未来の設計手法をSFからイメージする
2022.11.22
パラメトリック・ボイス 前田建設工業 綱川隆司
前回のコラムで高等学校に新たにできた教育課程「情報」科目と、それに絡めて少し古いSF小
説の話や私の本棚の写真を掲載したところ、数名の方から感想とこんなSF小説を私は読んでい
たよ、というリアクションをメールなどでいただきました。前回「SF好きはDX適性のリトマス
試験紙かもしれない」と締めたのですが、ArchiFuture Webのコラムニストの方々も何度かSF
をテーマにされていました。もう少し掘り下げてみたいと思いますのでお付き合いください。
学校で学ぶことの大半は、分野を問わずその歴史を追体験しているようなものが多いと思いま
す。一方で「情報」という科目においては、過去ではなく未来、はたまたメタバースの様にそ
の範が空想の中にあるという事実はとても面白く思えます。今日の職場での雑談ですが、以前
はそれまでの延長線上で仕事をしていれば良かったのに、今はやたらとイノベーティブな飛躍
を求められるなあ、と愚痴をこぼしておりました。
世の中には「SFプロトタイピング」なる言葉が既に存在しており、SF的な考え方がイノベー
ションに求められる「思考の飛躍」につながるとされています。「インテルの製品開発を支え
るSFプロトタイピング」(ブライアン・デイビッド・ジョンソン)や「SFプロトタイピング:
SFからイノベーションを生み出す新戦略」(宮本道人、難波優輝、大澤博隆)といった書籍も
発刊されています。上質なSF作品は、科学技術の“もしも”をきっかけにそれに纏わる社会の情
勢や制度や風習の変化というものを綿密に積み上げていきますので、画期的なイノベーション
の先に訪れる社会やマーケットの変化を予測するシミュレーション、或いは大きな厄災に対す
る危険予測になりえるのは理解できます。実際に新型コロナ以前のパンデミック小説は分かり
やすい例だと思いました。また人工知能に関する小説も多く、いずれ起こりうるシンギュラリ
ティについて思いを馳せるのも良いかと思います。
なんとなく思い付きで書き始めた体を装っていますが、ここで私がこのコラムを始めたときか
らいつか触れたいと思っていた書籍を紹介します。「魂の駆動体」(神林長平)というSF小説
です。文庫本で30歳くらいの時に読んで以来、今でも大好きな作家で前回の本棚の写真にも新
作のハードカバーがたくさん写ってます。
ここに出てくるクルマの設計に用いられるシステムが、実は私が建築設計で求める究極の形と
して刷り込まれています。当時はまだBIMという言葉もありませんでしたが、社命で汎用3D
CADを用いて建築設計をやっていた頃です。物語のさわりをご紹介します。
“人々が意識だけの存在として仮想空間へ移住し始めた近未来に<私>は確かな生の実感を取
り戻すため友人とともに理想のクルマを設計する”
これが物語の前半で、後半はさらに人類が死滅後(!)の遠未来においてこのクルマの設計図
を巡り物語が続くのですが、ネタバレで私の本題からも外れるのでここまでにしておきます。
物語の前半、クルマの設計にあたり、<私>に友人は語ります。
『そう。絵心がなくても、コンピュータが支援してくれる。絵を描けば、コンピュータが勝手
に設計図を起こしてくれるよ。いい時代だ。想像することだけに集中できるんだからな』実在
していた車種のエンジンの設計図をもとに仮想空間上で再現、ピストンが動きエンジンが回り、
振動や熱量分布が視覚的に理解できます。エンジンを車体にマウントしサスペンションを選択
すると仮想空間の中でクルマは走り出します。『高度なコンピュータの設計支援能力を使うと、
実際に造る前に、さまざまなシミュレーションがたしかに可能だ。<中略>だけど、そうした
シミュレーションは設計のひとつの手順であって、すべてではないんだ。設計図を描くという
ことは、そうしたシミュレーションと試行錯誤を繰り返しながら図面自体を創造する行為なん
だ。<後略>』
私がゼネコンに入社した頃の諸先輩方は2DCADに馴染めず、「俺の描いたこの線がそのまま
CAD図になればいいのに」とぼやいていました。3Dオブジェクトから図面を切り出す作図が
多い現在では線を1本ずつ引くこと自体がナンセンスですが、先輩は恐らくCADのユーザーイ
ンターフェースの不備を指摘していたのだと思います。そういえば入社したころは製図版型の
デジタイザーもありました。一度も使わなかったけど。今はマウスでほとんどのことは片付い
てしまいますが、私は手描きの表現が欲しい場合はiPadをペンタブレット的に使うことも多い
です。
30年近く経っても「設計=図面を描く仕事」という認識はBIM時代の現在でも強く、途中のプ
ロセスは変化しても設計者としての成果品が図面であることは変わり有りません。小説の中で
も設計された「理想のクルマ」は設計図として残されます。
ゼネコンの設計施工一貫であれば、「いつまで図面が要るのか」という着眼点もありますが、
先ほどの「試行錯誤を繰り返しながら図面を創造する」ことが設計である、という考えは私と
してはしっくりきます。持てる最新の技術でマン・マシンインターフェースを見直し進化させ
ることは設計の可能性を更に広げるかもしれません。
ただ今回改めて思いましたが、AIアシストの対話型設計装置を見たいと思う一方で、発注者が
それを直接使えば事足りるので、ほとんどの設計者が失業するのではという危惧も感じていま
す。