これまでの30年、これからの30年
2019.01.29
パラメトリック・ボイス NTTファシリティーズ 松岡辰郎
日々仕事や雑事に追われ、気がついたら元号の変わる年となっていた。改元に対してはさまざ
まな捉え方があるだろうが、ちょうど30年間という区切り(個人的には10進数より2のN乗の
方が区切り感があるのだが)であることから、あらためてこの30年を振り返りながらこれから
のことを考えてみようと思う。
この30年は筆者が社会人として過ごしてきた時間と重なっている。オフィスではPCが一人
一台になりつつある時代で、大学や研究機関をつなぐネットワークはあったものの、やりとり
はほぼテキストデータだった。それでも職場でネットワークに接続できる機会に恵まれ、”@”
がついているメールアドレスを取得する。telnetの中のemacsでメールやニュースを読み、
世界中がつながっていることを実感した。2次元や3次元のCADシステムはPCよりはEWSを主
な環境としてすでに存在していた。昔話を始めるときりがないが、ありがたいことに今日まで
ずっと建築と情報処理の境界領域で仕事をすることができている。
いろいろな見方があるだろうが、国内の情報環境が大きく変わったのは1995年あたりからで
はないかと思う。GUIとネットワーク環境の充実によってコンピュータとネットワークが特別
なものではなくなり、コミュニケーションの形態も大きく変わった。少ししてから携帯電話も
広く普及し、現在のスマートフォンの隆盛はご存知のとおりである。当時と現在はハードウェ
ア、ソフトウェア、通信環境の連続的な進化を介してつながっているように見える。
1982年(日本語版は1983年)に出版された「メガトレンド」において、著者のジョン・ネイス
ビッツは将来はグローバルな情報化社会が到来し、商品に変わって知識サービスに価値が生ま
れると予想した。2000年までにPCが電話感覚で家庭に普及し、読者が本を書き、視聴者が番
組を作る時代になるとも書いている。内容のすべてが的中しているわけではないが、現在の情
報化社会に至る流れが的確に描かれている。
当時この本に接した際に特に印象に残ったのが、「ハイ・テックとハイ・タッチの共存」とい
う考え方だった。情報化社会になって在宅勤務が当たり前になっても人は他の人と一緒に過ご
すためにオフィスに行き、ホームシアターが普及しても映画館はなくならない。経験の共有が
重要であり、その自由度を高めるために技術が利用されるようになるという予測は、現在の多
様化されたワークプレイスや仮想と現実をつなぐ現在のSNSのあり方をも的確に捉えている。
今後もこのような考え方が通用するのではないだろうか。
メガトレンドでの予測は、具体的な事実に基づき組み立てられている。将来の姿を予測するの
は簡単ではないと思っていたが、その時々の事実を適正に収集し適正に解釈すれば、未来への
流れはその延長線上に見えてくるということだろう。
2004年に出版された「平成三十年」(堺屋太一著)では近未来としての平成三十年が描かれ
ている。どうやら予測小説として「あってほしくない未来」を書いたらしいので、筋書きでは
なく情景を演出する情報環境やICTに関する記述に目を向けてみる。あまり詳しく記述はされ
ていないが、インターネットを介したコミュニケーションは現実と同じようだ。とはいえ、中
心となるデバイスはPCであり、携帯端末の記述は出てくるものの誰もがスマートフォンを最
も身近な情報環境として使っているような記述は見られない。また、情報のやり取りにフロッ
ピーディスクが使われているのはご愛嬌といったところだろうか。
改めてこの30年間を振り返ってみると、前半は情報化社会を実現するためのハードウェアや
インフラの進化、後半はソフトウェアの進化とデータの価値向上、と段階を踏んできたように
思える。昔は新たなPCが発売されるたびにCPUの型番やクロック、メモリ容量といったハー
ドウェアのスペックに一喜一憂したものだが、ある程度まで進化するとあまり気にならなく
なった。ネットワークのスピードについてもまだ改善の余地はあるものの、実用的な速度を享
受することができるようになり、クラウドを始めとするサービスの良し悪しに関心が向けられ
ることとなった。進化の最終形ではないとしても、情報化社会におけるインフラがある程度成
熟してきたということかもしれない。
このような流れと並行して、データとメディアが分離するようになった。これまでは、CD、
DVD、MD、DAT、SDカード、USBメモリ……と様々なメディアが乱立し(今も一部は存在し
ているが)、データの種類ごとに役割が決まっていた感があった。ところが近年データを独立
して扱うことができるようになり、いくつかのメディアはあっという間に姿を消してしまった。
単体の情報として扱うことができるようになり、データの価値というものがわかりやすくなっ
たようにも思える。
長々と過去の話をしてきたが、ここは未来の話をする場なので、これからのことを考えてみよ
う。
とはいえ30年後の情報環境がどの様な姿になっているかを予測することは、筆者のような凡
庸な人間にとって簡単ではない。なんとなく想像がつくのは、現在の延長としてAI、IoT、ロ
ボット等の技術が充実し、それらを活用した新たなサービスが登場するだろうということであ
る。モビリティについても自動運転や形態の多様化に加え、ドローンの進化形としてのパーソ
ナルな飛行手段が実用化されるのではないかと想像できる。論理的物理的なアクセス手段が
変化すれば、都市や建物の姿もおのずと変化していくだろう。
一方、人間とコンピュータのインターフェイスは、この30年間大きく変化していない。人間が
コンピュータに情報を伝達、入力する手段は長らくキーボードやマウスといったデバイスに限
定されてきた。タッチパネルの普及はUIとして画期的だと思うが、現時点ではキーボードとマ
ウスの延長に過ぎない。音声による入力は実用的なレベルになってきたと言える。
コンピュータから情報を受け取る手段も、長らく平面のディスプレイに限定されてきた。こち
らはVRに代表されるような立体視によって多少変化するだろう。音声による情報伝達も実用的
な選択肢となってきている。今後、インターフェイスの進化が人間とコンピュータの関係に大
きな影響を与えることは想像に難くない。もしかしたら、コンピュータと言うよりはデータそ
のものとのインターフェイスが重要になるかもしれない。
ファシリティマネジメントから見るまでもなく、これからの建物にはこれまでの役割や機能に
限定されない、サービスとしての存在がより求められるようになる。現在の延長線上で考えれ
ば、エネルギーマネジメント、ウェルネス、レジリエンスといったキーワードに代表される環
境を実現するための建物のDX (Digital Transformation)が加速する、と言うことになるだろう。
また、ハイ・テックとハイ・タッチの共存が今後も通用するのであれば、現実世界での空間の
居心地やコミュニケーションの場にしても、よりリッチなものが求められるのではないだろう
か。「電脳化された建物」というイメージは未来の姿としてわかりやすいかもしれないが、
「スイッチがオンになっていなければ機能しない建物」が本当にあるべき姿なのかと言われる
と少し抵抗がある……というのも正直なところである。
技術の進歩による新たなサービスの創出と、ニーズによるサービスを実現するための技術革新
は同時並行で進むことを考えると、これからの30年はサービスとしての建物が進化と深化を遂
げるために、重要な期間になるのではないかと思う。