台中メトロポリタン・オペラハウスのもたらしたもの
2016.09.13
ArchiFuture's Eye 慶應義塾大学 池田靖史
伊東豊雄さん設計の台中メトロポリタン・オペラハウス(台中国家歌劇院)がオープンに向け
て9月から一般公開され、見る事ができた。コンペで選ばれた2005年以来の間、これほど
エポックメイキングな斬新さが際立って期待と注目を受け続けて来た建築も珍しいのではない
かと思う。ここでは伊東豊雄さんの作家論をするつもりは無いので、これまでの作品を振り
返った訳でもなく、建設過程についてもArupの金田充弘さんから少し聞いた程度で、間違って
いるかも知れないが、きっと世界の名建築のひとつに数えられるようになると思うこの建物に
一人の建築家として実物を見た素直な感想を述べてみたい。
オペラハウスは台中の新開発地区の中心、真新しい高層ビル群に囲まれた大通公園の突き当た
りに位置していて、周辺環境は通常の台湾のイメージからはかけ離れた現代的で若干ジェネ
リックな直交グリッド平面の都市空間である。この直交グリッド都市空間の中で、建物の外観
も「四角い」。多くの皆さんは既にこの建築が特徴的な曲面建築であることをご存知だと思う
し、こうしたグリッド都市空間のなかに紅一点のように有機的な形態を据える事でシンボリッ
クな効果をつくるのは近代都市計画では定番的手法だが、改めて見てみると(というのも何か
変だが)この建物の外観は基本的に「四角い」のである。もちろん内部には艶かしい曲面が織
りなす有機的な空間が展開している(というよりもそれしか無い)。しかし通常の建築でアイ
コニックに印象を形成するはずの外観の形態に関しては意図的にそれを切断している。よく見
ると外構の計画では水面や、植栽などが1階のロビーに自然に入り込み、曲面の空間がテラス
のように扱われて外部化されている場所もあるので、それは必ずしも空間的な断絶を意図して
いる訳ではない事がわかる。そうした操作で、これほど斬新な建築空間が違和感無く周辺環境
になじみ、全く自然な感じで内部空間に移行する事ができる。そして、むしろ外観の「四角」
さは、全体を構成する曲面構造体の非常に明快な「断面図」をファサードにする事に大きな効
果をあげて、その断面図にはこの曲面にはっきりとした規則性が存在することが明示されてい
る。すなわち四角い外観だからこそ、そこに出入りする際に、この建築の根源的な主題である
「システムとしての曲面構造」を体験的に理解させる事ができている。
そう、この建築の最も力強く意義ある点は、形態としての曲面ではなく建築システムとしての
曲面を実現したことにある。内部空間にはおそらく誰もが感嘆する有機的な曲面が美しく連続
しているが、その印象は思ったほど未来的ではなく、むしろ懐かしい感じすらして、過剰に刺
激的なところは不思議にも無い。そして洞窟のように見えて閉鎖的な感覚かと言えば、そうで
もないのはこの曲面が内部を抱え込む凹面とその逆の凸面を同等に保持する基本的な構造を
保っているからだろう。私は洞窟というよりも木立に囲まれて森の中にいるときのように閉鎖
性と開放性が同時に存在している様相を感じたし、それはここで選択された曲面トポロジーシ
ステムの最大の建築的利用価値かもしれない。
この曲面構造体を「自由曲面」と呼ぶのは正しくないと私は思う。裏と表が同一のトポロジー
を持つ単一曲面となった立体格子構造を持ち、かなり厳格な規則性を保っていて、だからこそ、
動線的なつながりとともに、ある範囲内の変形のなかで、重力に対抗して建築的な要素を支え
るための基本的な構造的性能を確保できるからだ。その上で、同じシステムのままチューブの
位置と階高(チューブの高さ方向の距離)を調整することで、空間の大きさやつながりの強さ
を制御する事も可能になっている。一見、見た目は違うがドミノシステムと呼ばれた近代建築
のラーメン柱梁構造と同じように、一定の条件を受け入れて柔軟性と性能確保のバランスを実
現するモデルとしての曲面構造システムの合理性が提示されているのである。デザインの過程
についての資料が手元にある訳ではないが、この曲面の制御と調整に建築デザインの多くの労
力が割かれたであろうことも、その制御にパラメトリックな手法としてデジタルツールが有効
に介在したであろう事も容易に想像できる。自由過ぎる曲面はかえって使いにくくなる。明快
な規則性を持ちながら同時に多様な調整が可能であることは空間モデルの有効性にとって最も
重要な点である。一定の規則性と許容範囲の中での調整が人間とコンピューターの協調的なデ
ザイン行為を創りだしているのだろう。
この曲面構造体は壁や屋根のようになる部分もあるが、機能的な分割のために必要な壁や床は
適宜それとは区別されて挿入もされている。基幹システムとしての曲面構造体とそれを使いこ
なすための要素が並列し、一体的に空間を構成している。だから、自然の洞窟を利用して住ん
だ先祖達のように、偶然与えられた空間の使い方を二次的に「発見」しているようにも見える。
しかし同時に、必要に応じて洞窟を押し広げたり潰したりしながらアクティビティにあわせて
空間の多様性を調節し、性能の担保をしながら「計画」していることも事実で、その方法論は、
3次元グリッド構造の近代建築の寸法調節による変形操作概念も踏襲した合理性を逸脱してい
ない。そのような空間の「計画」と「発見」の中間の可能性の提示はこれまでに伊東豊雄氏が
積み重ねて来た建築デザイン分野における新しい地平に続くものだと思う。
こうしたデザイン手法的な先進性に比較して、すこし残念なこと、もしくは未来への期待とし
て感じることは、この構造体を実現したのが、コンクリートを流し込んで鉄筋を固めるという
典型的な20世紀的建設手法だった事だ。この新しい構造体の実現は当然のように前例のあま
りない難工事であった事は認めるし、そこに払われた皆さんの大変な努力にも敬意を表したい、
鉄筋の曲げ加工などにデジタルな手法も活躍したと思う。 しかしそれでもこの画期的な曲面
構造体の実現に幾何学的形状と生産手法の間で革新的な解決方法が見いだされたかどうかは、
若干もの足らない。キャストによるコンクリート・シェルは様々な生物が実現している有機的
な曲面がもつ構造的合理性を人間の手でつくる事のできる技術的手法としてサーリネン、キャ
ンデラ、ネルヴィらの20世紀の建築家が熱狂した時点から、力学的解析手法では進歩してい
ても材料の構築技術としては大きく変わらないからだ。
過去30年間でデザインにデジタルなツールを使う事は程度の差はあれ当然な時代になった。
素人でも使う図形要素の拡大縮小だって、概念的には立派なデジタル・デザインだ。ものの加
工や製作に数値的な自動制御を利用する事も、かなり前から存在していたが、ここ数年で大き
な展開を見せた。それはデータを介してデジタル・デザインとデジタル・ファブリケーション
が結びつけられたことがその理由のひとつだ。それでは建設現場での構築手法や組立作業や品
質監理などに関してはどうだろうか?情報化施工技術と呼ばれる分野としてこの分野の歴史も
長い。しかし、CNCが加工データづくりにアルゴリズミックな方法を導入した事でデジタル・
ファブリケーションと呼ばれる次元に突入したような第3の波となる革新はこれからでは無い
だろうか。ArchiFuture Webのコラムニストは鋭い方ばかりで、竹中司さんがだいぶ前から
「デジタル・コンストラクション」の重要性を唱えておられる。
建設ロボティクスと呼ばれるものと同じではないかと問われる事もあるが、私は少し違うと
思っている。ロボットが人間の代役として正確さや速度を向上した作業をするという固定観念
では捉えきれない可能性があるからだ。むしろ人間の作業管理能力を補助することで、結果的
に使用する建築材料からその運搬手法、固定方法や、接続方法にまで革新を起こせることに期
待があるからである。大量生産技術とともに20世紀的な建築の施工技術を実現して来たのは、
重たいものを運び、設置することのできる輸送や揚重などの機械的動力、すなわち力学的な能
力における技術である。それに対し情報技術が人間の能力を拡張しているのは、知的能力だと
すれば、その能力を活用した構築手法の革新があるはずだ。部品の種類が膨大すぎてとても探
し出せない、同一の部品にしか見えないので区別できない、部品とその固定方法のルールが複
雑すぎて覚えられない、現場で偶発的に起きる問題に適応するための方法が思いつかない、
99パーセントが順調な作業過ぎてわずかに起きる例外を見つけ出すことに耐えられない、な
どの人間的な知的能力の限界を超越することこそに、その意味がありそうだと感じ始めている
からだ。来月にあるArchi Future 2016でも「デジタル・コンストラクション」のセッション
でこの話題を深めてみたい。
さて、伊東豊雄さんの、台中オペラハウスに話題は戻って、きっとこの「曲面構造体システム」
というデザイン手法は、この1作品に、また伊東豊雄さんだけにとどまらず、これから建築の
世界で様々な応用展開がされるべきプロトタイプになっていくと思う、だからこそ、こういう
画期的な建築構成手法を合理的に実現する建設技術との並行的な展開が期待される。これから
この分野できることにたくさんの勇気をもらったと思う。