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コラム

BIMで空間を体感する方法

2023.09.22

パラメトリック・ボイス                   熊本大学 大西 康伸

まだ見ぬものを見る
 
この体験の一つとして、おなかの中にいる胎児のエコー写真が思い出される。あれやこれや
と、誰もがこれから生まれ出る我が子に想いを馳せる。そんな生命の神秘に触れるような話
ではないが、施主になったことのある人なら誰もが経験する話をしたい。
 
建売を除けば、建築は完成品を確認した上で購入することができない、数少ない人工物の一
つである。だからこそ、オーダーメイドによる特別感とワクワクドキドキ感があり、期待以
上になって涙して感謝したり、期待以下になって目を血走らせて怒ったり、以上でも以下で
もなく淡々と物事が運んだりする。
 
これまでは、図面やパース、模型などを眺めながら、まるで胎児の不鮮明なエコー写真を見
るように、不安と期待の中で建物が出来上がるのを心待ちにしたものだ。そんな時代も今は
昔、このBIM時代においてわざわざプレゼンのためにモデリングする必要はない。最新案の
3Dモデルが「常に」存在するという状況を利用し、Virtual Reality(VR)とHead
Mounted Display(HMD)を使って設計中の建物が存在する1/1の世界にいつでもダイブ
し、そこを自由に歩き回ることができる。体育館などの広い場所を使った高品質な没入型
VRを体験したことのある人なら合点がいくと思うが、設計中の建物が本当に世の中に存在
するかのような錯覚を抱く。

しかしそのような素晴らしい技術を、これまでどうしても上手く使いこなすことができな
かった。もちろん、歩き回れる広い場所を用意できないという制約もあるし、コントローラ
を使うとVR酔いしやすいという人間側の問題もある。それに、その場の全員が同一空間に
ダイブすることが現時点で技術的に困難であるため、どうしても会議の一体感に欠けるきら
いがある。
だが最も根本的な問題はわざわざHMDを装着して立体視しなくともスクリーンに投影さ
れたインタラクティブなウォークスルーで十分に建物を理解することができる、ということ
である。オーバーハングしたカーテンウォールを持つ外観も、吹抜のあるダイナミックな内
観も、迫力はあるね、という感想を持つに至るのみで、強いてそのようなプレゼンの必要性
を感じることはなかった。

実はその経験が、あるプロジェクトでのプレゼンを境に覆った。

昨年度末から、熊本市西方の自然豊かな山中に建つ、金峰山自然の家を建て替えるPFIプロ
ジェクトに関わっている。我々は主に、発注者である熊本市やPFI事業に関わる企業群、学
校関係者やアウトドア活動関係者など本プロジェクトに関わる多くの主体間における、VR
を用いた設計案共有の支援に取り組んでいる。
当該自然の家はコテージ形式の平家もしくは二階建ての木造宿泊棟を全13棟有し、その多
くにロフトや二段ベッドが設置されている。宿泊利用時の子どもの安全性と大人の利便性の
両立が求められており、その確認のためにHMDを利用した。
 

 熊本市立金峰山自然の家のVRモデル

 熊本市立金峰山自然の家のVRモデル



確認の際には、二段ベッドの高さ、手すりの高さや間隔、はしごの位置、天井や梁の高さに
特に注目した。この経験を通じて分かったことは、高さが届く(届かない)や幅が入る(入
らない)などの身体寸法と関連付けた検討は図面ではなかなか困難であるという点である。
目から鱗だったのは、上段ベッドをしゃがんで移動する際に上下する頭が低い天井の梁に当
たったり、ロフトからはしごを降りる際にいくらしゃがんでも一度大きく頭が上がるという
身体動作を伴う検討は、比較的スケールの大きい展開図や部分詳細図でも到底不可能である
という点である。人はマウスやコントローラで移動するように、ヒラリヒラリと隙間に滑り
込むことはできない。
 

 意匠設計担当者U氏が設計案を確認する様子

 意匠設計担当者U氏が設計案を確認する様子



件のPFI事業でのKアトリエ事務所の意匠設計担当者U氏やR運用会社の現場常駐者S氏は
ングラスのようにとまではいかないが相当軽くなった最新型HMDを装着し、何十分もの間、
宿泊棟の空間にダイブした。設計者でさえ、この空間を身体と関連付けて正確に把握してい
なかったのだろう。しかしそれは責められることではなく、現場が始まって実際にできてみ
ないと本当のところはわからない、というのがこれまでの常識だったに違いない。側で見て
いたSPC代表企業である熊本地場のM建設会社のY氏はいい意味で着工前に案が二転三転し
たことに胸をなでおろしていたに違いない。

建つ前に空間を体験することで、本来不要な手間やコストが削減でき、どんなものができる
かわからないという不安は以前より解消されるに違いない。とはいえ、想像以上の、という
できあがった時のある種の感動が薄れるのはそれはそれで少し寂しい気もする。もっとも、
設計中の建物をHMDで初めて見た際の感嘆の声を聞くにつれ設計段階で感動が前借りされ
ているだけのようにも感じる。
最近は二次元だけでなく、三次元、四次元の鮮明な胎児の姿が出産前に確認可能であると聞
く。建物と違い、当然のことながら確認しても胎児は見守ることしかできない。パフォーマ
ンスばかりが気にされる、趣も落ち着きもない世の中だが、赤ん坊だけでも、その姿と対峙
するまで感動を取っておくことはできないだろうか。
 

大西 康伸 氏

熊本大学 大学院先端科学研究部 教授