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コラム

SF少年の夢

2018.02.13

ArchiFuture's Eye                慶應義塾大学 池田靖史

今回のコラムは1961年生まれの私がコンピューターに触れる以前の話。昔話をすると年寄
り臭くなるのも嫌だし、子供の頃の記憶なので正確ではないかもしれないのだが、最近みた夢
の中でなぜか突然記憶が蘇ってきたので、この機会に文章にして残させてほしい。
我が家にテレビが来たのは小学校に上がる前だったと思う。鉄腕アトムのようなSF的番組が大
好きだったが、同時にテレビの箱の内部に強烈に興味を覚えた。少し開いた4つ足がついた箱
の内部は普段は換気口の隙間の様なところから窺うしかないが、時々、テレビが故障すると家
に修理屋が来て箱の裏を開ける。そこにはびっしりと電気部品が詰め込まれ、その中でもガラ
スの真空管が塔のように並んでいるところは、まるで未来都市の模型を見ているようで、私に
てはSFの世界と同じように魅惑されていた。少し気難しそうな眼鏡の修理屋は真面目な顔
でテスターをつないで、医者が病気を発見する様に診断し、アタッシュケースの中にぎっしり
並んだ新品の真空管を何本か選び出して交換すると映りの不調が治った。今思うと真空管が寿
命のある消耗交換部品だっただけなのだが、その様子があまりにも神神しくてじっと見ていた
記憶がある。いや、おとなしく見ていなくて質問攻めにしていたという母の証言もある。その
せいかどうか判らないが、その数年後に、通信販売で買ってもらったのが5球スーパーヘテロ
ダイン方式中波ラジオの組み立てキットだった。部品の真空管のガラスの表面に6BA6とか番
号が書いてあるのが無闇にかっこよく思え、嬉しすぎて握ったまま布団に入った。だが詳しい
解説書に従ってハンダ付けの練習から始まるキットでも小学校中学年の私には少し難しかった
のか、結局、放送を受信することはできなかった失敗体験でもあった。もっとも電源系統だけ
は正しくできていたのか、真空管には火が灯った。今や見たことがない人も多いかもしれない
が、真空管は電球と同じ様なフィラメントがあって微かに発光する。その様子を観た時の興奮
が記憶にあるから、やはり、私は電気回路の働きではなく姿に惚れ込んでいたのかもしれない。
同時期に最も熱中していたのは大阪万博で、全てのパビリオンの名前と場所を完全に暗記して
地図がかけるくらいに、まだ行ったこともない場所の情報を集めていた。

    計測器ランドの通販で今でも売ってる「5球スーパーラジオの組み立てキット」
    ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の計測器ランドへ
    リンクします。

    計測器ランドの通販で今でも売ってる「5球スーパーラジオの組み立てキット」
    ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の計測器ランドへ
    リンクします。


    1960年代の「子供の科学」「初歩のラジオ」の表紙
    ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の夢の図書館の
    Webサイトへリンクします。

    1960年代の「子供の科学」「初歩のラジオ」の表紙
    ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の夢の図書館の
    Webサイトへリンクします。


当時、私にそうした情報を与えてくれた雑誌の典型が誠文堂新光社「子供の科学」だった。料
理レシピの様に科学工作の手順が記事になっている中の電子工作の記事を、これも実際に作る
わけでないのに何度も繰り返して読むために、そうした記事の多い「初歩のラジオ」に移行し、
アマチュア無線の資格が取れるくらいには電気回路の勉強をした。SF好きのオタク少年だった
ので、ラジオという人工的なシステムの製作方法がSF的な世界へ本当に入り込める入り口のよ
うに見えたのだと思う。こうした雑誌は記事もさることながら広告が質量ともにものすごく、
カラー写真で美しくライトアップされた高級な無線受信機から、電話帳の様に部品番号や製品
番号とその時価だけを文字で埋め尽くした中古ジャンク屋の宣伝まで熟読していたところ、小
学校6年のとき九州から東京に引っ越すことになって、中学生になった頃には雑誌の中でずっ
と憧れていた聖地、秋葉原の電気街に一人で行けるようになった。小遣いが溜まるのを待って
店先に豆菓子の様に売られている抵抗器やコンデンサーなどの部品を品番のメモに従って小皿
にとって買い集め、トランジスタによる電子工作に挑戦し始めた。考えてみると当時の時代の
流れは速く、すぐに黒いムカデの様な論理集積回路が入手可能な価格になって、ボタンを押す
と豆ランプの点滅が止まる電子ルーレットの様なものも作った。今度は完成したものの、金属
製の筐体にドリルで開ける穴は不器用で失敗し、雑誌の記事ほど美しくない結果にがっかりし
たから、ここでもビジュアルが目当てだったのかもしれない。それまでの電子工作は時計やエ
ンジンのような機械的な動きとは違うとはいえ、役割を持つ部品の組み合わせにシステムの構
成が現れていたが、論理集積回路は、原理を記事で理解しても、ICになってブラックボックス
化されて見えにくいことにも若干不満だった。こうして東京にいた中学生の間にマイクロコン
ピュータ(マイコン)の登場について、この頃創刊されたASCIIなどの表紙や雑誌広告を通じ
てビジュアルから目撃していくことになった。緑色に輝くむき出しのプリント基盤のような製
品から、世界最初のマイコンキット販売Altair8080やIMSAI8080のようなLEDのついたオー
ディオアンプの様な箱も、電卓に小さな画面がついた様なPET2001もテレビにつなぐAppleII
の登場も買うことの出来ない雑誌の写真として憧れつづけるしかできなかった。それでも一般
の人間がとても触れることが出来るとは思えなかった未来の存在であるコンピューターが、な
んの役にたつのか全くわからないままに現実的な姿を見せようとしている時代の熱を感じ続け、
秋葉原ラジオ会館にあったNECのショールームBit-INNで作戦を授かり、中学校の電子工作ク
ラブの部活動の担当教師に直訴して部費で買ってもらったTK—80という直接電卓の様な
16進キーボードが取り付けられているマイコンキットが初めて現実に触れることのできるコ
ンピューターとの出会いになった。ただ、週に1回の放課後しか触れる時間がないうえに、そ
の後、再び転校して九州に戻ってしまう前に組み立ては完了したと思うが満足に使えた記憶は
ない。当時は地域による情報格差は大きく秋葉原から離れるとマイコン雑誌を入手するのも難
しくなった。私が高校生の間にマイコンはパソコンに急激に進化し爆発的に広がり始めるが、
私自身がべーシクのプログラミングを独学出来たのは、生協のNEC-PC8001の展示機の前で
何時間も立ったまま占有する方法を発見した大学進学後になって、そのブランクの間に機械製
品のデザインへの興味から建築へと進路を決めていた。

今回は私小説のようで申し訳ないが、40年前の少年時代のこんな体験を共有している方も少
なからずいるようなので、時代の動きだったのかなあとも思う。こうして振り返ってみると、
ある時期までコンピーターは必ずしも身近な存在ではなかった。しかしSFテレビ番組などを
通じて、そのビジュアルなイメージが育まれ、宇宙開発などを通じて若者の科学技術への憧れ
と結びついていた。メーカーのビジネス的思惑でも政府の管理政策でもなく、そうした若いア
マチュアたちの熱意がパーソナルコンピューターとの普及というある種の革命的社会現象を衝
き動かした原動力になったのではないだろうか。私の場合は電気信号処理という本来かたちの
ないものに視覚的な形態から興味を持ち始めたという出会いを引きずって、結果的に情報技術
と空間構築の間で彷徨することになったが、デジタル技術の登場が既存の社会を内側から自由
にしていくように肌で感じたことが忘れられない。一見複雑な人工物の構成原理が体験を通じ
て見えてくることには、自然界の現象同様に暗号を解読しているような楽しみがある。だから
環境の持つシステム性の本質が情報という不可視の概念に置き換えられても、目に見える実体
への単純な興味とある種の歓びはなぜか失われない。だから視覚的な体験としての建築や都市
の幾何学的配置や形態の構成と、その背後に存在している見えないシステムの働きに、未だに
興味が尽きない。

  NEC TK-80の雑誌広告      月刊ASCII創刊当時の表紙
  ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の月刊アスキーのWebサイトへ
  リンクします。

  NEC TK-80の雑誌広告      月刊ASCII創刊当時の表紙
  ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の月刊アスキーのWebサイトへ
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 世界最初の組み立てコンピュータキットAltair8080 はただの箱だったが1年後のCommodore
  PET2001はジョブズのAppleIIとほぼ同時に登場しモニターとキーボードの構成をオールイン
 ワンにした
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のoldcomputers.netへリンクし
 ます。

 世界最初の組み立てコンピュータキットAltair8080 はただの箱だったが1年後のCommodore
 PET2001はジョブズのAppleIIとほぼ同時に登場しモニターとキーボードの構成をオールイン
 ワンにした
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のoldcomputers.netへリンクし
 ます。

池田 靖史 氏

東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 特任教授 / 建築情報学会 会長