世界一になった中国のデジタル社会主義経済
2018.06.21
ArchiFuture's Eye 慶應義塾大学 池田靖史
この15年間、私の事務所は継続的に中国でプロジェクトを展開してきたので、その急速な変
化を目のあたりにすることができた。今年は私自身の海外留学のため少し間があいてしまった
が、その一方で世界中の都市で中国の経済的影響力の拡大を見せつけられていた。そして先月
8ヶ月ぶりに中国に渡って、そんな短い間にも人々の気持ちにさらに大きな変化が生まれてい
るように感じ、改めて考えさせられる思いだった。単なる個人的な体験からであり統計的な証
拠などがあるわけでもないのだが、私の知り合いの中国の人々の言動に自国の社会経済に対す
る「自信」が強くなってきているというのが、私の持った印象である。様々な経済統計などで
米国を追い落とす勢いを見せているのだから当然ではあるのだが、試しに友人たちに私の印象
を話して意見を聞いてみると、その背景には膨大な対米貿易黒字や、政府主導による大気汚染
問題の迅速な解決などとともに中国流のIT技術の社会的な浸透があると思えてならない。経済
的な発展を遂げ建築を含めた様々な技術分野で国際的にトップレベルに達しつつある一方で、
社会主義国家として、資本主義経済とは決定的に異なる政治システムを持つ中国は、「デジタ
ル社会主義経済」ともいうべき未来像に目覚めつつあるようだ。
既にある程度の人たちが言及しているので今さらかもしれないが、中国は世界有数の「デジタ
ル先進国」として認識されつつある。その具体的な中心はスーパーコンピューターや生産施設
の自動化などではなく、小売りビジネスやデジタルサービスによる日常的な経済活動の先進的
デジタル化である。もっとも端的な体験として、上海や北京では現金を使わないといけない支
払いがほとんど無くなっていた。新幹線のチケットのようなものだけでなく、屋台の売店です
らも携帯電話を通した電子決済、WeChat(微信)かAlipay(支宝)で完結し、友人との小銭
のやりとりや割り勘に至るまで、財布を取り出すことなく、携帯画面で選び、携帯画面で済ま
せるからである。それは便利というよりも強制的なものに近く、小さな店ほど現金を受け取ら
ないことも多いので中国に銀行口座を持たない旅行者には不便ですらある。調べてみると電子
商取引化率(ネット通販/小売全体)は日本の倍、モバイル決済額は米国の11倍、タクシー配
車アプリの利用者数も世界最大となったようで、中国の消費者は世界で最もデジタル化の進ん
だ暮らしをしている。また人口規模が大きいためにその利用者数や経済規模が巨大になること
も当然で、結果として昨年AppleやGoogleに並ぶ形で世界の株式時価総額のランキングに
TencentやAlibaba(阿里巴巴)がトップテンに入った。また、その売上額も凄まじく、シーズン
最盛期の1日の売り上げは3兆円近くに上る。
一般的にその理由としてあげられるのが、Great Firewallという言葉で呼ばれる国家的な保護
政策である。Facebook, Google, LINE, YouTube等は政府規制により実質遮断され、代わり
にBAT (Baidu, Alibaba, Tencent) と呼ばれる中国ICT業界の巨人が提供する検索、電子決済、
SNSなどの国産サービスが独占的状態にある。そしてPCから段階的に発展してきた先進国と
違って、安価なスマホと電子商取引を直接結びつけているため大衆への広がりとそのスピード
が違う。ユーザー側から見るとチャットによる個人的コミュニケーションから、個々のサービ
スの購入までが直結してあり、ビジネスモデルとしては検索サイトやそのネット広告などを経
由せずに利用の拡大を促進している点に他国との大きな差が生まれている。つまりWeChatや
Alipayをあっという間に支払いのデファクトスタンダートにできたのは、SNS、Game、
Shopping等あらゆる局面でユーザーの生活と密接に繋がっている状態になったからである。
我々の建築分野で言えばスマホメーカーだったはずのXiaomi(小米)の提供するスマート・ハ
ウス技術をも掃除機から炊飯器まで様々なスマホ経由制御の製品を個別に提供して、好きなと
ころから好きなだけスマート化する安価な製品を随分前から販売していて、日本の同様の製品
よりずっと進んでいる。住居に関する蓄積データの利用がこれからさらなる発展を産むだろう。
社会体制の違いから、こうした国内情報産業保護政策をいわゆる国家的な社会監視の目的と捉
えてその危険性を主張してきたのが従来の自由主義社会の一般的な反応であったと思う。確か
に監視カメラの顔認識画像の扱いなど様々な面で米国を中心とした既存の先進国社会が保持し
ている社会的規範(あるいは未決着の法律的基準)とは異なる大胆な利用を国家的な管理のも
とに進めているのは事実で、その危険性を許容できるかどうかは日本においても難しい問題で
ある。しかしその成長ぶりと規模、一般大衆の積極的な日常的経済活動の変化について、従来
のIT先進国家である米国ですら羨望や焦りを感じ初めていると言っていいだろう。その上、国
家的な管理を離れた経済的行動のはずのFacebookのような企業が結果的に大統領選挙のよう
な重要な民主的手段に影響を及ぼしたというような疑惑が生じてきて、肝心の情報社会管理の
安全性が揺らいでしまうと、中国の現在の方針だけが非難されるべきなのかも怪しくなってく
る。これまでにも検索エンジンなどを通じて行われていた個別の需要予測であるプロファイリ
ングの手法は、人工知能の登場によってはるかに進化することが可能だし、その性能も中国の
方がずっと早く向上させることができるはずだ。なぜなら人工知能が分析する対象であるビッ
グデータも規制の弱い中国の方が集めやすく利用しやすいからである。個人的な商取引や経済
活動に関する情報についてプライバシー保護が尊重されていないことは個人(自由)主義の国
である米国から見れば考えられないことだと思われるが、一方で、中国の政策が本当に一般市
民の経済活動や社会的幸福に不利な方向ばかりと考えていいのだろうか?
中国の電子的小売業態が急成長している理由についてもう少し詳しくその内容を見てみると、
売れ行きを左右する要因としてSNSの情報交換から自然に現れるオピニオンリーダー的存在の
自主的な評価が自然淘汰的に情報の信頼性を上げていることが注目されている。これは相互評
価によるユーザー間の信頼の構築をその本質にしているUberのような仕組みにむしろ近い。同
様にアリババの関連会社、アント・フィナンシャルサービスのZhima (芝麻信用)は、融資判断
に用いる個人の信用度を算出するアプリで、学歴、勤務先、資産、返済状況、人脈、行動の
5つの指標の組み合わせで信用度を計算し評価する。国家が広すぎて商業取引の相手を信頼で
きるかどうかが最大のネックになっていた中国の経済活動を画期的に改善できる可能性があり、
その効果を最大に享受できるのは一般市民である。改めて見直してみると最初に登場したスマ
ホ電子決済だって屋台の店でも使われている理由はクレジットカードより格安な導入コストと
バーコード一つで小銭や管理や従業員の教育などを省略できる簡便性であって、間違いなく零
細業者に有利な仕組みの提供なのである。Uberのような システムにしてもドライバー(労働
者)とユーザー(消費者)はこれまでより利益を得られ、損失を被るとすれば、これまでサー
ビスの安全性と信頼感を確保してきたマネジメント層である。同様にこの例にしても、商取引
に関わる一般市民はクレジット会社というマネジメントサービスの独占的ビジネスから解放さ
れて、広告費などの信用強化策に費やされていたコストを削減できる。つまり個人的な商取引
や経済活動に関する情報を国家的管理のもと公開してしまうことで確立される大衆的な商業活
動としての「デジタル社会主義経済」が誕生しようとしていると見ていいと思う。資本主義社
会においても中央集約的な供給モデルを脅かしているシェアド・エコノミーと呼ばれる消費財
のサービス化と共有化はここに同調している。だが中国以外の国では既存の社会システムとの
軋轢と保護から導入が足踏みしていることも多く、皮肉にも自由主義経済の方が不自由な状況
を抱えてしまっているのかもしれない。
この動きを自国の経済的将来を楽観視する率が(日本と対象的に)世界で最も高い中国人民は
強力に後押ししている。プライバシーと同様に知的所有権に関する倫理観の差は、模倣ビジネ
スを素早く大胆に推し進めることもできる。その代表でもある中国版UberのDiDi Chuxing(滴
滴出行)は国内資本家たちの膨大な資金援助を受けて中国における本家のビジネスを買取り、
さらに他社のビジネスも統合して快進撃を続けている。この場合には中国の民間資金力の可能
性を見せつけることにもなった。どの国も技術的な進歩に社会的規範の見直しが追いつかない
現代的な状況にあるなか政府主導の強さは決断の早さとなって有利な要因となり、政治的な独
裁の危険性を回避するために慎重な検討を重ねる議会制民主的な社会が結論を出すのに手間
取っている間に驚異的なスピード感と資本力に裏打ちされた中国式デジタルサービスは既に世
界進出も開始している。
何れにしてもこの動きにはもっと意識をするべきだと思う。