「新しい集まり方」を考える
2020.08.20
ArchiFuture's Eye 日建設計 山梨知彦
■人は集まりたがる
建築の歴史を簡単に遡ってみても、人類は「集まって暮らす」ことを本能的に求め、やがて集
落や都市という集まり方を身に着け、今日の繁栄に至っていることがわかる。ところが今、新
型コロナウイルスが猛威を振るい始め、我々はwith Coronaと呼ばれる、COVID-19の感染予
防に高いプライオリティを置かざるを得ず、新しい集まり方を模索しなければならない状況に
迫られている。
もっともCOVID-19自体の恐ろしさや、ファクターXと呼ばれている日本人やアジア人がなぜ
だか低い感染率や致死率を示しているかについては、未だ諸説が飛び交っている状況である。
新型コロナウイルスは本当に人類の脅威なのか、はたまた単なる新種の風邪にすぎない代物な
のかわからない状況が続き、人々に不安を募らせたり、軽はずみな楽観論へと走らせたりとし
ている。この文章はそんな状況下で書いている。1年後には、「あの頃は無意味に慎重で、新
しい集まり方なんてこと考えたのはいささか大げさだったよな」と今の状況を笑えるような状
態になっているのかもしれないが。
■テレカンと在宅勤務
with Coronaで確実に変化をした、変化すると考えられているのは、サラリーマンの働き方だ。
緊急事態宣言で都心のオフィスビルへの通勤が不可能になり、多くのサラリーマンが自宅での
在宅勤務を強いられ、それを補うものとしてテレカン=テレカンファレンス、つまりウェブを
利用した会議システムが一挙に広まった。今まではEメールかせいぜいSkypeぐらいしか使っ
ていなかった日本のサラリーマンが、一気にZoomやHangout MeetsやTeamsといった新しい
会議のためのツールを使いこなす状況になった。それどころか、これまではDXに疎かった経営
層の多くが、直接在宅勤務やウェッヴ会議を経験して、「意外に使える」とか「ビジネスの合
理化を著しく向上させる切り札に違いない」と確信してしまったようである。
そうした状況を反映して、今多くの企業が、このままウェブ会議+在宅勤務を継続させ、その
代わりに都心部のオフィスの削減をしようと唱え始めている。
■予測不可能な未来を描く、2つの方法
こんな状況であるため、「after Corona期をどう予想して、どういったワークプレイスを用意
すればよいのか?」という質問がクライアントから、僕ら設計事務所に多数寄せられている。
業界を挙げて、次の時代のオフィスがどういった状況になるのか、その予想に躍起になってい
る状態である。
でも、時代は多様性の方向に確実に進んでいる。ただでさえ先の見えない将来を、この不確実
な時代に先読みすることはほとんど不可能だ。もはや将来の予想は、ギャンブルや占いに等し
い行為と言えるのかもしれない。
こんな状況の中で、予想に替わる有効な方法は2つありそうに思える。
1つは、起こりえる複数のシナリオを描き、いずれのシナリオに対して起こりえる事態に備え、
稀とはいえ発生すれば重大事態を引き起こす状況をあぶり出しリスクとして想定し、それに備
える方法だ。その代表的なものには、「シナリオ・プラニング」がある。この手法をベースに、
「after Coronaの建築界がどうなるだろうか?」と考えた文章、「with, after そして next
Corona」(クリックするとこのタイトルの記事へリンクします)を一カ月ほど前に書いた。
そこでここでは、もう一つの方法について書いてみたいと思う。
パーソナルコンピューターの原型をつくった科学者、アラン・ケイは、「未来を予測する最善
の方法は、それを発明することだ。」と言っている。この言葉に従えば、将来は予想するもの
ではなく、今我々がwith Corona期に経験したことを通して、あるべき未来を発明することに
挑むことこそ、専門家として取るべき態度と言えそうだ。
with Corona期に起きている、緊急事態宣言やソーシャルディスタンスの確保を要する一連の
事態の変化は、我々人類が本能的に求め、またそれ故に人類が良い意味においても悪い意味に
おいても地球上で発展してきた「集まって暮らす」ことへの新しい問題の投げかけである。
在宅勤務、ウェブ会議、働き方改革などは、そういった事態の変化に対処すべく、とりあえず
我々が手にしているツールでの応急措置と言えるだろう。その状況をヒントに、都市をバー
ジョンアップして、都市に替わり未来につながる新しい集まり方の発明に挑むべき時なのかも
しれない。
■情報革命と人々の集まり方
今起こっていることを単純に捉えてみると、ITという情報革命の片隅で生み出されたウェブ会
議というツールが、集まって暮らすという習性を本能的に持っている我々人類に、都市に代わ
る「新しい集まり方」のヒントをもたらしたと捉えることが出来るのではないか。実は、目の
前に起きていることは、「働き方改革」といった限定的な範囲に止まらせるべきものではなく、
人類の根源の一つとも言える「集まって暮らす」ための、都市に替わる新しい方法の発明につ
ながる重要な機会なのではなかろうか。
世界的なベストセラーとなったユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」に知恵を借りれ
ば、我々ホモサピエンスは、約15万年前に地球上に登場して以来現在に至るまで、同じよう
な集まり方をしていたわけではないという。むしろ情報に関わる革命をきっかけに、集まって
暮らす方法にバージョンアップを重ねてきて、その結果、現在の「都市」という集まり方にた
どり着いたという。
我々のご先祖は、最初は家族に毛の生えた程度の小さな集団で暮らしていた。それが、約7万
年前から3万年前までの間に、「認知革命」という新しい思考と意思疎通の方法、すなわち情
報の獲得と伝達に関わる大きな進化を成し遂げ、より大きくて安定した現在では集落と呼ばれ
る集団で暮らす生き物へとのバージョンアップに成功した。
更に、1万2千年ほど前に起こった「農業革命」により、我々はついに大規模な定住を始めら
れるようになり、都市が生まれた。
次に、大量な数理データを扱える手法を5000年ほど前に発明したことで、人類の暮らす集
団の規模すなわち都市は飛躍的に大きくなった。
つまり我々人類は、元々本能レベルで持っていた「集まって暮らす」という習性をここ7万年
から5000年の間に、いくつかの情報革命を経験する中で「都市に暮らす」ことへとバー
ジョンアップして来たのだ。そのおかげでホモサピエンスは淘汰されることなく、これまで生
き延びることが出来た。
さらに追いかけてみると、ルネサンス期に至り、大都市が科学に裏打ちされて建設されるよう
になった。およそ500年前のことだ。
更に、200年前の産業革命と呼ばれているインダストリー1.0、100年前の電信通信革命と言え
そうなインダストリー2.0、50年前に始まるコンピューターによる自動化革命と言えるインダ
ストリー3.0に至り、巨大化した都市を大量生産技術が支える、現代での都市生活が出来上がっ
た。ただし「都市に、数多くの人間が集まって暮らし、大量の労働者が通勤でオフィスに毎日
通う」という生活は臨界点に達していたのかもしれない。それがwith Coronaの状況において
露わになった。
時代は既に、情報通信革命期ともいえるICTとAIの時代となっている。モノづくりにおいては
大量生産つまり「マスプロダクション」から、「マスカスタマイゼーション」の概念が提示さ
れ、インダストリー4.0の時代の到来が告げられた。さらには、「デジタルツインズ」や「ミ
ラーワールド」の概念が提示され、現実の地球上の都市がデジタルコピーされた世界の登場に
より、地球上で起きているあらゆる出来事のセンシングと、そこから得られた情報を現実世界
にフィードバックし制御する新しい都市像が描かれ始めていた。
ところがこうした新しい状況にもかかわらず、具体的な実態としての都市すなわち人々が「集
まって暮らす」仕組みの方は、旧態然としたものが念頭に置いていたままだった。
実は、我々がwith Corona期に経験している在宅勤務やウェブ会議が引き起こしたものは、単
に働き方改革といったものに止まらない、都市に代わる新しい「集まって暮らす」方法の発明
のヒントなのかもしれない。このヒントから都市に替わる「集まって暮らす」方法を発明する
ことこそが、今専門家としてとるべき行動に思われる。