Magazine(マガジン)

コラム

解題:Archi Future 2018「社会VS情報技術」

2018.12.06

ArchiFuture's Eye                慶應義塾大学 池田靖史

今回は10月に行われたArchi Future 2018についての振り返りをしてみたい。私は実行委員会
のメンバーでもあり、だいたいイベントの主催者側は良いことしか言わないものであるが、そ
れにしても参加者数などに関して掛け値なく昨年までよりも盛況になった事は、毎年来場され
ている方なら実感として認めていただけるだろう。実は後述するように今年は、実行委員会と
しては少々「賭け」にでていたので、この「大当たり」は結構嬉しい。入場無料のイベントな
ので予想入場者を超えても別に財政的なことに直接貢献する訳ではなく、単純に開催内容に関
して我々の問題意識への共感度合いが測れるという意味でしかないかもしれないものの、心情
的には一番嬉しいことでもある。しかしながら喜んでばかりはいられない、期待を持って来場
された方の中にも、必ずしも満足されずに終わった方もいるかもしれないし。かくゆう私自身
も自分の関わった部分について、もっと伝えたかったことや反省点がない訳ではない。開催前
の煽りばかしではなく、事後の振り返りで少し心を引き締めたいと思う。

まずはアリババ。お気付きの方もいたかもしれないが、このコラム連載の拙稿「世界一になっ
た中国のデジタル社会主義経済
」が背景にあって、まずはすでに日本を追い越したと考えられ
る中国IT企業の凄まじい勢いを肌で感じて欲しい、というのが第一だったのでその点について
はある程度成功したのではないかと思っている。その上で補足すると母体であるこの中国版ア
マゾンは14億人の人口を背景に、本家を超える取引量を誇る世界最大のオンラインコマース
プラットフォームとなり、年に一度のバーゲンセールである11月11日の今年の売り上げが
3兆5千万円というバケモノ企業で、その創業からわずか20年で総従業員数16万人になっ
た巨大企業の平均年齢はなんと28歳、まさに勃興する若き中国IT勢力の象徴である。そのア
リババが、クラウドサービスをやっている理由はAWSとおなじくシンプルで11月11日に集中
するにサーバーが絶対に落ちないためのコンピュテーショナルなキャパシティの有効活用であ
る。Eコマースのサーバー障害は取引の取りこぼしとして甚大な損失を引き起こすから、どん
なに金をかけて整備しても惜しく無い、結果的に作られた巨大な設備が、有り余る計算能力資
源として行き場を求め、技術的に高度であろうとなかろうと、自動顔認識やAIによるデータ処
理サービスなどをどんどん安価に提供してしまう。アリババだけで起きていることでは無いが、
AIが急速に社会に浸透しつつあるのは、最新のコンピューターの高速化ではなく、この巨大な
投資による計算資源能力の余剰と低価格化であることは知っておくべきだろう。その上でス
マートシティを実現する様々な情報システムサービスを消防や警察などに提供を開始している
のが、シティブレインというわけなので、既存の都市インフラ企業からしてみれば強力な異業
種参入ということになるだろう。しかもそこには従来の社会的なシステムを大きく変える破壊
的な力があるだけでなく、こういうことに現実主義的な中国の社会の中で、驚異的なスピード
で実現しつつあることは電子決済などの他の社会的ITビジネスと似て注目すべき点が多い。こ
うした強い思いがあってアリババクラウドに目をつけ、参加者が日本の現状と比較して何を思
うか問うて見たい、というのが狙いだったし、講演は十分に刺激的だったのでは無いかと思う。
しかし核心部分はかなり上手にかわされてしまったので、もう少し掘り下げておきたい。

これは開催テーマと重要な関係があって、こうした破壊的な技術革新を受け入れる社会的な覚
悟について、我々が考えるべき点である。例えば交通信号機を自動調整して、交通渋滞を解消
したり、消防車の到着を優先したりできるようにできることは文句なく素晴らしい。しかし都
市内の全ての交通状態をデータとして完全に把握できるシステムは同時に、既存の交通ルール
の不思議な矛盾点をあぶり出す。例えば既存の交通違反取締は、ある意味一罰百戒的な理念に
よって成立している。全ての事象を観察することが不可能であるという前提が存在したからだ
が、例えばそこら中に設置されたカメラと画像認識技術の新しいシステムを使って、違反して
いるドライバーは(データ上は)100%近く把握可能になっている。しかしそれを全て摘発
することは中国でもしていないようだし、突然一部の地域だけでやればむしろ混乱を招くこと
になるだろう。結果的に証拠があるのに見逃しているという不思議な状況が生じ、摘発に関し
ては警察側の裁量に任されているように感じて不安を覚える人もいるかもしれない。しかし、
これは取締側の意図というよりは既存の規則運用の前提と新しい技術との間に生じた齟齬とい
うべき問題である。交通規則はもともと事故を減らして安全を確保するためにあるわけであっ
て、新しいシステムを前提にもう一度その原点に戻って規則の内容や運用方法を再検討しなく
てはならない、と考えるべきである。その際、個人の行動履歴の記録というものが、どのよう
に扱われるべきなのかが大きな問題なることも議論すべき問題になることも間違いない。個別
な事例の落とし所がどこにあるのかについてはここでは関係ない。ただ、このようにデジタル
技術の革新が我々の社会規範の更新を促しているという事実をもっと明確に出したかった。な
ぜならこうしたIT技術革新が正しく社会に定着されるように考え議論すること自体が現代社会
に生きる人間が最も努力すべきことであると思ったし、全ての人が直面している課題だと思っ
たからである。来場者の反応に今後の社会を動かす可能性を感じたいと思っていたので、議論
の進行が中途半端でそこまで行けなかったのは反省すべき点だと感じている。

建設ロボティクスについても、全く同じとは言わないものの、根底には建設産業の経済的な活
性化や効率化に留まらないで、建設作業における人間的な職業尊厳意識という社会的な問題に
切り込みたいと思っていたのであるが、その結果少し議論が漠然としてしまったかもしれない
と思っている。スーパーゼネコン各社のプレゼンで示されたように、20年以上前から取り組
まれている現場作業の省力化、無人化は近年の技術革新と熟練労働者の減少を背景に、これま
でよりもずっと現実味を帯びてきている。それが3Kなどと呼ばれていた建設作業を先端的で
もう少し見栄えのいい職業へと転換させることの期待も理解できる。しかし自動化された作業
機械を見張るような職業が本当に、ものづくりの職業的な尊厳に近づいていると言えるだろう
か?開催前に掲載された拙稿「スイスの職人気質とデジタルコンストラクション」で、私は建
設ロボティクスが建築デザインを変え、建築の社会的な役割までも変えていく可能性について
論じていたので、パネラーにも同様な質問をぶつけてみた。それぞれの組織的な立場もあって、
こうした問題にストレートに答えるのは躊躇わせてしまったかもしれないが、私の意図はそう
した姿勢こそが新しい技術の持つ人間的な意味が見出せるのではないかということにあった。
車の自動運転が技術的に人間の平均的運転能力を凌駕することは、もうそれほど難しくないだ
ろう。しかし、それを社会的に受け入れられるかどうかには解決すべき問題が山積している。
人間同士の過失責任や競合的な問題の調整に関してはこれまでの社会規範がある程度成熟して
いるが、機械と人間のあいだ、あるいは機械に補助されたサイボーグ的人間と人間のあいだに
生じる複雑な問題においては経験の蓄積もその消化も圧倒的に不足しているからに他ならない。
同じ問題は建設におけるロボティクスや、設計における自動化、対人的な営業活動におけるAI
利用にいたるまで全ての場面で同時進行すると思われる。我々が人間にとって「仕事」や「職
業」とは何かということが流動的な状態になってしまった事態に直面していることを多くの人
は気づかない、あるいは見て見ぬ振りをしている。AIに仕事が奪われると言ったような単純な
関係を私は心配していない。試しに毎日職場に行って課せられた使命が、スマホのゲームの
ようなもので他のプレイヤーと対戦するようなことだと想像してみて欲しい、ゲームのプレイ
ヤーと規模は無限に増やせるから無くなる心配なんてない。経済活動が停止さえしなければい
いのである。肉体的に苦痛で精神的に退屈なことを全て自動化していくうちに全ての仕事はあ
る程度こうしたマネーゲーム的性格を帯びてくるから、問われるのはそこにある人間的な価値
や尊厳になる。仕事という社会的な貢献度を貨幣という社会的信用システムに変換して得るこ
とにより可能になる自己実現の最終目的地がどこにあるのかが問題にされつつある。私はその
時に建設現場のように日々の新たな発見が無限の工夫と改良への動機を生み、それを新たな発
想と価値の発見に結びつけようとするデザイナー心、そしてそのことを生きる実感として楽し
むことのできる人間力のある場所こそが最も貴重だと本心から思っているのである。

この他にも多くの興味深い内容が展開されたので、そこまで開催テーマについては意識されな
かったかもしれないし、それによって参加を判断しているということもないとは思う。しかし
実行委員会の議論は真剣だった。ほとんどの参加者はそれぞれの職務やビジネスの延長線上で
Archi Futureを訪れ、もう少し現実的な知識や出会いを求めてきていると思えば、「社会 vs
情報技術」という開催テーマを掲げてこうした問題提起をすること自体、筋違いと思われるの
かもしれず、建築デザインや建設ビジネスの領域を逸脱していると取られる危険性は十分理解
していた。だから冒頭に述べたように「賭け」のつもりで、実行委員会としてもかなり思い
切ったのである。もちろんその一方で、技術の可能性について失望させるのではなく勇気付け
ることが本来の目的である。改めて解説するとすれば、デジタル化社会への不安を煽っている
つもりも、無条件な信奉を推奨しているわけでもない、そこには我々の自信と尊厳にかかわる
重大な問題が横たわっていることを認識した上で、破壊的な可能性を秘めるこの技術への取り
組みを共有すべきだと思っている。

 Archi Future 2018 基調講演の会場風景

 Archi Future 2018 基調講演の会場風景


 Archi Future 2018 展示会の会場風景

 Archi Future 2018 展示会の会場風景

池田 靖史 氏

東京大学大学院 工学系研究科建築学専攻 特任教授 / 建築情報学会 会長