Magazine(マガジン)

コラム

ヲタ活に学ぶコンヴィヴィアリティ

2024.05.21

パラメトリック・ボイス                                   竹中工務店 / 東京大学 石澤 宰


私の推し活の根幹を成しているでんぱ組.incが16年の活動に幕を下ろし、来年頭にエンディン
グを迎えるという旨の発表がありました私は参戦していたライブで直にその電撃報告を聞き、
場の空気の色がガラリと変わるのを目の当たりにしましたが、終演後に5分以上も帰ることな
く拍手を送り続けるヲタク達の姿を見て、ある種の連帯感というか、心強さのようなものを感
じました。

ただ、この件はその日のうちにそれなりに大きなニュースになり、その後数時間で親族・友人
等から「無事か、生きているか」という旨の連絡を数件頂戴しました。ご心配いただきありが
とうございます、私は元気です。ただ、推し活の終活はどうやるのか、はたまた何か次の方向
へと足を進めるか、などということをつらつらと考えています。

そのでんぱ組.incにしても私は16年のうち8年を追っていたのみであり、先達は山のようにい
ます。でんぱ組.inc以外に現場(ライブ)を実際に見たアイドルはほんの数えるほどです。そ
う思うと、声高にアイドルについて何か申したり書いたりすることは、より長く幅広い活動を
している方々に対して礼節や敬意を欠くような気がしてしまうことがあります。

その一方、私は研究室のPI(研究室代表)という立場をいただいており、そこで所属する研究
員が持っている論文の種を見ると、「誰が言うかは問題ではない、価値ある発見は正しく世に
知らせていくべきだ」という気持ちになりますではこれを自分に当てはめられるかというと、
私の場合はですが、とても難しい。専門分野ですら今でも投稿論文が査読で落とされたりして
いる身です。よくあることとは聞きますが、そんな私がこんな発見で論文を書いていいのだろ
うか、という気持ちになるのです。

これは自己肯定感の問題なのでしょうか、または自分自身のスキルや知識を正しく見積もれな
いことに起因する問題なのでしょうか。地位が伴っていれば悩まない話でしょうか。そうした
何か決意に変えて実際に行動に移せるためのターニングポイントは、しかし、どうも自然に訪
れるものでもない、ということを私はアイドルから学んでいます。

でんぱ組.incの関連インタビューで楽曲を多く寄せている、ヒャダインこと前山田健一さんが
雑誌インタビューに答えて曰く、『「うちらごときがすいません、過大評価申し訳ない、お時
間とって申し訳ない」っていう気持ちがそもそも』あったのだそうで、もともと引っ込み思案
で謙虚どちらかと言えばへりくだりすぎの彼女たちが『ファンだったり世間の声だったり、
あと社会的な立場だったりで、腹をくくらなきゃならない瞬間っていうのがやっぱりあって』
と、アイドルとして消費されることに対して『腹をくくっている』『そのあたりの過程の部分
は(自分と)すごく似てる』とのこと(ぴあMOOK (2020). でんぱ組.incの“同志”として成長
を見続ける音楽クリエイター, でんぱ組.incぴあ, pp. 44—47)実際にメンバの入れ替わり
や時間の経過に伴って、秋葉原のヲタク出身と言うアイドル像は徐々にアップデートされ、多
様な女子が活き活きと生きる現代におけるアイドル像と言うものに変化していきました。

『ある視点を活かすためには、それを全面的に信じ、貫徹しなければならないという姿勢だ。
とはいえ同時に私の内なる声がささやくのも聞こえる。「きまじめになってはいけないぞ。
死守せよ、だが軽やかに手放せ」』(ピーター・ブルック著, 高橋康也 他 訳. (1993). 殻を破
る 演劇的探求の40年, 晶文社. p.13)という名言が思い出されます。

人前で何かを話す時や、多くの人に対して何かを書き伝える時、その内容と同じくらい、発信
者である自分にその資格があるのか気になることがあります。私にそんな偉そうなことを言う
資格があるの?と事あるごとに考えます。

しかしこれも、アイドル界隈を見ていると勉強になる事例はあるものです。「配布芸」と呼ば
れるものをご存知でしょうか。典型的には、あるアイドルのライブの場外などで、関連して
知ってほしい別なアイドルのCDなどを大量に買い込み、人に配るというある種の布教活動を
指します。これに加え、でんぱ組界隈で時々見るパターンが、自分で描いた絵など、及びそれ
で作たグッズなどを自分で量産しもらてもいいよという人に配って回るというものです。

当然のことながら、公式のグッズとは色々と差がある可能性はあります。しかし、それらはき
ちんと人の手に届くものだそうで、また直接手渡しして配るという行為は、かなり大きなコ
ミュニケーションの原動力となるようなのです。何より、これを芸と呼んでしまうこの温度感
というか、こなれた感じ。好きなものに対する人の性をどう認め合うかがこのあたりの言葉遣
いに込められているように思います。

作ってみたければ作り、内輪に見せるところから始める。何万人もにいきなり見せる必要など
ないのです。活動している事は尊く、どんな関わり方にも意味がある。そのようなスタンスを
大事にするには、何よりも、その活動の原動力が自分の内にあることが必要でしょう。最近私
があらためて学ぼうとしている「コンヴィヴィアリティ」という概念、自立共生と訳されるこ
の語の含意には私が大事にしたいものが色々と詰まっている気がして、そことも奥の方で繋
がっている気がするのです。

ヲタクはしぶとく強い。例えばライブのチケットでどんなに後ろの遠い席が当たろうと、そこ
は彼氏や関係者がひそり鑑賞する場所だと妄想して「後方彼氏面(こうほうかれしづら)席」
という言葉を編み出してしまう。「前方親父面(ぜんぽうおやじづら)」という言葉もありま
す。みんな楽しんでいて、なんだかその輪の中にいると笑ってしまいます。

はい、私は元気です。これからもアイドルで得たことを業務にも研究にも活かしていく所存で
す。ただこれから1年間私が一体いくらくらい推し活に使うのか、詳しい事はあまり聞かずに
そっとしておいていただけましたら幸いです。

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 コンピュテーショナルデザイングループ長 / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授