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コラム

それって解ける問題です化

2026.07.09

パラメトリック・ボイス                                   竹中工務店 / 東京大学 石澤 宰

最近ClicksというiPhoneケースを愛用しています。スマホで長文を入力する機会が増え、
フリック入力という名の親指盆踊りに限界を感じ、あれこれ探したところ出会ったのが「物理
キーボードつきケース」。その名の通りスマホの外側にキーボードがボタンとしてズラッと並
んでいて、まるで往年のBlackberryのようです。両指で打ててミスタイプが減り、さらにタッ
チタイピングできるのがメリットです。フリック入力は画面を見ないと打鍵できませんが、こ
ちらは物理キーゆえ慣れると目を離していてもある程度打てます。

ただ副作用としては、もともと巨大な私のiPhone 15 Pro Maxがさらにデカくなって時々えら
く注目を集めることでしょうか。電車の中などでメチャメチャ視線を感じることがあります。
まだ逡巡しつつも付き合い始めて2か月ほど、私の中では上々です。


スマホはコンピュータである。そのことは知っているものの、電話型であることや物理キーが
極限まで減らされたことでなんとなく「そういうちょっと別モノ」と思っていました。キー
ボードがついてこの風貌になると改めて「私はコンピュータを持ち歩いている」という感じが
してくるのが不思議です。

今日の私たちは四六時中コンピュータと共にいて、何かと計算・通信・記録のお世話になって
いる。では、その分日々の様々なことがラクになっているのかと考えるに、あれこれ思い当た
るところもあります。印刷した書類の文字がはみ出してはやり直し、VPNが繋がらなくなって
は待ちぼうけを喰らい、AIにコードを書かせればトークン取得を下請け業務としてやらされ
る。もちろん楽になっている部分が多いから時代はそちらに歩を進めているわけですが、釈然
としなかったことばかり記憶に残る。

そういう細かな不具合ももちろんながら、ではそもそも「PCやスマホ、インターネットやAIが
あるから私たちは悩まなくなったか」と言われると、主観的にはあまりそうでもない感じもし
ます。

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業務でも研究でも様々な場面で、「データを解析したら答えが決まりませんか」という類の相
談を受けますが、残念ながら決まらない場合がほとんどです。データは多少なりともある、解
析も何らかやれないことはない、しかしそれが相談者の悩みを直接的に解決はしない。そうい
う状況です。

ではその期待は的外れかというとそうとは言い切れない数理的に決まることもあるのです
数理的に決められるか、そもそも解けるかどうかすらわからないかが、少し考えてみないとわ
からない。これが弁別できるようになると、多少有用な局面があります。

その役立つのがDavid SnowdenによるCynefin Frameworkです。Cynefinはカネヴィン(ま
たはクネヴィン)と、ちょっと私たちには馴染みのない読み方をするのはこれがウェールズ語
であるためで、「自分でも気づいていない、自身を取り巻く様々な関係性や環境・歴史」を意
味するそうです。

  カネヴィン・フレームワーク(1)。Wikipediaより引用、著者により一部改変。CC BY-SA。

  カネヴィン・フレームワーク(1)。Wikipediaより引用、著者により一部改変。CC BY-SA。


カネヴィン・フレームワークは「状況判断(sense-making)の枠組み」です。人間が問題を
解決しようとするとき、その状況は5つに分類できるとします。それぞれ単純系 (clear)、煩
雑系 (complicated)、複雑系 (complex)、混沌系 (chaotic)、そしてどれでもない
混乱(confusion)。

単純系・煩雑系はいずれも因果関係が明確で、予測が可能である「既知の問題」を指します。
単純な状況では最善の解法(ベストプラクティス)が既に存在するのに対し、困難な状況では
解法が複数あって自動的に1つには決まってくれず、分析・比較などを通じて吟味することに
なります。

複雑系・混沌系ではそもそも問題そのものが未知であるため、因果が予測できません。複雑な
状況ではどこからどこまでが問題であるかの定義そのものが求められ、様々な試行錯誤も必要
になります。混沌系の状況は危機的で急を要する事態とされ、突発的な事態に対してまず行動
し、あとから振り返って問題を認識してさらに対応することが必要です。
 
建築の周辺で私たちをとりまく問題も、実はこうして見るとそれぞれ性質が違うことがわかり
やすくなります。数式によって解くことができ、解に対して広く合意が可能なケースは単純系
です。たとえばスタジアムでのC値の計算、sDAの計算避難時間の計算。いずれも計算方法と
解の解釈は確立しているため、それに従えば結果も自ずと得られます。

煩雑系ではどうでしょうか。たとえば構造計算では、その結果そのものは明らかでも、では何
を変化させれば結果が改善するか、また得られた結果の是非をどう解釈するかが一意に定まら
ない場合はよくあります。また大量のデータを分類するクラスタリングでは、手法はたくさん
ありますが、与えられたデータパターンに対してどれが最適かは試行錯誤を要します。さらに
ランダムなパターンの生成などは、バリエーション自体は容易にいくつも作れても、どのパ
ターンが望ましいかは総合評価で決めるしかない場合がほとんどです。

複雑系の問題になるとそもそも何をどう分析・解析するのかその際に正解とはなんなのか
ということからわかりません。たとえば「オープンスペースを設計しているが、実際にどの程
度活用されるかを評価できないか」という問いについて考えます。これには、何割ほどの人が
オープンスペースを目指して来たり滞留したりするかなど行動面での評価や、どのようなアク
ティビティの発生を期待するかなど計画的な評価、さらには私たちの予想を超えて使われるこ
とがあるかどうかという総合的な未来予測まで含まれてきます。それぞれ、そもそも解ける問
題かどうか、仮に解いたとして現実はその通りになるかということまで含めて複雑なため、こ
の問題の定義そのものから考える必要が出てきます。

混沌系の場合はまずその場でアクションが必要になるため、シミュレーションなどしている暇
はない、ということになります。強いていえば、脳内で瞬時に出せる答えが最高のシミュレー
ション、ということになるでしょうか。これらを先程の枠組みにあわせて整理すると下図のよ
うになります。

  カネヴィン・フレームワーク(2)、コンピュテーショナルデザインの場合。Wikipediaより
  引用、著者により一部改変。CC BY-SA。

  カネヴィン・フレームワーク(2)、コンピュテーショナルデザインの場合。Wikipediaより
  引用、著者により一部改変。CC BY-SA。


いま取り組もうとしている問題がどの系にあるのかを考えることは、問題対処のアプローチを
考えるうえで有効です。別な見方をすれば、ある問題の系を捉え違えると望ましくない結果が
出る、ということにもなります。複雑系の問題は単純に解けないし、混沌系の問題に煩雑系を
持ち出している暇はない。

じつはこの問題の分類こそコンピュータと向き合う際に私たちが把握すべきポイントであり
これを噛み合わせないとコンピュータはあまり助けになってくれない。おそらくそのような事
情で、いかに情報機器がすぐに使えても、問題を解き始めようとすること自体に強い困難を感
じる人もよく目にします。

近年の学校教育は非認知能力を「生きる力の土台」として重視し、思考力・判断力・表現力・
協調性・自制心などを涵養する取り組みを増やしています。設計演習などで採用されるスタジ
オ形式はまさに好機ではあるものの、なかなかここまでの議論はできません。大人として生き
る人びとにとってようやく学び直し・学びほぐし(アンラーニング)に至ることのできるポイ
ントかもしれません。
 
データを「見える化」するだけでは足りない、データから学ぼうとする姿勢に至ることが大事
だ、だから「見たい化?」「見せてあげよう化?」を目指すべきだ、と主張したのは私の同僚
です。なんだか突然思い出しました。これになぞらえれば上記は、問題のタイプを知ってどう
対処すればよいかを知る「動ける化」につながるものかもしれません。さらに一歩進むと「動
けます化?」「動かしてあげましょう化?」 ……なんか突然おせっかいな感じがするのはなぜ
でしょう。昨今のAIにしょっちゅう期待を裏切られる我々、だいたいこういうふうに言われた
ときは大したことをしてもらえないことは分かりきっています頼っているのかいないのか

石澤 宰 氏

竹中工務店 設計本部 アドバンストデザイン部 シニアチーフエキスパート / 東京大学生産技術研究所 人間・社会系部門 特任准教授