BIMで構想、日本とベトナム
2016.11.15
ArchiFuture's Eye ARX建築研究所 松家 克
今年の「Archi Future 2016」が10月27日に快晴の中、今までで最高の参加者を数え大盛況裏
に開催出来ました。立ち見も出た講座もありご迷惑をお掛けしましたが、参加されたすべての
方々に感謝を申し上げます。ありがとうございました。
講座の中でも基調講演のFoster+PartnersのFrancis Aish氏の内容には、設計手法の先進性に
驚かされることが多く刺激的でした。中村拓志氏の「振る舞い」をキーワードに静かに格調高
く話された内容は、建築家の真髄を見聞きする想いがし、フォスター事務所のパートナーの
Francis Aish氏も大変興味を示されていました。特別対談の三宅陽一郎氏のAIの話は、建築へ
のヒントを感じ、パネルディスカッションともども今後の展開への期待を大きくしています。
来年は、今後の建築教育の方向性と求める人を繋ぐ講座などの新たなテーマにも取り組みたい
意向がありますが、これらを踏まえ新たな企画のスタートを切りたいと考えています。
併せ、BIMによる「中土佐町新庁舎建設基本設計業務」の公募型プロポーザルの公告が、大の
好物の鰹で有名な高知県の中土佐町で9月27日にあった。およそ3,000平米の庁舎の設計提案。
今までに7回に亘り小生も審査員として参加したbuildingSMART Japan(旧IAI日本)による
BIMでの仮想コンペ「Build Live Japan」があるが、地方公共団体による実施設計に繋がる公
募型としては日本で初めてのケースである。BIMでの審査方法も含め検討と学習を繰り返した
が、今回のプロポーザルの審査結果がどうなるか気になる。日本でのBIMでのプロポーザルや
コンペが増えると想定され、益々、BIMの重みが増してきた証左とも言える。
さて本題。以前にも触れたが、内田祥哉氏が団長の下、建築学会の構法委員会のメンバーで
ミャンマー、大連、上海、台北、台南、ベトナムなどアジア圏の視察を年に1回、10年に亘っ
て巡った。良き経験と当時の各国の建築現場の状況が今でも鮮明に目に浮かぶ。この時、上海
で頂いた籐製のヘルメットを今でも大切にしている。訪問国の一つのベトナムへは、20年以上
前の日本からハノイへの直行第1便であった。若き大臣が、この記念フライトに搭乗されてお
り、ベトナムの空港では歓迎の花を胸に飾る祝典と多くの取材陣がいたことを記憶している。
この様子はNHKの早朝のニュースで流れたとも聞いた。ハノイの大学の専門家との交流や藤
森照信氏と村松伸氏のご案内で、ハノイ市内に残る共同住宅や工事現場、建具職人の仕事、民
家などを見て廻った。当時は、24時間体制の人海戦術でホテルなどが施工されており、現場の
周りや露地で寝泊まりする作業員の男女が多く見かけられた。店頭に並ぶ土産品は、米兵が残
したジッポーのオイルライターなどがメイングッズの国情だった。ただ、清潔感と親しみ易い
国民性と勤勉性、そして将来への可能性を強く感じたことを覚えている。
その後、ベトナムとは、ムサ美、タマ美、造形、女子美の美術系の4大学でのアート関連の書
籍の寄贈が叶ったり、ハノイで仲間の子息の料理店のオープンがあったりと現在までに何らか
の関わり合いがあった。今のベトナムは、知日派の建築家、ヴォ・チョン・ギア・アーキテク
ツの建築デザインが世界でも話題となり、発展著しい。この国で東急グループが、東京でも指
折りのお洒落で人気の「二子玉川」などの田園都市線沿線の街づくりでのノウハウを活かし、
「東急ビンズンガーデンシティ」の大規模開発に今春、着手したという。計画地のビンズン省
は、2020年にハノイ市やホーチミン市と並ぶ中央直轄市に指定予定という。田園都市沿線と
類似した対象地は、ホーチミン市から北へ約30キロに位置する総面積1千万平方メートルの
広大な土地。周辺の工業団地やオフィス、商業施設なども整備し、2020年ごろには人口約12
万5千人が住むと構想を描き、ビンズン省と共同でホーチミン市と新都市を結ぶ路線バス事業
も検討しているという。「田園都市構想」のベトナム版と言える。
ウィキペディア(抜粋)によれば、この田園都市構想の歴史は古い。1898年にイギリス人都
市計画家のエベネザー・ハワードが提唱。産業革命が進行した当時のイギリスでは、都市部に
人口が集中し人々は自然から遠ざかり、遠距離通勤や高家賃、失業、環境悪化に苦しんでいた。
これを憂いたハワードは、初版の「明日-真の改革にいたる平和な道」により、都市の社会・
経済的利点と、農村の優れた生活環境を融合した第三の生活での解決を説いた。最初の提案は、1902年に「Garden City of To-morrow」と改題され再出版されている。提案は、人口3万人
程度の規模で自然と共生し、自律した職住近接型の緑豊かな都市を都市周辺に建設する構想。
住宅に庭、近くに公園や森もあり、周囲は農地に取り囲まれている、とある。
渋沢栄一氏は、欧米視察で日本の都心近郊での新田園都市の必要性を説き1915年に企画検討
を始めている。その後、1918年に田園都市株式会社を設立し、これを引き継いだ息子の秀雄
氏はハワードの考えに基づいて作られたイギリスの町、レッチワースの視察などを踏まえて、
これを反映させた理想的な住宅地として1922年に「洗足田園都市」の分譲を開始した。また
交通の便の確保のために後の東京急行電鉄になる子会社も設立。この基本理念は、後年の東
急グループによる都市開発にも継承され1953年、当時会長の五島慶太氏によって多摩田園都
市構想が発表されている。「文明の利便と田園の風致」「自然と文明」「田園と都市の長所
の結合」と謳われているが、対象敷地の立地条件は、「大都市付属の住宅地」「1時間以内
に都心に到達する交通機関」となっており、田園都市内に必ずしも勤務地があるのではなく、
ハワードの思想を発展させ日本流に現実化した賢明さと様子がうかがえる。
1898年にイギリスで芽生えた田園都市構想が、ベトナム流で東急グループの参加のもとに実
現する。同じく、ベトナムでホテル機能付きの賃貸アパートメントなどのビジネス展開をして
いる大和ハウス工業や東南アジアで焼却炉発電の設計と稼働指導をするJFEエンジニアリング、
前述の東急などと呼応するようにミャンマーのヤンゴン市でも三菱グループが4ヘクタールに
及ぶオフィスビル、住居棟、ホテルなどのコンプレックス機能のビジネス街の整備を始めた。
小生も最近、台湾での大規模開発プロジェクトの相談を受けた。これらのことは、日本のBIM
にとってアジアで絶好のチャンスが到来したとも言える。このベトナムやミャンマー、台湾で
の計画全体のインフラや土木と建築などのデータをBIM化し、設計だけにとどまらない生産や
施工、FMにもつなげる理想的な試金石とモデルケースになりうると考える。スタートしたばか
りのこれらの計画では、日本の企業がチームリーダーとして、将来を見据えたBIMデータベー
ス構築の好機であり、21世紀のチョイスとチェンジであり、チャンスとチャレンジといえ、日
本でも首述の中土佐町のプロポーザルが、BIM展開の弾み車になると確信し、期待している。