【BIMの話】卒業ラッシュによせて
2019.04.11
パラメトリック・ボイス 竹中工務店 石澤 宰
毎朝Eテレをタイムキーパーにして暮らしているうちすっかりハマってしまい、この3月のメイ
ンパーソナリティーの卒業ラッシュで寂しさのあまり心に穴があくかと思いました。とりわけ
シャキーン!という番組がたまらなく好きで、毎朝録画してときどき夜中に一気見するほど
だったのですが、あろうことかその卒業回だけディスクが一杯で保存できないという大失敗を
やらかして未だに悔やんでいます(放送は見ました)。
そもそも今年1月、私の推し(のうちの一人)であるところのでんぱ組.incの夢眠ねむが卒業、
イチローも引退、保育園ももちろん卒業入学シーズンと、もう〈改元〉の一言で納得しないと
どうにもならないくらい色々なうつりかわりが身の回りにありました。
そんな卒業・引退でふと思い出すのが「世界の果てまでイッテQ!」という番組に登場するイモ
トアヤコが大ファンの安室奈美恵に引退前のサプライズで出会って対談する、という放送です。
大切にしていることはなにかと問われ「なるべくブレずに生きていきたい」と答える安室。
「私なんかブレブレで」とこぼすイモトに安室は、「イモトさんはイモトさんのままで人に元
気を与えている」と諭します。ちなみにこれが中盤ですが私はこのへんですでに感涙していま
す。
私がカラオケで得意とする美空ひばり「人生一路」は「一度決めたら二度とは変えぬ これが自
分の生きる道」で始まるわけですが、3DだBIMだコンピュテーショナルだデータ・ドリブンだ、
と言っていると、ブレずに生きるとは何なのか、「胸に根性の炎を抱いて 決めたこの道まっし
ぐら」などと自分が歌って大丈夫か、とよく思います。
建築設計士を職業として選択したころからコンピュテーショナルデザイン(当時はいろいろ別
な名前がありはしましたが)は自分の武器であり、その点は特段変わることもなく、幸いなこ
とに世の中にニーズもあります。
ただ大きく違うとすれば、建築設計からデータセントリックな技術の方へ仕事の軸足を移した
こと。そのことに付随してくるこんな悩みがありました。
私がBIMマネージャとして関わったチャンギ国際空港第4ターミナルというプロジェクトが竣
工して見に行った際、それは自分の入社時の夢でもあったわけですが、同時に拭い難い思いに
気づいてしまいました。
《設計していないから、感動が薄い。》
その後に私は日本でまた建築設計担当という立場に戻りつつ、この気持ちが一時の思い過ごし
であり、いずれ否定されるものであることを望んでいました。ところが先日、その建物が竣工
して見に行ってみると、やはり違う。自分が建築設計として関わった建物では喜びが濃い。建
物の苦労したところが愛おしい。
私は混乱しました。進むべき道として間違っていないと確信している、この方向に舵を切ろう
としているけれど本当にいいのか。これでは自分の仕事を社会の中に実現する喜びが得られな
いのではないか。やはり建築設計に軸足を戻したほうがいいんじゃないか。そのように考えは
じめました。結局、個人的な逡巡とはいえ、ここで書いたような感情のコントラストはどれだ
け考えても否定できませんでした。
しかし、です。その後ふたつの発見がありました。
一つは、そもそも私が関わるプロジェクトの数が増えたことで、私は完成の喜びをずっと多く、
早いペースで感じられるようになったこと。
そしてもう一つは、竣工・引き渡しからしばらく経ったあと、自分が感じる愛着にはさほど変
化がないということ。
建築の苦労は産みの苦しみとよく言います。建物が世に送り出され、建築主やユーザに一言あ
りがとうと言われるとどんな苦労も報われる。私もそう思います。はじめて設計した建物の消
防検査、総合連動試験をハラハラと見守った気持ちはまるで自分の子供に対する気持ちのよう
だった、とどこかに書いた覚えがあります。実際に子供をもつ9年も前のことですが、我なが
らまあ大方そんなような感じかなと思います。
その気持ちはどこから来るのか。色々あるでしょうが、「私しか知らないあんなこと、こんな
こと」という思い入れ、万感の思いがそうさせる部分はあるでしょう。その思いは、実際にそ
れを経験し、苦労し、時間の力も借りながら克服した人のものです。部分的にプロジェクトに
関わった私は、もちろん私しか知りえない苦戦した部分なども持っているわけですが、建物の
隅々までとは当然いきません。先に知ってしまった竣工時の強烈な感動を期待していた私は、
肩透かしを喰ったような思いを感じます。
ですが考えてみれば、もし私が照明デザイナーだったら?インテリアなら?当然部分にしか関
わりません。建築設計にしかわからない苦労には敬意を払いつつ、自分の仕事の出来栄えを見
つめてあれこれと思いを寄せることでしょう。
コンピュテーショナル手法を用いて作ったものを建築的に評価するということは行われていて
も、そのコンピュテーショナルな仕事の出来栄えが現場でどうだったか?という知見を積むと
いうプラクティス、もっと言えば職能形成が足りないせいもあるのかもしれません。建築の中
での情報職能が形成されるにつれ、より確固たる足場を得て、たしかな喜びを得られるような
予感もあります。
BIMにも、コンピュテーショナルデザインにも、データ・ドリブンデザインにも、斉しく竣工
の喜びはあります。大丈夫です。竣工式のその日にちょっと違和感を覚えるかもしれませんが、
2ヶ月もすれば変わりません。何度でも言いますが、大丈夫です!
安室奈美恵ならぬ身ですが、そう言って元気が出る人がいるのなら、いくらでも言ってあげた
い。そう思います。
卒業という言葉がいいなと思うのは、その次のステージを感じさせるところと、卒業生は在校
生のもとを訪れてもいいような気がするところです。先に挙げた人々も決してここがキャリア
の終わりなどではなく、力強く次へのステップを踏み出していくことでしょう。
ある意味において建築設計を卒業した私ですが、なんというか、卒業した学校の隣のマンショ
ンに住んでいるような距離感で、それもまた何とも愉快なものです。
Eテレも4月になって装いも新たに番組は続き、新しい出演者にも大いに期待を寄せながら毎日
見ています。これがまたシャキーン!の新パーソナリティには周到な伏線も張られていて、も
う近ごろはそういうことだけで感激してまた泣いたりしています。ただ最近、あまりに私がテ
レビばかり見るので1歳の娘が怒り出した日があり、下手をすると私が朝食時のテレビを卒業す
ることになりかねません。娘セントリックの軸足をキープしていこうと思います。