都市文化と国際経済と建築技術
2017.11.14
ArchiFuture's Eye 慶應義塾大学 池田靖史
前回からのお約束なので、オーストラリア・メルボルンについて書こうと思っています。1ヶ
月以上いると、やはり足早な旅行と違って単なる感想以上に自分の身にも照らして考えられる
気がします。
私がメルボルンを今回の留学場所の一つに選んだ理由は色々あるのですが、その中に1年半ほ
ど前に学会で初めて来たときに感じた急激な都市の変化と、活発な建築関連への研究や教育な
どに強烈なエネルギーが感じられたことがありました。つまり単純にいえば建設業と建築アカ
デミズムの両方が「景気がいい」状態が世界的にも現在顕著な場所の一つであると思ったから
です。もちろんアメリカの大都市やヨーロッパにも先進的な動きや活動があることは間違いあ
りませんし、むしろ先導的だと言えるでしょう。しかし地理的に隔絶され、文化的にはアメリ
カ・ヨーロッパ英語圏の兄弟分であるオーストラリアから、相当な数と質の論文や実験的な建
築作品が送り出され、アジアで行われる学界や、あるいはアジアにおける開発計画や建築設計
ビジネスにおいても圧倒的な力を持ちつつあるように感じています。スター建築家はそれほど
思い浮かばないかも知れませんが、実力のある組織事務所が多く存在し、アジアではシンガ
ポールと並ぶデザイン輸出国だと思われます。いまさらのようですが英語母語国である事は、
国際的な競争や協力関係の上では圧倒的に有利である事は否めません。 正直言ってもし本気
で議論されたら、内容に関係無く言葉で敵いません。友好的な国民性もあって、そんな事態に
なることはありませんが、蚊帳の外になることなら難しくありません。ライバル視しているわ
けではなく、この先の国際社会を生き抜くためにその動向と背景を理解しておきたいと思いま
した。
シンガポールともう一つ共通しているのが戦略的に大量のアジア系留学生を受け入れているこ
とで、これはもちろん建築系だけではなく大学にもよりますがメルボルン大学やRMIT大学な
どでは、少なくとも見た目は我々と同じ東洋人が7割以上を占めています。個々の来歴につい
ては様々なケースがあるので、この議論には十分な注意が必要ですが、あくまで統計的な傾向
としてその主体は中華系さらにその大半は中国本土からの留学生であるため、周辺がただ事で
はなくなっていることは中心市街地を歩けばすぐに感じられるでしょう。路面電車の中で若者
が話している言葉は中国語であることの方が多いこともありますし、大学に向かう目抜き通り
では中国語の看板が写らないように写真を取る事も難しいように見えます。もちろん古くから
の移民の街ですので日本人を含む多様な人たちが何世代も住んでいますし、観光客も決して少
なくはありません。また車社会の郊外に行くにつれ事情は変わります。しかし都心におけるそ
の圧倒的な数の影響は、この19世紀ビクトリア調の美しい街並みを誇る都市に、まちがいな
くこれまでに無かった雰囲気を与えています。私自身も東洋人ですしメルボルンには生まれた
わけでもありませんから、批判する資格もそのつもりも全くありません。ただ面白いことに当
の中国人の中にも、あまり中華料理の店や看板が増えて街並みの雰囲気が損なわれるのは好ま
しくない、なんのために中国から来たのかわからなくなる、などという声も聞かれます。
来てすぐに、こうした中国人留学生の急増と都心の急激な建設ラッシュは実は連動したもので
あることに気がつきました。この10年ぐらいの間にドックランドなどの港湾地区の大規模再
開発と同時に、19世紀のゴールドラッシュで急成長したときの建築が主だった中心市街地に
は続々と超高層が出現し、そのスカイラインを激変させつつあります。都心開発自体はこの街
ばかりとは言えないですがその主体が2ベッドルームくらいの集合住宅である事が少し特徴的
です。セットバック規制とあいまって比較的にスリムなプロポーションの超高層が、足元の歴
史的街並みや、歩行者空間などには慎重に配慮しながらも並び立って、独特な景観になりつつ
あります。そのデザインの質は決して低い訳ではなく、歴史保全にしても公共交通計画や、歩
行者空間の確保にしても国際的に最も水準の高い理論や方法を採用していますし、建築表現は
我々から見ると少々派手なきらいはありますが、複雑な形態や部品を見れば建築施工や工業生
産技術も世界一流であることは疑いがありません。経済的な需要があるから造っているし、そ
こには考えられる限りの配慮をしているというとても合理的な意見が聞こえてくるようです。
そして、その需要を押し上げているのが中国資本であり、都心高層住宅に住んでいる最も典型
的なタイプは中国人留学生とそこに訪ねてくる裕福な両親なのです。投機的な傾向を心配する
声も聞かれますが、都心の大学に通う留学生の増加はむしろ実居住者を確実にするものです。
親の身にしてみれば、将来を見据えて国際社会で通用する教育に財産を投じ、社会的な安定性
が高く自然災害などのリスクも少ない「世界中で最も住みやすい都市」にランキングされる都
市の不動産を次世代に託そうとすることを誰が非難できるでしょうか?
こうした真っ当な需要に呼応する形で、移民の受け入れや就労機会の提供などが経済政策化さ
れていますので、魅力的な大学運営は当然のことながらその重要な歯車の一部と言えるのです。
留学生の親たちが支払ってくれる多額の授業料はふんだんに大学施設の充実や強化に投資され
ることになり、本当に羨ましい限りの学生のためのスペースが提供されています。私の関心で
もあったロボットアームや最新の金属3Dプリンターなどを大学が競うように購入して積極的
に研究が進められていた背景はそこにもあったのです。教育環境の充実は施設や設備だけでな
く人材にも向けられ、ここでも英語圏の強みが発揮されます。アメリカ、ヨーロッパとの人材
交流は当然で、むしろ英語ができて実力のある外国人を積極的に登用する方が留学生対応のた
めにもいいからです。そして、これだけ大量にいれば、それぞれの英語力のレベルに合わせて
中国人同士で助け合う事も容易です。学生の質は玉石混交というしかありませんが、その中の
優秀な学生たちは中国本土だけでなく、むしろここではインドやマレーシアなどの留学生と出
会う機会が多い事も、アジアのさまざまな地域で英語圏の最新の技術を言語とともに使いこな
す役割を果たして行くことに有利に働くようです。
こうして、マンション建設と教育産業の関係が経済的なメカニズムとしてはよく理解できたの
ですが、改めて気になったのは、国際的な標準に比べれば少々装飾的に思えるその建築的外観
でした。これもどうもオーストラリア的な嗜好というよりは、主なバイヤーである中国人の期
待に合わせた味付けのような気がしたからです。日本のような味気ない高層マンションの方が
いいとも思えないので難しい問題だとは思いますが、一目で分かる特徴や高級感を外観やラン
ドスケープデザインで演出することに相当な対価が支払われ、従ってその技術を磨く事がデザ
イン教育の正当なテーマとなっていることに繋がって、結果的にコンピュテーショナルデザイ
ンやデジタルファブリケーションなどもその一つになっています。日本人的な装飾性への躊躇
感とともに、いわゆる欧米文化へのあこがれを抱いて育ってしまった私自身としては少し複雑
な思いがありますが、先端技術を使った芸術的な装飾も、ゴールドラッシュ後にはフェスティ
バル、スポーツ・イベント、カジノといった観光文化産業を主軸に成長してきた都市としては
19世紀の豪華な建築保全と同様にサービス精神の現れなのかも知れません。建築とその文化
は技術と経済、特に地域や民族の交流に強く影響されて形成されるものですから、それが少な
くとも他の都市とは違う地域の独自性に産み出していくことの可能性をポジティブに信じて見
守る方がいいのかなと思いました。