あなたの街を愛でる
2024.11.12
パラメトリック・ボイス 髙木秀太事務所 髙木秀太
あなたはセカイの一部だけど、セカイがあなたの一部でもある
小さなものは大きなものに含まれる―――スケールの概念がある現実の世界ではそんな感覚が
当たり前だと思う。「会社に含まれるサラリーマン」「大学に含まれる大学生」「工具セット
に含まれるトンカチ」「冷蔵庫に含まれる野菜」「コップに含まれる水」「分子に含まれる原
子」。僕らはこの「小が大に含まれる」という感覚に慣れきってしまっている。でもね、実は
これ、コンピューターの中でAIやシミュレーションなどの高度なプログラムを構成するには
まったく相性の悪いになる感覚なんだ。
え、どういうこと??もともとコンピューターのなかでは、あらゆる情報はすべて同等。だか
らそれらの関係性も「イーブンな繋がり」であるように構成する、これが定石の手法なんだ。
例えば、最初の「会社 /サラリーマン」の関係性であれば、「サラリーマンが会社に含まれ
る」状況と同時に「会社がサラリーマンに含まれる」状況を共存して作り出すことを良しとす
る。そうでないとプログラムの中で(ちょっと言い方が乱暴なんだけど)厄介が生じやすい。
言うなれば、これがコンピューターにとっての「自然」なんだ(コンピューターの話をしてい
るのに「自然」だなんて、とても変な表現だけど)。
あなたは街の一員だけど、街があなたの一員でもある
この感覚に慣れると日常の捉え方がちょっと変わってきて楽しい。じゃあ、建築・都市に寄せ
てみて、あなたと街の関係性に当てはめてみるとどうだろう??例えば、だれにでもある故郷。
自分が故郷に含まれる(住んでいる/いた)感覚と、自分を構成する人格に故郷の思い出が含ま
れている感覚、どちらもあるんじゃないかな。あるいは、故郷とは異なる現在の住まいがある
街だっていい。そう、あなたは街の一員だけど、街があなたの一員でもあるんだ。コンピュー
タープログラムを扱っているとこの感覚が不思議とスッと腑に落ちるようになる。
出生地ガチャ
近年、若い世代間で「親ガチャ」っていう言葉が一般化したね。最近は「出生地ガチャ」って
言葉も現れていて、生まれた場所(街・地域)が自身の一生を大きく左右してしまいかねない、
ということらしい。出生地もまた若者にとっては自身を構成する属性(もちもの)なんだ。この
新語が良いものか悪いものかは別として、こういう感覚になるというのは、現代においてはこ
れまたとても自然なことのように思う。「自分を大切にしなさい」と教えられてきた世代。こ
れは言い換えれば、「自分とまわりの情報の関係性を(内含・従属関係でなく)イーブンに扱
いなさい」ということ。人間の精神がコンピューターの精神に追いついて来たのかもしれな
い(本当にくれぐれもこれが良いことか悪いことなのかは僕もまだわからないのだけど)。
街を考えることは、自分を考えること
「出生地ガチャ」なんて言葉が生まれてしまうこと自体が、若い世代が街とヒトの繋がり合い
を真剣に考えている証拠な気もする。ある意味、健全で切実な視点なのかも。大人よりも若者
のほうが深刻に考えているんだ、だから、こんな言葉になるんじゃないかな。みんな十分にわ
かっているんだと思う、故郷や住まいの暮らしを考えることが自分自身を考えることに直結し
ているということに。さて、一方で大人はどうだろう。都市開発、まちづくり、地方創生、、、
いろいろな議論を延々と繰り返す中で、僕たちは若者と街の未来をしっかりとサポートしてい
くことが出来るだろうか。
「自分の住んでいる街を褒められると嬉しい」
先日、東京は谷根千(谷中・根津・千駄木を中心とする地域のことをこう略すらしい)に住まい
を持つ知人と街を散策した。根津神社、谷中銀座商店街、カヤバ珈琲・CIBI・HAGISOなどの
個性的なカフェ、他にも魅力的なスポットがたくさんある。サクラ、ツツジ、イチョウなど季
節の自然も豊かで、穏やかな日常が流れる情緒あふれる街だった。帰り道で「この街は本当に
豊かで素敵な街だね、」と僕が言うと、その人は「自分の住んでいる街を褒められると嬉しい」
と喜んだ。自分の街をそんなふうに思えるなんてそれはとても素敵なことだな、と僕は思った
んだ。だって、それはつまり「この街が好きな自分が好き」という、他ならぬ自分自身への愛
なのだから。