕計
画は、目安にはなるもののリアリティに欠ける感がある。ミッションクリティカルな建物で
ない限り、耐用年数が来たからと言って壊れてもいない部位機器を、コストをかけて交換す
る建物オーナーは多くないからだ。むしろこれまでの履歴データから修繕の実施時期や支出
判断の理由をもとに、建物のライフサイクルにおける経年コストモデルを作成したほうが、
建物オーナーの納得感を得やすいかもしれない。この場合は様々な領域のデータを収集し、
種別や規模だけでなく建設関係者や建設時期と言った品質にかかわる情報の組み合わせの目
利きを発揮しなければならない。分析のためにどのようなアルゴリズムを選択するかのセン
スも問われる。
ファシリティがオーナーにとってどのようにあるべきかを考えることは重要である。そのた
めには建物の種類ではなく、建物オーナーの事業をモデル化すべきかもしれない。同じ業種
でも、一日に高価なものが一つ二つ売れれば利益が出るビジネススキームと、薄利多売のそ
れでは事業ツールとしての建物に求めるものも異なるはずである。どのような目利きをすれ
ば、事業のモデル化ができるだろうか。
これまでいくつかの建物データ分析を通して、新たな知見が発見できないか試行錯誤してき
た。それなりに形になったものもあるが、まだまだ課題ばかりが見えているものも少なくな
い。データの山から宝を掘り当てるための「少しだけ視点を変えた戦略」を得るための思考
モード切替カードを一枚でも多く持っていたいと思う。