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コラム

日本の建築教育について

2016.11.04

ArchiFuture's Eye                 大成建設 猪里孝司

10月27日に開催されたArchi Future 2016のセミナー「デジタル時代に求められる人材とス
キルとは? -これからの建築界を生き抜く次世代のために-」にパネリストのひとりとして
登壇した。ICTにより私たちの生活や仕事、社会が大きく変化している中で、建築に関わる教
育や組織がその変化に対応できているのか、このままでいいのかという問題意識からこのセミ
ナーが企画された。発表にあたり、私の所属する設計組織のこと、設計業務の変化、建築教育
のこと、BIMやICTのことなど、いろいろなことを考え、多くの課題があり暗澹たる気分に
なった。
 
建築教育も変わる必要があると思っているのだが、とある冊子に掲載されていた建築評論家で
東北大学教授の五十嵐太郎先生のコラムを読んで、大学の現状についての認識を新たにした。
コラムでは「学生の “デザイン離れ”が加速」していることを危惧し、若い人たちが「形をつく
ることを、何か悪いことでもあるかのように、忌避している」ようになってしまう雰囲気があ
るとすれば「由々しき事態」だと警鐘を鳴らしていた。事例として、大学院の入試で設計作品
の説明を求めた際に、どの学生も「構造や形」ではなく「コンセプト」で作品を説明したので
「どんな形状なのか」を聞きなおさなければならなかったことが挙げられていた。私は、学生
が社会の空気に敏感に反応していると思いつつ、その敏感さは建築教育の成果であると感じた。
 
ある研究会で「建築を学んだ人は、プロジェクトをまとめ上げ完遂させる能力に長けているの
で、いろいろな業界で重宝されている」という話を聞いた。日本では建築教育は工学分野、い
わゆる理系の一つとして位置づけられているところが多い。他の工学分野に比べて、建築は幅
の広いジェネラルな視野と思考が求められ、それを獲得するための教育がなされている。その
成果が先の発言につながっていると思われる。日本の建築教育も捨てたものではない。
 
20年以上前に読んだデザインに関する本に出ていた挿話を思い出した。イギリスの建築家が、
裕福な貴族の友人から“離れ”の設計を依頼された。屋敷には素晴らしい森があり“離れ”を造る
には森の木を切らなければならない。そこまでして“離れ”を造る理由を訊ねたところ「孫が
ロックに夢中で毎晩大音量でギターを練習し、うるさくて眠れない。静かに眠るために、
ギター練習用に防音された“離れ”を建てたい」というのが理由だった。そこで建築家は孫に
ヘッドホンを買い与えることを提案し問題が解決したという話だった。本の名前も忘れて
しまったが、この挿話は、デザインの目的は、問題を解決することであると示唆している。
日本の建築教育では建築をつくることを教育しつつ、問題解決のためには建築をつくらない
という選択肢があることも教えている。近年、「デザイン思考」が話題になっているが日本
の建築教育では昔から同様のことが当たり前のように教えられていたと思う。少なくとも私は
そのよう教えられたと記憶している。
 
基本的な考え方を教えるという点では、日本の建築教育はいい線を行っていると思うが、ICT、
情報という観点では十分とはいえない。CADやBIMのスキルではなく、情報について深く考え、
世の中の動きに追従しリードできる素地をつくる教育を期待している。

猪里 孝司 氏

大成建設 設計本部 設計企画部長