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コラム

まちをはかる物差しから、環境をつぶだてる
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2020.06.02

パラメトリック・ボイス            木内建築計画事務所 木内俊克

これまで本コラムでは、筆者が東京大学で行ってきた都市指標研究と平行して、いかにして都
市で暮らす一人ひとりの都市への眼差しを可視化し、その集積として都市を把握しては、個々
人の都市への眼差しに対して介入することによる都市の更新可能性について考えてきた。
2年半をとおして19のコラムを書いてきたことになる。特に体系的にまとめあげるつもりもな
くその都度のメモを書き記してきたこともあり、その切り口も実に多岐にわたるが、この度来
る6月4日10:00-12:00に、上記の東京大学における筆者の都市指標研究の成果報告となる
まちをはかる―間地(まち)から紐解く都市の生態―」というオンラインシンポジウムを開
催する運びとなり、その成果をもって一つの区切りとしたいと考えている。

      「都市空間生態学研究の2020年度	オンラインシンポジウムポスター」
      (©東京大学建築学専攻Advanced Design Studies)

      「都市空間生態学研究の2020年度 オンラインシンポジウムポスター」
      (©東京大学建築学専攻Advanced Design Studies)


詳しくは、ぜひオンラインシンポジウムをお聞きいただければと思うが、等身大で都市に対面
する為の確かな足がかりとなる糸口はつかめたと感じている。当日は、アフター/ウィズコロ
ナの時代における都市の見方といった議論も出ることになるものと思うが、それも含めてのよ
り普遍的な結論から言ってしまえば、都市というきわめて複雑な総体に対峙する為には、あく
までもっとも単純な糸口からその一側面をあぶり出すような物差しを持つことが重要だという
ことに尽きるように思う。コロナあるいはより広く感染症と都市について考えるにしても、で
はその見通しをえる為にどんな物差しを選ぶのか、そこでどれだけシンプルで単純な軸を引く
ことができるかがきわめてクリティカルになる。そうした問題意識は、都市指標研究に取り組
んできたことによるある種の確信だ。
たとえば建設現場でも施工のスケールや目的に応じて、レーザー距離計、メジャー、曲尺、ノ
ギスを使い分け、あるいは同一材を並べて直接かたちや長さを比べて印をつけたりするように、
都市を測ろうとする際にも、その都度何を測りたいのかに合わせて必要な物差しに持ち替えて
いくことの有効性はゆるがないと考える。「間地(まち)」による都市のはかり方は、持ち替
えることのできる物差しに一つの新しいバリエーションを提示するもの、ということになる
(そしてそれがウィズコロナを考える上で案外筋の悪くない視点を提供しうると筆者は考えて
いるのだが、そのあたりは上述のシンポジウムでぜひ議論を深めたい)。先ほどの現場のメタ
ファーを続ければ、職人は腰に道具袋を下げていて、丁寧に手入れされ整理されてしまってあ
る、いくつもの物差しを、必要に応じて道具袋から取出しては現場の個別で複雑な要請に一つ
ひとつ対処していく。どんな多様な物差しをどれだけ丁寧に手入れし整理しておくかで仕事の
精度も効率もまるで変ってくる。同じことが都市に対しても言える。従って、コラム上での一
連の作業として、都市へのアプローチを関係づけていく手続きには区切りをつけたいとは思っ
ているものの、これからも都市を「はかる」どんな物差しを自分の道具袋に揃えておき、ある
いは新たに調達して、手入れしていくかは、今後も模索し続けていきたい。
むろん、これまでコラムで触れてきた一つひとつのトピックは、どれもその物差しになる潜在
性があるものばかりだ。それらを無理に統合せず、対象である都市の複雑性は複雑なままに、
都度の目的に対して視点を絞り込めるもっとも単純なかたちに物差しを手入れし、整理して、
道具袋におさめていく。それが肝要だと考える。


これまでのまとめが長くなってしまった。では今後、何を軸にコラムの場を展開していこうか、
その入口について考えを進めるところまでブレストし、今回の稿を閉じることとしたい。

一つには、ここ数年、関心の対象を「都市」や「まち」といってきたが、実はそこにちょっと
した違和感を実は感じているところがあり、正直よい言葉が見つからないものの、たとえばそ
れを「環境」と言ってみるなどの言い換えが必要ではないか、という点がある。
と言うのも筆者が2018年の夏建築情報学会準備会議の連続シンポジウムのうち一つの回を
担当した際、いわゆるコンピュテーショナルデザインやデジタルデザインが建築や都市の領域
で推し進められた結果起こったことの帰結の一つに、デザイン対象のスケールシフトがある、
という整理を行った。マリオ・カルポの指摘するデジタル・ターンとも表裏一体の話になるの
だが、かつては建築や都市のデザイン対象は、文字通り一つのまとまった建築や都市の完成像
にあったものが、いまは企画レベルの概念、設計や合意形成の方法、生産や施工過程、それを
担うロボットや工具などの要素技術、使用のあり方、その拡張としてのモビリティ、群として
の傾向、時間的にどう変遷させていくか、といったところへ対象のスケールがシフトしてきた
と言えるのではないか、という指摘だ。カルポのデジタル・ターンは、そのわかりやすいピー
クを捉えた概念で、建築デザインの対象が、建物単体から建物のバリエーションを生成するア
ルゴリズムにシフトしたことを指摘している。それを裏付けるように、確かにRhino +
Grasshopperの登場と2010年前後を境に加速したオンラインコミニテにおけるデタ/
プログラムの国際的な蓄積は、完全に以降の建築デザインのDNA自体を変えた。最初の指摘に
戻れば、だとしたら、これら企画レベルの概念から要素技術、時間的変遷が個別に併走してい
るような状態を、「都市」や「まち」というまとまりを指すような概念で捉えていくことには
やはり違和感があり、むしろその個々の要素が自律・分散的に自走しているような状態を指す
概念に置き換えていく必要を感じる。取り急ぎ、分散したエージェントのネットワークやエコ
ロジーを含意する「環境」という言葉はその一つの候補だろうか。

そしてもう一つには、ではその「環境」に対しての関わり方だが、これも、「まちをはかる」
アプロ―チで考えてきたことの延長上にある直感として、もはや建築という単位や都市のまと
まりに対して計画を立てるのではなく、むしろ建築や都市に分散的に存在する要素群に対して
コミットし、そこでの要請やリアリティに寄り添ったサービスを提供しては、その要素群の好
ましいあり方をつぶだてていくようなアプローチにこそ、可能性を感じつつある。要素介入の
結果として、間接的に総体としての建築や都市がどうなっていったかのフィードバックを取る
ために、依然として視点を単純化して「まちをはかる」ことの有効性や必要性は強く感じるが、
計測の対象と介入の対象がもはや一致しないことこそが現代のリアリティであるような感覚が
ある、とでも言えるだろうか。抽象的な物言いにも聞こえるので要素介入のアプローチについ
て補足すれば、たとえばいま筆者が縁あってここ一年来関わるようになっていた福祉施設の設
計においては、いままさに感染症対策について考えることが喫緊の課題になっていて、アプ
ローチすべきデザインの対象は、室のゾーニング、動線のネットワーク、日常と感染時の棲み
分け、換気設備、空気の流れの制御といったポイントに集約される。そしてそれらはコンテク
ストへの適用まで含めて、全国の様々な個別性を有した状況に、少しずつ形をかえて適応しう
るようなパラメトリックなシステムとして整理していくことに圧倒的なリアリティがある。そ
してそのシステムから生成される、各施設の日常における直近の「環境」への派生が、システ
ムそのものと同等以上に重要なデザインの対象であり、要素群の好ましいあり方をつぶだてる、
というのはそのような問題だと考える。そしてそこにはデータから要素群を眺めるようなメタ
な視点と、その帰結が生み出す即物的な実態における身体性への想像力が同時に要求される。

まちをはかる物差しから、環境をつぶだてるサービスへ、取り急ぎのアドホックな道具立てで
はあるが、ひとまずその周辺で考えを進めていけないか。いまはそんなことを考え始めている。

木内 俊克 氏

木内建築計画事務所 主宰