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コラム

ゲーリーの過渡期とCATIAとリック・スミス

2024.06.04

パラメトリック・ボイス

               コンピュテーショナルデザインスタジオATLV 杉原 聡

以前のコラムでフランク・ゲーリーの事務所にCATIAを導入したリック・スミスについて言及
した。今回はウォルト・ディズニー・コンサート・ホール(WDCH)を中心にそれにまつわるも
う少し詳しいエピソードを紹介する。

話は1987年のロサンゼルスから始まる。この年、1966年に夫のウォルト・ディズニーを亡く
した妻リリアン・ディズニーは、夫を記念してその名を冠するコンサートホールの建設のため
に5000万ドルを寄付した。そしてWDCHの設計競技が開催され、世界中から80案の応募が集
まり、その中の4人の建築家が1988年の最終選考に残った。その4人のうち3人はプリツカー
賞受賞建築家であり、1981年に受賞したイギリス人建築家ジェームズ・スターリング(当時
62歳)、1985年受賞のオーストリア人建築家ハンス・ホライン(当時54歳)、1986年に受賞の
ドイツ人建築家ゴットフリート・ベーム(当時68歳)であった(図1)。そして4人目はカナダ生
まれのロサンゼルスの建築家当時59歳のゲーリーである(なおゲーリーは翌1989年にプリツ
カー賞を受賞した)。

 図1. 1988年の設計競技におけるホラインのウォルト・ディズニー・コンサート・ホール案
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のHANS HOLLEINのWebサイトへ
  リンクします。

 図1. 1988年の設計競技におけるホラインのウォルト・ディズニー・コンサート・ホール案
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のHANS HOLLEINのWebサイトへ
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そして設計競技の最終選考で4人の中から選ばれたのは、周辺環境に開かれて多くの公共空間
を持つ案を提案したゲーリーであった(図2)。

 図2. 1988年の設計競技におけるゲーリーのウォルト・ディズニー・コンサート・ホール案
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のWalt Disney Concert Hallの
  Webサイトへリンクします。

 図2. 1988年の設計競技におけるゲーリーのウォルト・ディズニー・コンサート・ホール案
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のWalt Disney Concert Hallの
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WDCHの設計と並行して、1984年よりゲーリーは、保険会社プログレッシブの社長で、プリ
ンストン大学やグッゲンハイム美術館に多額の寄付をする慈善家であり著名なアートコレク
ターのピーター・B・ルイスのための住宅の設計を、建築家フィリップ・ジョンソン、画家・
彫刻家フランク・ステラ、彫刻家リチャード・セラと協働して取り組み始めた。1987年に完
成した神戸のフィッシュ・ダンスにも萌芽が見られるが、特にこのプロジェクトで顕著に現れ
るように、80年代の終わりから90年代の始めにかけて、ゲーリーの作風は3次元的な曲面を多
用する有機的なものに変化を見せ始めた(図3)。なおルイス邸は予算超過のため工事が始まる
ことなく1995年に設計が打ち切りとなったが、1995年案の敷地中央に見られる「馬の頭」と
呼ばれる形態はその後ベルリンに2001年に竣工するDZ銀行に現れる。また、ルイスは住宅プ
ロジェクトが中止となった後も自身が寄付した多くの公共建築の設計をゲーリーに依頼してい
る。

 図3. ルイス邸:左上より時計回りに1989-1990年案、1992年案、1995年案部分、1995年案

 図3. ルイス邸:左上より時計回りに1989-1990年案、1992年案、1995年案部分、1995年案


WDCHの設計競技でプロジェクトを獲得した後に、ゲーリーは50回設計を更新したと言われ
る。その過程でルイス邸の設計の変化と同様に3次元的な曲面を多用したものに変わってい
き(図4-6)、1991年には最終案に近い、反り返る曲面でホールを包んだものになった(図7)。

        図4. ゲーリーによる1989年のWDCH設計検討模型
        ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の
         SCULPTING HARMONYのWebサイトへリンクします。

        図4. ゲーリーによる1989年のWDCH設計検討模型
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        図5. ゲーリーによる1990年のWDCH設計検討模型
        ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の
         SCULPTING HARMONYのWebサイトへリンクします。

        図5. ゲーリーによる1990年のWDCH設計検討模型
        ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の
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        図6. ゲーリーによる1990年のWDCH設計検討模型
        ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の
         SCULPTING HARMONYのWebサイトへリンクします。

        図6. ゲーリーによる1990年のWDCH設計検討模型
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        図7. ゲーリーによる1991年のWDCH設計検討模型
        ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の
         SCULPTING HARMONYのWebサイトへリンクします。

        図7. ゲーリーによる1991年のWDCH設計検討模型
        ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の
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しかし施主の組織であるウォルト・ディズニー・コンサート・ホール・コーポレーションはそ
の建設可能性に不安を抱き、ゲーリーにコンピュータを導入することを指示したという*2。
UCLAで1970年より長年教鞭を執り、1986年にハーバード大に移ったウイリアム・J・ミッ
チェル(その後1992年にMITに移籍)は、最初Alias Power Animator(Autodesk Mayaの祖先
にあたるソフトウェア)を勧めたが、アニメーションやCGパースの製作には適していても、建
設に必要な図面の製作には役に立たなかったため次に航空産業用のコンピュータ・システム
を取り扱っていたIBMに連絡することを勧めた。そして1991年6月中旬に、当時IBMに勤めて
いたリック・スミスの電話が鳴ったのである。

スミスは1970年代に大学で建築を学んでいたが、父の勤務先であったIBMで見たコンピュー
タに衝撃を受けて、コンピュータ工学を学びに別の大学へ移った。卒業後は航空機メーカーで
あるロッキード社で、1970年代より自社開発されていたCADソフトウェアCADAM(後に
CATIAと統合)による航空機設計に携わり、その後CADAMの販売を請け負っていたIBMに転職
した。そしてIBMでは同じく販売を請け負っていたフランスのダッソー・システムズのCATIA
のスペシャリストとなり、航空業界でのCAD設計業務に従事した。IBMに勤めて約10年程経っ
た頃に、スミスはゲーリー事務所からの電話を受け、「魚の形をした建物を建てられるか?」
と尋ねられ、スミスは「魚も飛行機みたいに航空力学的な形をしているのだからできる」と答
えたという*3。

主に模型を通じて建築設計を行うゲーリーは、近年の講演でも未だにコンピュータ・ディスプ
レイを見ることが如何に苦痛で、如何に人間の想像力を損なうかを述べるように、コンピュー
タが嫌いである。当時コンピュータの導入もCATIAの導入も全く気が進まなかったゲーリーだ
が、WDCHの施主に半ば強制される形でCATIAを導入し、スミスを雇うこととなり、このよう
にしてゲーリーの複雑な有機的形態が、高度なデジタル技術によって実現されていくという歴
史が始まったのである(図8)。なおCATIAとスミスはルイス邸の設計の発展にも深く関わった。

        図8. 2000-2001年頃にCATIAでモデリングされたWDCHの構造
           モデル
        ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の
         SCULPTING HARMONYのWebサイトへリンクします。

        図8. 2000-2001年頃にCATIAでモデリングされたWDCHの構造
           モデル
        ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元の
         SCULPTING HARMONYのWebサイトへリンクします。


1994年にWDCHのプロジェクトは予算不足や政治的な理由で一度停止した。停止中に追加の
予算調達が試みられ、当時のロサンゼルス市長や、後年2015年に隣の敷地にブロード美術館
を開館するイーライ・ブロードが寄付をした。なお、ブロードはアメリカの著名なアートコレ
クターで全米各地の美術館や美術学校に寄付をして建物を建てていることで有名であるが、本
人は建売住宅企業の社長であり、有名建築家に設計を頼みつつも建築設計に頻繁に口を出し、
建築家と衝突することで有名な施主でもある(これに関連してあまり公にできないエピソード
を筆者は抱えているので気になる方は筆者を見かけた時に尋ねられたし)。ゲーリーとブロー
ドはWDCHプロジェクト以前に既に衝突しており、ブロードは寄付した後にゲーリーを
WDCHプロジェクトから建築家としては外して工事を続行することを要求した(これを過去に
ゲーリーに対して実際に行ったのが不仲の原因である)*4。しかし、ディズニー家はそれに猛
反対し、ディズニー家が寄付を増額することでゲーリーを建築家に据えて1997年にプロジェ
クトが再開された。

その年1997年にディズニー夫人は他界してしまったが、プロジェクト再開後6年を経て、
2003年10月にウォルトディズニーコンサートホールは竣工した(図9)竣工後のLAフィ
ル・ハーモニーによるこけら落とし公演の直前に、公演練習をWDCHプロジェクト関係者や
ロサンゼルスの建築従事者、建築学生を招待して公開する機会があった。筆者はちょうど
2003年9月からUCLAに建築留学しており、これに参加する幸運に恵まれた。ステージでオー
ケストラがリハーサル練習の準備をして待つ中舞台袖からゲーリーがひょっこり挨拶に現れ
た。すると会場から拍手が沸き上がり、客席全員が立ち上って舞台中央に歩いてくるゲーリー
に長時間のスタンディング・オベーションを送り、この建築が如何にロサンゼルスの人々に待
ち望まれていたものであるかを痛感したのである。

 図9. 竣工したWDCH
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出展元のWikipediaのWebサイトへリンク
  します。

 図9. 竣工したWDCH
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出展元のWikipediaのWebサイトへリンク
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曲面を多用したWDCHの設計が生まれたより後の1991年に設計が始められたビルバオ・グッ
ゲンハイム美術館は、CATIAを駆使したスミスの尽力もあって(図10)*2、1997年に先に完成
しており、ゲーリーの名声はさらに世界的に高まった。では、ゲーリー事務所の複雑な形状の
建築をデジタル技術により次々と実現させたスミスは、ゲーリーと事務所に期待され、そして
功績を讃えられ信頼を得ただろうか?大変悲しいことにそうではなかった。

     図10. ビルバオ・グッゲンハイム美術館のCATIA version 3モデル(出典: *2)

     図10. ビルバオ・グッゲンハイム美術館のCATIA version 3モデル(出典: *2)


そもそも、スミスがゲーリー事務所に出勤する1991年の初日、誰からの歓迎も無く秘書に机
に案内され、ゲーリーを見つけて挨拶するも無視されて立ち去られたと言う(なお、筆者は
2006年にグレッグ・リン事務所に勤務し、ゲーリー事務所との協働プロジェクト、セントサ
島のリゾート開発プロジェクト(クリックするとYouTubeへリンクします)
に携わり、ゲー
リー事務所に出入りしていたが、ゲーリーに話しかけた者はクビになるという噂を聞いてお
り、近しい管理職の人間以外とゲーリーが話す所は見かけなかった。スミスを無視するゲー
リーを想像するのは難くない)。

また、当時のゲーリー事務所は技術よりも芸術を追求する事務所の文化があり、ゲーリーだけ
でなく所員にも技術を軽んじる風潮があって、スミスは事務所の反発に合いながら複雑な形態
を建設可能にするデジタル設計プロセスの確立に勤しんだ (図11)。スミスが事務所に来た当
初、所員は模型で設計された建築物の製図のためにアクリル板を通じた目視や、光を壁面に当
てた影で寸法を測っており(図12)、スミスがその精度を疑うと、「ミケランジェロもこうし
て建てたんだ!」と反発したという*2, 3。なお後日ルイス邸の協働でゲーリー事務所に訪れ
たフィリップ・ジョンソンはCATIAを用いた設計過程に興味を持ち、ゲーリーがそっぽを向い
て部屋を出てしまった後もスミスと共に作業するジョンソンを見た一部の所員は、コンピュー
タに対して少し前向きになったという。1991年から10年以上ゲーリー事務所の10件以上のプ
ロジェクトの実現に貢献したスミスであったが、その甲斐も虚しくWDCHの完成を待たずし
て2002年にスミスは解雇されてしまう。その苦々しい経緯はスミス自身による著作*2に記さ
れているので興味のある方は参照頂きたい。

 図11. アーム式デジタイザで模型から3次元データを取得するリック・スミス(出典:*3)

 図11. アーム式デジタイザで模型から3次元データを取得するリック・スミス(出典:*3)


 図12. 模型から立面の寸法の計測を手動で行うゲーリー事務所員
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のSCULPTING HARMONYのWeb
  サイトへリンクします。

 図12. 模型から立面の寸法の計測を手動で行うゲーリー事務所員
 ※上記の画像、キャプションをクリックすると画像の出典元のSCULPTING HARMONYのWeb
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ゲーリー事務所に解雇された後は、現在に至るまでスミスは他の様々な建築家の複雑な形態の
建設に貢献している。タイミングが合わず著者はモーフォシス在籍時に会ったことはないが、
モーフォシスによるカリフォルニア工科大学の天文学・宇宙物理学センターの複雑な形状の階
段室の施工にもスミスは関わっていた。今回のこのエピソードは必ずしも美談ではなく頭を抱
えてしまう不遇の物語でもあるが、偉大な達成の影にある裏方の貢献は常に忘れずにいたいと
思う。

*1 Philadelphia Museum of Art (2008). Frank O. Gehry: Design Process and the Lewis House, Philadelphia Museum of Art Publication.
*2 Rick Smith (2017). Fabricating the Frank Gehry Legacy: The Story of the Evolution
of Digital Practice in Frank Gehry's office. Rick Smith.
*3 Greg LynnによるArcheology of the DigitalプロジェクトでのRick Smithのインタビュー
 また、岩元真明氏による「Archaeology of the Digital」の書籍レビューも参照。
*4 Michael Webb (2003) . When the Walt Disney Concert Hall redefined the landscape
of downtown Los Angeles, Domus 863, Editoriale Domus

杉原 聡 氏

コンピュテーショナルデザインスタジオATLV 代表