Magazine(マガジン)

コラム

あなたのセカイ、わたしのセカイ、AIのセカイ

2024.02.20

パラメトリック・ボイス              髙木秀太事務所 髙木秀太

 イラスト:溝口彩帆

 イラスト:溝口彩帆


あなたの認識しているセカイとわたしが認識しているセカイは似て非なるもの
 
突然だけど僕の幼い頃の思い出を一つ。雨の季節、一緒に散歩をしているとふと何かを見つけ
足を止めた母が言った。「あら、素敵なテッセン。お母さん、この蔦や葉が大好きなの、キレ
イなお庭ね」。僕の母は草木染の専門家なので植物のことをよく知っていてたまにこんな会話
をしてくれたんだけれど、いつも感心していたのは「へえ、お母さんはそんなところに目が行
くんだ、僕は気にもとめなかったのに」ということで。
 
手に触れられる距離に咲いている美しい草木を、見えているのに気が付かない僕と、気が付い
ているからこそ愛でることが出来る母。ねえ、お母さん、あなたが見ているセカイと僕が見て
いるセカイはひょとしたら似て非なるものなのかも知れないでもきっと、その差にこそ、
人生を豊かにするための、あるいは、ヒトがヒトとして知性をドライブさせるための大切な
エッセンスがあると思うんだ。
 

 イラスト:溝口彩帆

 イラスト:溝口彩帆


 学習がセカイの見え方を変える
 
ヒトという生き物はとてもユニークで「学習をしないといられない」習性を持っている。だっ
て放っておいても、目や耳や鼻や舌や皮膚を通じてなにかを勝手に学習していってしまうで
しょう?勤勉だとか博学だとか程度の差はここではどうでも良くて、それぞれのタイミングで
これは美しい、これは美味しい、これは気持ちがいい、これはつまらない、、、なんて具合に
自発的に認識して判断していくわけで。なにもしなければ、あるいは、学習し過ぎると今度は
飽きるという感覚をやっぱり学習する(ちなみにこの飽きるはかなり高度な知性で、AI
にもなかなか理解が出来ない感覚だたりする)結局のところヒトの個性なんてものは
ままでの人生で何を学習してきたか」ということなのかも知れない知識が教養が経験が、
全く同じモノを見ているはずなのにさまざまなセカイの見え方に変えているんだと思う。最近
の流行語の「多様性」なんて言葉もこういた視点とは無関係だとは僕は思えないんだよね。
 
なぜヒトは学習をしなければいけないのか
 
全く別の小話をもう一つ。芸能人のタモリが「なぜタモリさんは教養を得続けるのですか」と
いう質問に対して答えた、ある有名なフレーズがあって。「教養なんていうのは、あるにこし
たことはないんですよ。なんであるかっていうと、遊べるんですよ。あればあるほど、遊ぶ材
料になるんです、教養っていうのは」。好きなんだよね、この問答。これは最初のエピソード
に当てはめると、「お母さんは草木の教養をつかって僕には見えないセカイで遊んだ」、とい
うことになるんじゃないかな。
 
セカイがオーバーラップしたとき
 
大人になって、建築とコンピューターの専門家になった僕は思う。これはヒトに限った話でな
昨今話題の生成系AI騒乱にも通ずる大切な観点な気がするんだ。現代のAI技術はそんなひ
たすらに学習し続けるヒトの脳の仕組みを(一部)参考にして作られている。ということはつま
り、AIにも多種多様な学習が存在し、そのセカイには多様性がある。優れているとか、劣って
いるとかそんなんじあなくてさまざまなことを考えるヒトがこの世に沢山存在するように、
さまざまなことを考えるAIが沢山の種類で存在するはずなんだ「あるAIが〇〇と言ってるか
ら間違いない」なんてことは「あるヒトが〇〇と言ってるから間違いない」というのと同じく
らい不自然だし、「あるAIが〇〇と言ってるからちょっと話を聞いてみようか」なんてことは
「あるヒトが〇〇と言ってるからちょっと話を聞いてみようか」というのと同じくらい自然だ
と思うんだよね。つい最近、芥川賞を受賞した作家さんが「自筆とAIによる自動生成を組み合
わせて執筆した」と宣言して話題になった。僕はこのエピソードはまさに「自然なこと」だと
思えたんだ。作家さんのセカイとAIのセカイがオーバーラップして(=重ね合わさって)、未だ
知り得なかった新しいセカイが提示されたってことだと思う。
 
ヒトが知らないことをAIが知ってしまっているということに悲観的になるヒトが最近は多いよ
うだけど、そういった状況ももっとポジティブに考えたほうが良いんじゃあないかと思う。
「知らないことを自覚すること」は「これから知れる可能性がある」という豊かさそのものな
のだから。母にはテッセンを知っているセカイの豊かさがあり、僕にはテッセンを知らなかっ
たセカイの豊かさがあった。やっぱり、むしろ大切なのはこんな異なるセカイのオーバーラッ
プ(=重ね合わせ)なんだと思う。感動、発見、想像、想起、共感、きっとそれらのヒトにとっ
て大切にしたい感覚はこんなときに生まれてくると思うんだ。そして、それは、きっとAIに
ても同じことなんだよね全知全能のヒトが存在しないように全知全能のAIは実現しない
んじゃあないかと僕は思っている(こういうのを「フレーム問題」っていうらしい)。完全じゃ
ない以上ヒトのセカイとAIのセカイのオーバーラップもまたこれから延々と続いていくコ
ミュニケーションなんじゃあないかな。
 

 イラスト:溝口彩帆

 イラスト:溝口彩帆


 僕だけの芸当、あるいは「オリジナリティ」
 
いまの僕は街でテッセンを見つけることが出来る。細くてしなやかな“鉄線”のような蔦。小ぶ
りで風にひらひらと揺れる鮮やかなみどりの葉。白い花びらは6枚で梅雨の時期に蕾がひらく。
そしてこの植物を見つけたときは決まっていつも僕は母のあなたの笑顔を思い出すんだ。
テッセンなんてありふれた植物だし、べつに高度な知識ではないのだけど、だけど、ね、やっ
ぱり「こういうの」ってさ、この世の誰にも、もちろんAIにも決して理解することが出来ない
(出来る必要もない)、たった一人僕だけが僕の人生で得た何ものにも代え難い特別な芸当だ
と、、、思うんだよね。

髙木 秀太 氏

髙木秀太事務所 代表