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コラム

可視化が生み出すフラットなコミュニケーション

2021.08.17

パラメトリック・ボイス
                     東京大学 / スタジオノラ 谷口 景一朗


逃げ地図」という地震に伴う津波や地震火災、土砂災害の事前防災に関する取組みをご存じ
だろうか。基本的な手法は日建設計のボランティア部(筆者も当時在籍していた)によって考
案されその後山本俊哉明治大学教授や木下勇千葉大学名誉教授らによてワクショッ
プ手法の検証と開発が行われたものであり、対象地域の白地図を下敷きにして避難目標地点を
設定し、そこからの避難経路を避難に要する時間3分毎に緑、黄緑、黄、橙、赤といった順で
色分けすることで、どこにいると一番近い避難場所まで何分かかるかが一目瞭然となる点が特
徴である。逃げ地図づくりはワークショップによって地域住民たちが自ら作成することが基本
であり、2011年の東日本大震災の翌年に岩手県陸前高田市で初めてのワークショップが開催
されてから全国に広がり現在は全国20都府県40市区町以上で逃げ地図作りのワクショッ
が実施されている。逃げ地図の詳細について知りたい方は逃げ地図マニュアル[地域版]HP
ご覧いただきたい。

     逃げ地図

     逃げ地図


 逃げ地図ワークショップの様子

 逃げ地図ワークショップの様子


さてこの逃げ地図づくりは手法こそ白地図と色鉛筆とそして3分間の歩行距離(129m
期高齢者の歩行速度を基準とするを表す皮ヒモを用いた超アナログなものだが避難時間
という見えない指標を可視化するという点では、立派なシミュレーションの1つである。そこ
で今回は、筆者が逃げ地図ワークショップを通じて感じた、シミュレーションによる可視化が
生み出す可能性と危険性について、論じてみたい。
 
まちづくりのワークショップを開催すると、往々にして“まちの長老”的ポジションの方がいる
ことが多い。町内会長やPTA会長などを歴任していて、「この地域のことは俺(私)が一番よ
く知っている」というタイプである実際にこういう方々の地域に対する知識量は半端ないの
だが、周りが気を使って意見を言いづらいという側面もある逃げ地図ワークショップでもし
ばしば、この“長老”がお出ましになる。“長老”は多くの場合「まちの防災についてのアイディ
アはすでに自分の中で持っている」と冷めた眼でワークショップの様子を眺めている(もち
ろん中にはこのような取組みに積極的に参加していただける“ポジテブ長老”もいるので
ファシリテータ役の筆者たちは「まぁそんなことを言わずに、一緒に地図をつくりましょう
よ~」などと言いながら“長老”とちょっとずつコミュニケーションをとりつつ、逃げ地図を
仕上げていく。
 
実は逃げ地図ワークショップでは、逃げ地図を完成させるまではプロセスの半分で、その後に
地図を囲んで参加者と一緒に防災対策について議論をするところがこのワークショップの醍醐
味である。当然、ここで“長老”は自説を披露するので、「なるほど」とか言いながらその対策
を作成した逃げ地図上で上書きすると、残念ながらあまり避難経路の色が変わらない(効果が
ない)。そうこうしているうちに、参加している小学生が白地図には載っていない抜け道を
知っていたり、子連れのお母さんのアイディアで劇的に逃げ地図の色が塗り替えられたり、と
地図がどんどんと更新されていく。するといつしか“長老”も議論に加わり、「ここに抜け道を
通した方がもっと効果があるのではないか」「あそこに高台に登れる階段が昔はあった」と
いった会話があちこちで行われるようになる。そこにあるのは、居住歴の差、年齢の差、役職
の差などを超えたフラトな会話であるいくつもの逃げ地図ワークショップに参加する中で
そのような場面に何度も出くわした。ときにはワークショップに都市防災の専門家が参加する
こともあったが、一般論としての都市防災の知識は当然専門家の方が豊富だが、まちに対する
知識は地域住民の方が豊富である。すると、逃げ地図を挟んで繰り広げられる会話は、これも
またいつしかフラットなものになる。これは誰かから授けられる従来のハザードマップとは
一線を画した地域住民による能動的なまちの事前防災への取組みであるとともに、シミュレー
ションによる定量的な可視化が経験論などを排除したフラットなコミュニケーションを可能と
する好事例として、筆者は当時大変興味深く様子をうかがっていた。
 
筆者が専門とする環境シミュレーションにも、同様の効果があると考えている。気流や温度、
明るさといった目には見えない指標をシミュレーションによって可視化することで、ときには
設計チーム内で、ときには設計者とクライアントとの間で環境工学に対する専門性を超えたフ
ラットなコミュニケーションが可能となる。つまりは、シミュレーションによる可視化とは、
価値創造のためのコミュニケーションの場づくりであり、シミュレーションを行うこと自体が
目的ではなく、シミュレーションによる可視化によってコミュニケーションを誘発することが
目的である。筆者が設計の特に初期段階にこそ、シミュレーションを活用すべきと至る所で話
をしているのは、この考えに由来する。
 
一方で、シミュレーションによる可視化は危険性もはらんでいる。本コラムで取り上げている
ようなコミニケンを誘発するためのシミュレーションは、パラメータ(避難時間とか
気流速度とか、空気温度とか)を大幅に絞って表現することで多くの人に理解しやすくしてい
るために、印象操作を行いやすい。例えば、可視化する際のコンターの色によって危険な印象
を与えることも、安全な印象を与えることも容易である。シミュレーションに取り組む方は、
このような可視化の功罪をしっかりと意識して取り組んでもらいたい(自戒を込めて)。
 
最後に、本コラムを読んで逃げ地図に興味をもった方は、ぜひ書籍「災害から命を守る『逃げ
地図』づくり」(逃げ地図づくりプロジェクトチーム:編著、ぎょうせい:出版、2019年)
をご購入下さい。

           書籍「災害から命を守る『逃げ地図』づくり」

           書籍「災害から命を守る『逃げ地図』づくり」

谷口 景一朗 氏

東京大学大学院 特任助教 / スタジオノラ 共同主宰