環境シミュレーション建築デザイン実践ガイドブック
2022.06.30
パラメトリック・ボイス
明治大学 / 川島範久建築設計事務所 川島 範久
去る5月20日に、長い時間をかけて執筆に取り組んできた、拙著『環境シミュレーション建築
デザイン実践ガイドブック ー自然とつながる建築をめざして』が刊行された。今回はこの本
について、どのような経緯で、どのような思いで書いたのか、他の本と何が異なるのかを紹介
したい。
これまでの連載で、私がエンジニアリングとデザインの融合やサステナブルデザインに興味を
持った経緯(第1回コラム、第2回コラム)、大規模建築の設計を通じての気づき(第3回コラム、
第4回コラム)、震災を経てカリフォルニアで学んできた、環境シミュレーションやそれを活
用した建築デザインについて紹介してきた(第5回コラム、第6回コラム、第7回コラム)。そし
て「環境シミュレーションは、自然との繋がりを適切にデザインし、デライトフルな環境を構
築するためにこそ活用すべき」という思いとともに帰国した私は、カリフォルニアで学んでき
たことを、ひとつずつ体系立てて整理する必要性を感じていた。そこで、東京大学大学院の博
士課程に進み、環境シミュレーションを建築デザインに活用するための背後の理論や、それを
活用した設計プロセスに関する研究を開始した。その後、建築設計事務所を開設し、小さな住
宅から設計活動を再スタートし、上記の設計プロセスの実践に取り組んだ。この「理論」と
「実践」をまとめたのが本書である。
環境シミュレーションの歴史を遡ると、1960年代の米国に1つの源流を見出すことができる。
米国では60〜70年代に熱負荷計算の分野でコンピュータによる解析の基礎研究が始まり、や
がて1990年に入ると、一般の建築設計者でも容易に扱えるインターフェースを持つソフト
ウェアが登場しはじめた。近年では、コンピュータ性能の急速な向上とも合わせて、かつては
把握が難しかった「自然」を建築に取り込むことの影響を解像度高く把握することも可能と
なってきている。さらにCAD・BIMとの連携、近年ではVPL対応などが進められ、環境シミュ
レーションへの期待はますます高まってきているように思う。しかし、実際にこれらを使って
みると、具体的にどう建築デザインに活かせばいいのか困惑してしまうことが多いのも事実で
あり、環境シミュレーションを活用した設計プロセスについて、具体的に解説した本があった
らと、かねてより思っていた。
近年、これに近い本は何冊か登場しているのだが、一冊につき複数の事例を掲載するタイプの
ものが多く、1事例に対して割けるページ数が少ないことから、どのフェーズでどのような解
析モデルを作成し、どのような設定で解析を行ったのか、解析結果をどのように設計にフィー
ドバックしたのか、というような詳細についてはあまり触れられていない。そのため、環境シ
ミュレーションに取り組みたい学生や実務者から「とりあえずRhinocerosでモデリングして
みたが、どう解析すればいいか?」などと聞かれることが多いのだが、実は解析モデル1つを
取っても、設計フェーズや検証したい内容によって求められるモデルは異なることなどが理解
されていないことなどにも課題を感じていた。
そこで本書は、前半の「実践編」と後半の「理論編」の2部構成とし、前半の「実践編」丸々
を住宅1事例の設計プロセスの解説に充てることにした。加えて、本書で行った全ての解析に
ついて、解析モデルとその設定の詳細を全て公開しているのも特筆すべき点かと思う。敷地の
気候分析から始まり、ボリュームの検討、内部空間の検討、外皮や設備の検討、さらには運用
後の環境実測に至るまでの一連のプロセスを、1つの事例に対して一気通貫で解説することで、
「環境シミュレーションを活用した設計プロセス」のひとつの見本を、できるだけ具体的に提
示することを目指した。本書で示したのは住宅の事例であるが、こうした検証の流れや内容は
どのプロジェクトでも概ね共通であると考えられるため、他のプロジェクトへの展開も可能な
はずである。
一方、環境シミュレーションを建築デザインに活用するためには、「背後にある理論」への理
解も重要である。先に述べたように、建築設計者にも扱いやすい環境シミュレーションが登場
していることは、建築設計の大きな助けとなる一方、その原理を理解しないままの安易な活用
は、誤ったフィードバックを建築設計に与えかねない。しかし、理論的なことを学ぼうにも、
従来の専門書では、建築デザインを志向する人にとってはやや専門的過ぎる内容も含まれてい
て全体像が掴みにくかったり、そもそも文字や数式ばかりの記述に辟易し、挫折してしまう人
も多かった。そこで本書は、「解析のしくみ」と、その結果を評価するための「指標と基準」
という、従来の環境工学の教科書とは異なる2つの切り口で理論を整理し、図を多用した直感
的な解説を行っている。また、建築設計の実践者の立場から、建築デザインと関連が深いと思
われる理論にフォーカスすることも心がけた。
「解析のしくみ」パートでは、どのようなモデリングが必要で、どのようなデータをインプッ
トすると、どのようなデータとしてアウトプットされるのかといったことについて概説してい
る。例えば光解析に関しては、解析日時や天空モデル、各素材の反射率/透過率といったデー
タをインプットすることで、照度や輝度をはじめ、昼光率やDA(Daylight Autonomy)など
様々な「指標」で結果をアウトプットすることができる。それでは、どの指標でどのような内
容が評価でき、法律や制度などで、どのような数値基準が示されているのだろうか。それにつ
いて説明したのが「指標と基準」パートであり、実践編で扱った指標・基準以外も広く取り上
げることで、他のプロジェクトへの展開も可能としている。以上のような理論を体系的に理解
することで、建築環境に影響を与える要素は何か、それをどう変更すれば環境はどのように変
わるのか、ひいては、よい建築環境をデザインするにはどうすればよいのか、といったことが
逆算的にわかってくるのである。本書を「実践編」→「理論編」という構成にしたのも、この
考えによる。
さて、近年ではWEBなどで以上のような知識やノウハウを公開することも可能だが、今回は敢
えて「紙の本」という媒体を選んだ。フィジカルな「本」として、以上の情報が一冊にまと
まっていることで、気軽に手に取ってパラパラとめくり、全体のなかでの各項目の位置づけや、
現在自分がいる場所の位置づけを直感的に理解できるのが、紙の本の良さではないだろうか。
さらに本書では、以上のような内容を、基本的に各見開きで完結するように構成していること
も特徴である。シミュレーションのしくみ1つについても、その基礎理論だけで1冊の本が書け
るような内容でもあるのだが、それを敢えて1見開きという制約の中で要約することで、初学者
の人が気軽に読み始め、概要を大づかみすることに役立つと考えたからである。見開き完結の
構成とすることで、必要に応じて飛ばし読みをしたり、興味のあるところはじっくりと読み込
んだりなど、個人個人に合わせて本書を活用してもらうことも可能となると考えた。
ここで本書について1点補足しておきたい。本書は「自然」の中でも主に太陽光や自然風を対
象とし、「建築デザイン」としては、建物の形状や配置、窓や間取りといった部分を主に扱っ
ている(表紙イメージは、太陽による空の色の変化である)。外皮の材料や構法についても検
証しているが、それはあくまで目標とする温熱環境を実現するための検証である。しかし、本
当のサステイナビリティ(持続可能性)を考えるならば、その耐久性や将来の更新性、建物が
解体される際の材料のリサイクルのしやすさといった観点からの検証も必要となる。また、た
とえば同じ木材でも、それがどのような森で育ち、どのように伐採・製材され、どのように輸
送されてきたものなのか、といったマテリアル・フローの観点からの検証も求められる。その
木材が安価なのは、効率優先で森林を皆伐することで生態系を壊していたり、遠い場所から多
くのエネルギーを消費し、腐らないように薬漬けにされて運ばれてきたものかもしれないし、
不当な労働力によって製造されたものだからかもしれないからである。このような問題意識は、
近年認知が高まりつつある「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」や
「SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)」でも示されており、同
じ光環境や温熱環境を実現できるとしても、このような観点からの検証も求められるのである。
また、本書で紹介したことは主に、建築を「エネルギー性」の面から見直す方法だったと言っ
てよい。一方、上記で述べたことは、建築を「物質性」の観点からも見直すことが重要だとい
うことである。しかし、本当のサステイナビリティ(持続可能性)の実現に向けては、この
二つの観点からのみの検証では不十分である。その建築が、求められる用途に対して使いづら
かったり、その求められる用途が変わった途端使いものにならなくなるようでは、使い続ける
ことは難しくなる。また、なによりも、その建築が人に愛されていなければ、どれだけ性能が
高い建物だとしてもいずれ壊されてしまう。
環境シミュレーションで見えない環境を数値解析し可視化する方法は、建築デザインをより良
いものにディベロップさせる強力な武器になることは確かである。しかし、注意しなければな
らないのは、光・風・熱といったものは、上記で述べたような事象と比べれば数値化による科
学的分析がしやすいものである、ということだ。たとえば「建築が人に愛される度合い」の数
値化が簡単でないだろうことは容易に想像がつくはずである。見えないものを見える化しよう
と努力することは重要だが、見える化しづらいものもあるということも認識し、見える化でき
るものだけで物事を判断しないようにすることも重要である。
最後に、私がこの本を執筆するキッカケとなった、UCバークレーから帰国する際にデイナ先
生から贈られた言葉を紹介したい。
“Sharing information and technology for a better world is Berkeley's DNA !”
より良い世界に向けて必要な情報や技術をシェアするのがバークレー精神。サステイナビリ
ティに関する情報や技術は、より良い世界の実現のために広く社会でシェアされるべきもの。
このような考えに共感し、これまで多くの方々から学んできたことを、広く社会に還元してい
きたいと考え、本書を執筆する決意に至った。
ぜひ多くの方にこの本を活用していただき、より良い建築をつくっていっていただきたい。
私も引き続き、研究と実践を発展させていきたいと思っている。