インターネット上の情報の無断借用は盗用か?
2015.09.15
ArchiFuture's Eye 日建設計 山梨知彦
新国立競技場の白紙撤回に続き、五輪エンブレムの盗作問題が世間を騒がせた。
新国立競技場についていえば、ザハのデザイン案は白紙撤回されてしまったものの、新たな案
がコンペで選ばれる際にも、最終的なコストが決定し発表されるときにも、そして新案が完成
しオリンピックで使われる際にも、きっと再び話題に上るに違いない。いや逆に、ザハ案は白
紙撤回されたことでより多くメディアに現れ、建設される案以上に深く人々の記憶に残る存在
となる可能性すらある。白紙撤回されたことで逆に、アンビルドの女王ザハは、実際の建物を
つくることでは到底生み出し得ない「神話」をつくり出すかもしれない。
一方エンブレムの方は、デザインの類似性についての議論まではまだよかったのだが、その後
のトートバッグのデザインでの明らかな「盗用」により、一気に事態は収束してしまったが、
残念でならない。というのも、デザインやデジタル情報における「オリジナリティ」とは何か
を、専門家の枠組みを超えて広くみんなで議論し、日本のデザイン・リテラシーとでもいえる
ものを育む絶好の機会であったように、僕には思えていたからだ。
パロディや風刺などを思い浮かべると、悪意ある盗作とそれらとの差異は漠然とは言い当てら
れそうにも思える。しかし実際に、その明確な境界を定義し、クリエイティビティとの関係を
語ることは至難の業であろう。デザインやオリジナリティといった海外から輸入した概念を、
写しや本歌取りといった文化を持つ日本人がどのように捉え、借りものではない解釈で如何に
議論を交わせるかについては興味津々であった。
特にデジタル情報に関していえば、インターネット上の情報の無断借用が、古典的な著作権を
念頭に置いた正義感で、さも重大犯罪をしでかしたかのように「悪しき事」とステレオタイプ
なレッテルを張った識者の意見や報道に、僕は居心地の悪さを感じた。
インターネット上という場に、誰もが簡単かつ匿名性を保ちつつアクセスが可能な場に、デジ
タルデータというコピーに劣化を伴わない形式でアップされたデジタル情報について、その無
断借用を悪とみなすこと自体に、実は僕らは無理を感じ始めてやしないか?そんなデータを著
作権で守ろうとしている現状にこそ、ばかげた何かを感じていやしないか?コピーされるのが
嫌なら複製不可のデータフォーマットを採用すればいいわけだし、データの広がりのトレーサ
ビリティを重んじるならば電子透かしを用いればよさそうだし、転用利用をビジネスとしたい
ならば、著作権収入とは異なったデジタルならではのもっとスマートな課金制度とデータ
フォーマットの開発に乗り出さなきゃ。オープンソースなんてものを超えたデジタル情報の新
しい共有の在り方が議論されなきゃならない時期が来ているのではなかろうか?デジタル情報
の普及により、オリジナルとコピーに対する慣習は明らかに変わり始めている。「悪法も法」
としてかたくなに守ることもいいかもしれないが、慣習が法に先行し、法はそれに従い変わる
べきものでならば、ウエッブ上のプロテクト無しに置かれたデータの使用ルールに関しては、
そろそろ法の方が変わるべき時期に来ているのではなかろうか?エンブレムの盗作事件の、
デジタルデータの無断借用をこれ見よがしな正義感で責め立てるニュースを見ながら、そんな
ことを思った。